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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月30日(木) 晴れ

2025-01-31 14:09:34 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、目玉焼き、サラダ、豚汁、牛乳、珈琲の朝食。豚汁は昨日の夕食の残り。これがあるので朝食の基本形からソーセージは抜いた。管理栄養士的感覚。

本の搬出のことで志賀書店の店主さんと電話で話す。

昨日のブログを書く。

1時から大学院の社会学コースの博士論文構想発表会(オンライン)。

2時過ぎに終了し、昼食を食べに出る。

サンロード商店街の奥の「寿々喜」に鰻を食べに行く。

靴屋の店先の偏屈そうなじいさんの人形。

浅野裕子を起用した化粧品(?)のポスター。一体、いつの時代のものあろう。

大衆食堂の入口の脇に置かれている将棋盤。縁台将棋用としては厚みがありすぎる。

「寿々喜」のいいところは中休みがないことだ。何時に行っても鰻が食べられる(ただし、鰻が完売して早仕舞いすることがある)。

壁に貼られたメニューを見ながら、何を注文しようか考える。というのは嘘で最初から注文するものは決まっている。でも、真ん中の貼り紙の4品はいつか食べてみたい気がする。

赤重(鰻重の特上)を注文する。レタスのサラダが付いてこないのは、葉物の値上がりのせいだろうか。私は鰻重を食べる前にサラダなんて食べたくないので、むしろありがたい。サラダの代わりに昆布と人参の千切りの煮物が小鉢で出て来た。この方が鰻重との相性はいい(でも、なくてもいい)。

公開審査会が終わり、研究室の本の始末も目処が立った。やれやれという気分で食べる鰻重は旨い。

「寿々喜」で鰻を食べた後は「テラス・ドルチェ」で珈琲を飲むのが定番のコースなのだが、今日は臨時休業の貼り紙が出ていた。

「本の庭」へ行くことにする。「本の庭」は木曜~日曜の週4日営業。今日は今週の営業初日である。週末よりも空いており、実際、先客は一人だけだった。

黒蜜と黄粉のアイスクリームと、自家製レモネードを注文する。

私が入店したとき先客の男性はスタッフのKさんとおしゃべりをしていたのだが、私がKさんがおしゃべりを始めたら黙ってしまった。近所に出来た新しいカフェや、ファミリー向けのマンションが建ったせいか街で子供の姿を最近よくみかけるようになったという世間話で、話の輪に加わろうとすれば誰でも加われそうなのだが、その男性客は加わろうとはしなかった。カフェに一人で行って社交的会話を楽しむには2つのパターンがあり、1つは店の人と話す、もう1つはたまたま居合わせた客と話すというパターンである。後者の方がハードルが高いが、直接ではなく、お店の人を介して話をするという中間のパターンがあり、これは比較的ハードルが低い。私はいずれのパターンも慣れているが、その男性客はそうではないようで、何だか彼から話し相手(Kさん)を奪ってしまったようで申し訳ない気がした。それで、途中で、読書に専念することにした。

奥村隆『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』。1998年に日本評論社から出た奥村さんの単著デビュー作で、2024年にちくま文芸文庫から再刊された。超ロングセラーだが、扱われているテーマは普遍性のあるものであり、語り口はいま読んでも瑞々しく魅力的である。単行本はもちろん持っているが、最近、文庫版を電子書籍で購入した。名著再読。

「わたしたちが日々意識せずにおこなう「他者といる技法」。そのすばらしさや正しさだけでなく、苦しみや悪も含めて、できるかぎり透明に描くにはどうしたらよいか──。思いやりとかげぐち、親と子のコミュニケーション、「外国人」の語られ方、マナーを守ることといった様々な技法から浮かび上がるのは、〈承認と葛藤の体系としての社会〉と〈私〉との間の、複雑な相互関係だ。ときに危険で不気味な存在にもなる他者とともにいる、そうした社会と私自身を問いつづけるための、数々の道具を提供する書。」(アマゾンの解説から)

私がいましがた経験したカフェでのおしゃべりについて考えるときに本書のこんな記述が参考になるだろう。

「他者といるということ。これが、この本の主題である。これは、私たちにとってごくありふれたことがらで、かなりの場合あたりまえに通りすぎていくことのように思われる。もちろん、ある居心地の悪さを感じてこれについてあらためて考える、ということもあるだろう。しかし、次のようにきかれて、そう簡単に答えられるものではないように思う。あなたは他者といるときいったいなにをしていますか?―漠然とした問いだが、その答えとして思いつくものを列挙したとしたらどれくらいのことが並ぶだろうか。私はこんなふうに思う。他者といる場所、そこにはある「技法」がつねに存在する。おそらくその技法を、ほとんどの人がすでに身につけていていつもやっている。でもそれに気づくことはあまりない。その技法―「他者という技法」ーを、この本はできるだけ透明に描こうというわけだ。」(序章1の【1】より)

私も奥村さんも社会学者なので、そうした「技法」については意識的である。たとえばカフェでの他者とのおしゃべりにはいくつかのパターン(形式)があるとか、それぞれのパターンの開放性・閉鎖性に影響を与えているであろう諸要因は何か(たとえば、おしゃべりのテーマとか、店内の椅子やテーブルの配置とか、個人の属性)とか。私は大学で「日常生活の社会学」という講義(この5年間はオンデマンド)をやっていたが、それを興味をもって受講した学生には奥村さんのこの本をお薦めする。

「本の庭」には1時間ほど滞在した。

例の男性客は私より先に席を立ったが、支払いのときKさんとしばらく「中井・フジテレビ問題」についてしゃべっていた。

大森駅そばの「山王小路飲食店街」。大井町の「東小路飲食街」「平和小路飲食街」に匹敵する昭和的ガラパゴス地区である。

ドラマでもたびたびロケ地になっている(最近では奈緒主演の『あのクズを殴ってやりたいんだ』で主人公の母親(斉藤由貴)がママをやっているスナックがここにあった)。

書類の作成やらメールのやりとりで日が暮れていく。

夕食は手羽中の塩コショウ炒め、ポテトサラダ、味噌汁、ごはん。

大量の手羽中だが、身は少ないので、実際は見かけほどではない。

食事をしながら『プレバト』と『魔改造の夜』(ビニール傘で作った飛行体の飛翔時間を争う)を観る。

書類の作成とメールのやりとり。

日付が替わる頃、完成した書類をネットから提出する。やれやれ。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


1月29日(水) 晴れ

2025-01-30 13:22:15 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

10時前に家を出ようとしたら、ゴミ集積所がカラスに荒らされ、コンビニ弁当の容器などが散乱している。放置しておくともっとひどいことになりそうなので、箒をもってきて散乱したゴミをネットの中に戻す。作業をやりおえたところでゴミ収集車がやってきた。ごくろうさまです。あとはお任せします。

今日は11時過ぎに志賀書店さんが研究室の本の下見にやって来られる。どれだけ引き取っていただけるかで今後の研究室の片付けの進め方が大きく違ってくる。

研究室に来られたのは店主さん、娘さん(?)、そしてベビーカーに乗った1歳半の男の子だった。最初、男の子は私を見てちょっと緊張した顔つきになったが、泣き出すまでには至らず、やがてベビーカーを降りて、研究室の中を探索しはじめた。もしかして目利きの才があるのかもしれない。

志賀書店さんは大学の近くの古書店だと思っていたが、それは私の勘違いで、江戸川区の古書店さんだった。1971年の創業ということは、私が高校2年のときだ。現在の店主さんは二代目で、店主になって29年とのことだった。私の早稲田大学での在職期間とほぼ同じだ。

店主さんは蔵書の全体をざっと見渡して(ときどき本を手に取って)、「図書館の本については除籍の手続きがされていますか」と聞かれたので、「それは図書館の本ではなく、自分でラベルを貼ったものです。一時期、自分の蔵書に分類シールを貼ろうとしたことがあったのです」と説明する。それは大学院生の頃の話で、そのシール貼りの作業を手伝ってくれたのが、現在の妻である。

「では、全部買い取らせていただきます」と店主さんは言った。それはありがたい。

改めて2月8日にトラックで来て、査定と搬出の作業を行うことになった。10時に来て(昼食休憩をl挟んで)5、6時間くらいの作業になるでしょうとのこと。そのときは若い男性が一人加わり、4人で来るとのこと。つまり男の子も一緒なのだ。「飽きちゃいませんかね」と私が聞くと、母親は「大丈夫です」と答えた。もしかしてずっと本を読み耽っているのかしら(笑)。

搬出の前日、2月7日(金)に私は研究室に来て、若干の取っておきたい本の選別作業をすることになる。いまこのブログを読んでいる学生(卒業生)で、持っていきたい本がある(かもしれない)方はその日が最後のチャンスなので、研究室の方へどうぞ。もちろんタダで差し上げますが、もしかすると、ちょっと片付けを手伝っていただくことになるかもしれませんので(笑)、ラフな格好でいらしてください。

志賀書店の方たちを見送って、昼食を食べに出る。

「たかはし」に行く。

豚肉生姜焼き定食(980円)を注文する。二重弁当、肉豆腐定食、刺身定食と並んでよく注文するメニューである。

ご飯が進くん。

2月8日の本の搬出のために車輛入構申請書を作成して事務所に提出する。

まだ書いていなかった昨日のブログを書く。

学位委員会に提出する書類の作成。

6時頃、大学を出る。

帰宅すると、1月14日に受診した人間ドックの結果が届いていた。深呼吸をして開封する。とくに変わったことはなかった。もちろん年相応の所見(聴力の低下、眼圧の上昇、胆嚢ポリープや胆石、脂肪肝、腎嚢胞、血小板数の軽度の低下、標準体重の上回り、など)は散見されるが、経過観察でよいレベル。いま忙しい時期なので、再検査や精密検査の必要な項目があると困るなと思っていたのが、一安心。

夕食は鰹のタタキ、豚汁、柚子大根、ごはん。

「たかはし」で刺身定食を注文しなくてよかった。

食事をしながら『アンサンブル』第2話(録画)を観る。新たに法律事務所のメンバーとなった真戸原(松村北斗)の歓迎会の会場に向かう面々。でも、真戸原本人がいない。それと・・・この通りは私は見覚えがある。池上駅前商店街ではありませんか(こんな横並びで商店街を歩いてはいけませんなぁ。『Gメン75』じゃないんだから)。


『Gメン75』(1975-82)

向かった先は「MATO庵」という名前の料理屋。

古民家カフェ「蓮月」ではないか!(私のブログにときどき登場する)

テーブルの配置などはドラマ用に変えられている。

店主は真戸原の父親(光石研)という設定(母親役は八木亜希子だ)。つまり「MADO庵」は彼の実家なのだ。

これからこの店はしばしばドラマの中に登場することになるのだろう。

「これでまた週末は混むことになりそうですね」

深夜、書類を仕上げて、関係者に送る。チェックが済んだら、明日、提出しよう。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


1月28日(火) 晴れ

2025-01-29 16:11:05 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

評論家の俵孝太郎氏の訃報記事。享年94歳。記事の中に「こんばんは、俵孝太郎です」というニュース番組でのあいさつが芸能人に物まねされるなど親しまれたとあるが、この芸能人がビートたけし(74歳)であることを知っている世代は何歳以上なのだろうか。評論家の俵萌子は孝太郎と離婚後も俵萌子の名前で活動を続けたが、「私の転機」という新聞のコラムの中で、那須高原で夏休みを送っているときに、彼が(名前は出ていないが彼のことだと思う)がTV番組に出て話しているのを観て、「知人はしたり顔で、何かしゃべっている。目玉が落ち着かず、きょろきょろ動いているのは、たぶん「二分前」の紙が、カメラの前に出たのだろう。知人には悪いが、ふだん賢そうに見える彼の顔が、そのときの私には“バカみたい”に見え、一分を争ってどうでもいいことを、ああだこうだいっている姿は、パクパク口をあけている金魚のパントマイムでしかなかった。それは、そっくりふだんの私の姿だった。突然〈虚の虚〉という言葉が浮かび上がり、私の心にべったりとはりついた」と書いている。自嘲を込めた語りとはいえ、元妻からこんな書かれ方をするなんて、彼も気の毒だなと私は思った記憶がある。ご冥福をお祈りします。

昨日のブログを書く。

2時頃、昼食を食べに出る。

電車(京浜東北線)に乗って、2駅となりの大井町へ。

東口改札を出てすぐのところにある「東小路飲食店街」。昭和の雰囲気が漂う。

夕方から開店の店が多い。

中華「永楽」は昼間からやっている。そして賑わっている。

ワンタンメン。これが食べたくて来たのである。私はとくにラーメン好きというほどではないが、早稲田の「メルシー」、蒲田の「喜多方ラーメン坂内小法師」、そして大森の「永楽」にはときどき行く。

焦がし葱のスープが旨いのだ。

大井町に来たのは「ポットリ―」のことが気になったからである。1月4日の新年初日に来た時、マダムが腰を痛めていて、早仕舞いしていた。その後、もう一度来たが、木曜日で定休日だった(今年からそうなったのをうっかりしていた)。もちろん店は閉まっていたが、それが定休日だからなのか、マダムの腰の具合のせいなのかはわからなかった。それで今日、改めて来てみたのである。

「ポットリ―」は閉まっていた。「臨時休業」の張り紙は出ていない。マダムはお店とは別の場所に住んでいるので、もしも体調不良で臨時休業する場合でも張り紙をしにはこられまい。ちょっと気がかりである。

大森に移動して、新年になってまだ顔を出していなかった「sanno2198」に行くことにする。ジャーマン通りを駅から10分ほど歩く。

狭い店(カウンター4席+小部屋)なので、店に行ってみるまでは入れるかどうかわからない。それは矢口渡の「燈日」や矢向の「ノチハレ珈琲店」でも同じなのだが、駅からかなり歩くことと、そこが入れなかった場合、代替のカフェがないことが困るのである(同じ大森の「本の庭」は月曜・火曜・水曜は定休)。

カウンターが1席空いていた。ラッキー!

しかしお目当てのケーキは完売だった。アンラッキー! 昨日、珍しくお店のインスタにショートケーキの写真がアップされた。そのせいで昨日は早々にケーキが完売になったそうだ。その余波が今日にも及んでいるらしい。インスタの効果おそるべし。これでまたしばらくマダムはインスタにケーキの写真をアップすることはないだろう(店が混むのが嫌なのである)。

酸味強めのジャマイカの豆で淹れてもらう。

いつも珈琲に付いてくるキャラメライズしたアーモンド(2粒)。今日はこれをスイーツに珈琲を飲まねばならない。

私の後から入って来て私の隣に座った女性客はケーキの取り置きをお願いしていたようで、彼女の目の前に(私の左斜め前に)ダークチェリーのタルトの皿が置かれた。地球最後のケーキのように私には思えた。私は彼女とバブル時代の話をしたが(彼女はその時代のことをよく知らない)、その間、私の意識はケーキの方に注がれていた。そんな私をマダムは気の毒に思ったようで、クッキーを一枚下さった。終戦直後の東京の路上で米兵からチョコレートをもらった少年のような気分だった。

店には30分ほど滞在した。ケーキなしではそれが限度だった。

駅まで戻る道すがら、先日初めて行った「トラットリア・カワバタ」とまだ行っていない「千成飯店」が並んでいる。

「私はいつまでここに置かれているのでしょう」(クリスマス仕様なのに)

品川のエキナカの「豊島屋」で鳩サブレ―を買って帰る。

帰宅してさっそく食べる。

学位委員会に提出する書類の作成。

夕食は八宝菜と玉子とベーコンの炒め、シュウマイ、中華スープ、ごはん。

食事をしながら『プライベートバンカー』第3話(録画)を観る。

引き続き書類の作成。

オンデマンド授業のレポートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を書く。

2時、就寝。


1月27日(月) 晴れ

2025-01-28 13:20:43 | Weblog

7時15分、起床。いつもより早起きなのは、午前10時から博士学位申請論文公開審査会(対面)が大学であるからである。

チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

8時半に家を出る(30分前に大学に着く)。

「いってらっしゃい」

この時間帯の電車に乗るのは久しぶりである。午前中の会議はときどきあるが、たいていオンラインであるからだ。大森駅で「前を走ります電車が品川駅で車内点検をしており、この電車は大森駅で時間調整をいたします」とアナウンスがあった。事故ではなく、車内点検(忘れ物かな?)なので、それほど時間はかからないであろうが、少し気を揉んだ。ほどなくして電車は動き始めたが、ふと、前の席の客の足もとに小さなビニールのケースのようなものが落ちていることに気が付いた。前の客に目と指でそのことを伝えると、その客は自分のものではないと首を振って、次の駅で降りた。どうも私はそのケースが気になった。しかし、うっかり中を確認して、重要な何かが入っていたら、駅の事務所にそれを届けなくてはならなくなる。そして拾ったときの状況(時刻や車両)について説明しなくてはならない。それでは公開審査会にギリギリになるか、遅れてしまうだろう。私は審査委員長なので遅れるわけにはいかない。見なかったことにしようと一旦は決めたが、やはり気になる。気になったまま電車を降りるのも嫌だったので、「やれやれ」と思いつつ、拾って中を確認する。何か細い棒のようなものが一本入っていた。歯間ブラシあるいはマスカラブラシのように見えた。私はそれを床に戻し、端の方へ置いた。最終的には車内の点検・清掃のときに回収されるだろう。

10時から予定通り始まった大坪真利子氏の博士学位申請論文公開審査会は11時半に無事終了した。

図書館に(審査のために)借りていた本を返却してから、「タビビトの木」に昼食を食べに行く。

旅人カレープレートを注文する。スパイス煮卵とカフェラテもそれぞれ+100円で。

けっこう混んでいたので、出てくるまでにだいぶ時間がかかった。本(キンドル)を持ってきておらず(目がだいぶ疲れていたのだ)、待っている時間は目を閉じて、目と頭を休めることにした。

店には1時間ちょっと滞在した。

支払いのとき、マスターが「2月2日の節分を過ぎると一陽来復のお守りを求めて穴八幡にいらっしゃる方がいなくなり、授業で大学に来る学生さんもいなくなるので、うちは閑散期に入ります」とぼやいた。そうですね、とくに2月は入試期間がキャンパス立ち入り禁止になりますからね。わかりました。ブログで宣伝しておきましょう。「2月、3月は空いているから、ゆっくりできますよ」と。ついてはマスターの写真も載せておきますからポーズをお願いします(笑)。

「ご来店、お待ちしております」

なお、「大久保先生のブログを見た」と言っていただければ、マスターがニッコリしてくださると思います(割引はありません)。

馬場下の交差点の鯛焼き屋で鯛焼きを一匹購入。「すぐに食べられますか」と聞かれたので、本当は路上で立ち食い(歩き食い)するわけではなく、研究室に戻ってからお茶を淹れて食べるのだが、わざわざ手提げ袋に入れてもらうには及ばないので、「はい」と答える。

事務所に公開審査会の審査結果の書類(審査委員全員の捺印が必要なのだ)を提出してから、まだ書いていなかった昨日のブログを書く。

お八つに買った鯛焼きを食べながら。

志賀書店(大学の近くの古書店)に電話をして、明後日、研究室の本を見に来てもらうことになった。たくさん古書店がある中で、志賀書店に連絡をしたのは、昨年末に、たまたま志賀書店の方が軽トラで戸山キャンパスにどこかの研究室の本を引き取りにきていたところに遭遇し、ご主人と「私もこの3月末で定年退職するので、本の始末を考えなくてはならないのです」とお話したところ、連絡先のメモをいただいたからなのである。こういう偶然の縁というものを私は重視するのである。

頭を使った後は体を使おう。調査報告書や歴代のゼミ論集の残部、授業の資料などを研究室の外に運び出す(溶解処理が必要な過去の答案やレポート、調査記録などは専用の段ボール箱の中に入れて、事務所に持っていく)。腰を痛めないように注意しながら。

今日はこのへんにしておこう。

6時半に大学を出る。

夕食は親子丼。

食事をしながら『119エマージェンシーコール』第2話(録画)を観る。ちなみに今夜放送される予定だった第3話は「会見」のために来週に延期となった。「協力 横浜市消防局」のクレジットが消えるそうである(実質的な協力は続けるが)。みんな「火事場」から離れていく。

風呂から出て、『村上RADIO~村上の世間話6』をタイムフリーで聴きながら、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


1月26日(日) 晴れ

2025-01-27 15:51:57 | Weblog

7時、居間の電話が鳴った。妻が出ると、妻のお姉さんからだった。お母さんが入っている介護施設からさきほど連絡があり、お母さんが危ない状態だという。お母さんは99歳で、12月に体調を崩して、介護施設から病院に搬送され、いつ何があってもおかしくない状態と医師から言われていた。しかし、持ち直し、再び施設に戻り、新年を迎えた(なので数えで100歳となった)。ただ、年齢が年齢なので、「いつ何があっても・・・」という覚悟は我々もしていた。私と妻は朝食をとり、施設に向かう支度をした。そのとき姉から再び電話があり、いまお母さんが亡くなったという連絡が施設からあったそうだ。臨終に立ち会うことはできなくなったが、とにかく妻と施設に向かうことにした。

妻のお父様がなくなったのは20年前の2005年1月29日だった。施設に向かう電車の中で、私はその日の自分が書いたブログを読み返した。今回とは違い、臨終の場面に立ち会えたのだが、そのときの情景が鮮明によみがえり、目頭が熱くなった。

1.29(土)

 昨日(28日)、妻の父親が亡くなった。その4日前に自宅で倒れ、すぐに救急車で昭和医大横浜市北部病院に運ばれたが、脳梗塞で左脳の大部分が致命的なダメージを受けており、「ここ一週間」が山であると医者から宣告されていた。それが一昨日の夕方の段階で「ここ24時間」に変わったので、入院初日から病院に詰めている妻や義母・義姉と合流すべく、私も予定をすべてキャンセルして、病院に向かった。

私が病院に着いたのが午前11時。義父が亡くなったのはそれから8時間後だった。その間、義父の意識が戻ることは一度もなかった。ただ、ベッドの側に置かれたディスプレイに表示される心拍、血圧、呼吸の数値だけが、義父の生命が緩慢ではあるが不可逆的な過程にあることをわれわれに告げていた。われわれは予想される事態の到来を待ちながら、病室内の折り畳み式の椅子に座って話をしたり、最上階の見晴らしのいいレストランのテーブルで話をしたりしながら、経過していく時間をやり過ごしていた。夕方、予告されていた「24時間」が経過した。ディスプレイの数値は午前中より悪くなってはいたものの、義父はそんなに苦しげではなく、予想される事態は明日に持ち越されるかもしれないとわれわれは思った。しかし、それから4時間後、われわれが今夜はいったん引き上げようかと相談していたときに、すべての数値が急激な変化を始めた。当初、落ち着いて対処をしていた看護師がしだいに落ち着きを失い、様子を見に来た別の看護師と相談して、主治医が呼ばれた。医師は義父の眼をペンライトで照らしてから、すでに瞳孔が開いていることを告げた。医師と看護師がベッドの脇に為す術なくたたずむ姿勢に入ったのを見て、それまで椅子に座っていた妻・義母・義姉も立ち上がって、同じ姿勢に入った。ただ、私ひとりだけが、立ち上がらずにいた。不謹慎だろうかと思いつつ、まだ立ち上がるのは早いように思えて、心拍を示す数字が20を切ったら立ち上がろうとじっとディスプレイをにらんでいた。呼吸はすでに停止していたが、心臓は動き続けていた。生と死の境界が不確かな時間帯である。やがて立ち上がるべきときがきた。19、18、17・・・・下降のスピードは緩慢で、医師は息苦しさを紛らわすためだけに、途中で何度か聴診器を胸に当てたり、ペンライトで眼を照らしたりした。10、9、8・・・・心拍を示す数字が10を切ったとき、私は義父に初めて会ったときのことを思い返した。妻(当時はまだ妻ではなかったが)を家まで送っていって、玄関先でご挨拶をした。口数の少ない方だったが、笑顔で迎えてくれた。将来の不確かな大学院生の私が、結婚を前提とした交際をしていますと告げたときも、笑顔で頷いてくれた。心中、さぞかしご心配であったに違いない。「どうかご心配なく。貴方の娘や孫たちは私が・・・・」と心の中で語りかけたときに、心拍を示す数字が0になり、ピーという機械音が鳴ったので、あわてて「・・・・必ず守りますから」と言葉を足した。医師が臨終を告げ、看護師が時刻を医師に伝えた。義父は大正11年8月15日の生まれで、享年82歳だった。

施設の最寄り駅の横浜市営地下鉄の中川駅で降りて、一足先に施設に着いているお姉さん夫婦が車で迎えに来てくれるのを待った。

介護施設は4階建てのきれいな建物だった。お母さまは1階の自室(少し広めのビジネスホテルの部屋くらい)のベットの上に横たわっていた。久しぶりでお会いするお母さまは(妻とお姉さん夫婦は何度も面会に来ているが、私は今回が初めてだった)小柄で色白なのは昔からだが、ずいぶんと痩せられていた。いわゆる老衰による、痛みのない死であったのは幸いだった。私はお母さまの傍らに立ち、手を合わせて「どうぞ安らかにお眠りください」と心の中で言った。1階のフロアーの担当だったという若い女性の介護士さんが部屋に入って来られて、ベットの横にしゃがんで、お母さまの手を取って、涙ぐみながらお別れの言葉を(けっこうな時間)語りかけて下さった。ありがたいことである。

葬儀社が手配した車が到着し、お母さまを乗せて、日吉の会館に運んだ。私たちも車で会館に移動。葬儀自体はたまプラーザの会館で行うのだが、いま安置室に空きがないために、数日間、日吉の会館に安置するということだった。安置室は和室で、ご遺体は透明なケースの中に安置された。SF映画に登場する、宇宙船の中で長い旅をする乗組員が眠るカプセルのようであった。

これから担当の方と葬儀の具体的な打ち合わせが始まるのだが、2時間くらいはかかるだろうということで、先に昼食を済ませることにした。会館の近くの「銚子丸」という寿司屋に行く。日曜日ということもあるのだろう、けっこう行列ができていた。30分ほど待って入る。注文はパネル式で、注文したものはあまり待つことなく運ばれてきた。

食事を済ませ、会館に戻る。私はここで失礼させていただく。

最寄り駅の日吉駅まで歩く。

駅前には慶応義塾大学の日吉キャンパス。三田キャンパスには何度も行っているが、日吉キャンパスは初めて。

東横線に乗り、多摩川を越え、多摩川駅で多摩川線に乗り換えて、蒲田まで帰る。

ただいま。

少し休んでから、まだ書いていなかった昨日のブログを書く。

そして明日の博士学位申請論文公開審査会の準備。昨日と今日の二日間をそのために空けておいたのはよかった。

王将戦第二局は先手藤井の勝利に終わった(図は投了図)。これで藤井の二連勝である。

夕食は鶏肉団子スープ。

食事をしながら『東京サラダボウル』第3話(録画)を観る。「赤ちゃんとバインミー」前編。よく作りこまれたドラマである。

明日の準備。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。