8時、起床。
チーズトースト、目玉焼き、サラダ、豚汁、牛乳、珈琲の朝食。豚汁は昨日の夕食の残り。これがあるので朝食の基本形からソーセージは抜いた。管理栄養士的感覚。
本の搬出のことで志賀書店の店主さんと電話で話す。
昨日のブログを書く。
1時から大学院の社会学コースの博士論文構想発表会(オンライン)。
2時過ぎに終了し、昼食を食べに出る。
サンロード商店街の奥の「寿々喜」に鰻を食べに行く。
靴屋の店先の偏屈そうなじいさんの人形。
浅野裕子を起用した化粧品(?)のポスター。一体、いつの時代のものあろう。
大衆食堂の入口の脇に置かれている将棋盤。縁台将棋用としては厚みがありすぎる。
「寿々喜」のいいところは中休みがないことだ。何時に行っても鰻が食べられる(ただし、鰻が完売して早仕舞いすることがある)。
壁に貼られたメニューを見ながら、何を注文しようか考える。というのは嘘で最初から注文するものは決まっている。でも、真ん中の貼り紙の4品はいつか食べてみたい気がする。
赤重(鰻重の特上)を注文する。レタスのサラダが付いてこないのは、葉物の値上がりのせいだろうか。私は鰻重を食べる前にサラダなんて食べたくないので、むしろありがたい。サラダの代わりに昆布と人参の千切りの煮物が小鉢で出て来た。この方が鰻重との相性はいい(でも、なくてもいい)。
公開審査会が終わり、研究室の本の始末も目処が立った。やれやれという気分で食べる鰻重は旨い。
「寿々喜」で鰻を食べた後は「テラス・ドルチェ」で珈琲を飲むのが定番のコースなのだが、今日は臨時休業の貼り紙が出ていた。
「本の庭」へ行くことにする。「本の庭」は木曜~日曜の週4日営業。今日は今週の営業初日である。週末よりも空いており、実際、先客は一人だけだった。
黒蜜と黄粉のアイスクリームと、自家製レモネードを注文する。
私が入店したとき先客の男性はスタッフのKさんとおしゃべりをしていたのだが、私がKさんがおしゃべりを始めたら黙ってしまった。近所に出来た新しいカフェや、ファミリー向けのマンションが建ったせいか街で子供の姿を最近よくみかけるようになったという世間話で、話の輪に加わろうとすれば誰でも加われそうなのだが、その男性客は加わろうとはしなかった。カフェに一人で行って社交的会話を楽しむには2つのパターンがあり、1つは店の人と話す、もう1つはたまたま居合わせた客と話すというパターンである。後者の方がハードルが高いが、直接ではなく、お店の人を介して話をするという中間のパターンがあり、これは比較的ハードルが低い。私はいずれのパターンも慣れているが、その男性客はそうではないようで、何だか彼から話し相手(Kさん)を奪ってしまったようで申し訳ない気がした。それで、途中で、読書に専念することにした。
奥村隆『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』。1998年に日本評論社から出た奥村さんの単著デビュー作で、2024年にちくま文芸文庫から再刊された。超ロングセラーだが、扱われているテーマは普遍性のあるものであり、語り口はいま読んでも瑞々しく魅力的である。単行本はもちろん持っているが、最近、文庫版を電子書籍で購入した。名著再読。
「わたしたちが日々意識せずにおこなう「他者といる技法」。そのすばらしさや正しさだけでなく、苦しみや悪も含めて、できるかぎり透明に描くにはどうしたらよいか──。思いやりとかげぐち、親と子のコミュニケーション、「外国人」の語られ方、マナーを守ることといった様々な技法から浮かび上がるのは、〈承認と葛藤の体系としての社会〉と〈私〉との間の、複雑な相互関係だ。ときに危険で不気味な存在にもなる他者とともにいる、そうした社会と私自身を問いつづけるための、数々の道具を提供する書。」(アマゾンの解説から)
私がいましがた経験したカフェでのおしゃべりについて考えるときに本書のこんな記述が参考になるだろう。
「他者といるということ。これが、この本の主題である。これは、私たちにとってごくありふれたことがらで、かなりの場合あたりまえに通りすぎていくことのように思われる。もちろん、ある居心地の悪さを感じてこれについてあらためて考える、ということもあるだろう。しかし、次のようにきかれて、そう簡単に答えられるものではないように思う。あなたは他者といるときいったいなにをしていますか?―漠然とした問いだが、その答えとして思いつくものを列挙したとしたらどれくらいのことが並ぶだろうか。私はこんなふうに思う。他者といる場所、そこにはある「技法」がつねに存在する。おそらくその技法を、ほとんどの人がすでに身につけていていつもやっている。でもそれに気づくことはあまりない。その技法―「他者という技法」ーを、この本はできるだけ透明に描こうというわけだ。」(序章1の【1】より)
私も奥村さんも社会学者なので、そうした「技法」については意識的である。たとえばカフェでの他者とのおしゃべりにはいくつかのパターン(形式)があるとか、それぞれのパターンの開放性・閉鎖性に影響を与えているであろう諸要因は何か(たとえば、おしゃべりのテーマとか、店内の椅子やテーブルの配置とか、個人の属性)とか。私は大学で「日常生活の社会学」という講義(この5年間はオンデマンド)をやっていたが、それを興味をもって受講した学生には奥村さんのこの本をお薦めする。
「本の庭」には1時間ほど滞在した。
例の男性客は私より先に席を立ったが、支払いのときKさんとしばらく「中井・フジテレビ問題」についてしゃべっていた。
大森駅そばの「山王小路飲食店街」。大井町の「東小路飲食街」「平和小路飲食街」に匹敵する昭和的ガラパゴス地区である。
ドラマでもたびたびロケ地になっている(最近では奈緒主演の『あのクズを殴ってやりたいんだ』で主人公の母親(斉藤由貴)がママをやっているスナックがここにあった)。
書類の作成やらメールのやりとりで日が暮れていく。
夕食は手羽中の塩コショウ炒め、ポテトサラダ、味噌汁、ごはん。
大量の手羽中だが、身は少ないので、実際は見かけほどではない。
食事をしながら『プレバト』と『魔改造の夜』(ビニール傘で作った飛行体の飛翔時間を争う)を観る。
書類の作成とメールのやりとり。
日付が替わる頃、完成した書類をネットから提出する。やれやれ。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時、就寝。