フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月22日(土) 晴れのち曇り *完結

2020-02-24 22:26:53 | Weblog

10時、起床。

トースト、牛乳、紅茶の朝食。

昨日、アマネさんからいただいたお菓子「ニューヨークチーズケーキ」を食べる。

ベイクドチーズケーキの一種だが、小麦粉はほとんど使わず、きつね色になるまで焼き上げるのではなく、湯煎焼きにするところに特徴がある。ニューヨークに移住したユダヤ人たちが広めたことからこう呼ばれるようになったそうだ。しっとりとクリーミー。

今週の『スカーレット』のタイトルは「もう一度家族に」。別居、離婚以来、ギクシャクとしていた喜美子と八郎の関係が修復されるストーリー。視聴者の多くはそれをのぞんでいただろう(私の妻もその一人だ)。とはいっても復縁というわけではない。当時、幼子だった息子は大学を卒業して就職をした。流れ去った時間は取り戻せないだろう。

近所の耳鼻科に薬をもらいにいく。家を出るときはマスクを忘れずに。満員電車と並んで病院の待合室はとくに要注意である。

土曜日だけあって、とても混んでいる。受付の人に尋ねたら自分の前に十数人いる。診察券を出して、一度家に戻り、30分ほどしてから出直す。

出してもらった処方箋を持って向かいの薬局へ。店先のカエルは相当年季が入っている。風邪薬「コルゲンコーワ―」のイメージキャラクターである。ケロちゃん(女の子)とコロちゃん(男の子)がいるが、スカートを履いているからケロちゃんだろう。

店内には佐藤製薬のサトちゃんもいる。象は長生きの象徴である。いましがたスカートを履いているからケロちゃんと書いたが、こちらにいるケロちゃんもコロちゃんもスカート(ワンピース?)を履いているように見える。

昼食は妻が買って来た寿司。

3時半を過ぎた頃、散歩に出る。呑川に沿って池上方面へ。本門寺門前の中道院の梅と本門寺の階段脇の早咲きの桜を見たいと思った。

しかし、中道院の梅はもう花が散ってしまっていた。

そして本門寺の階段(比経難持坂)脇の桜ももうすっかり葉桜になっていた。二週間早くくるべきだった。遅かりし由良之助である。今年が暖冬というのは本当だったんだな。

気を取り直して境内を散歩することにした。階段を上がる前に、理境院の門を入ったところにある白梅を眺める。

梅は開花の時期の個体差が大きいから、そこここで、まだしばらくは楽しめるだろう。

階段を上ると山門(仁王門)がある。

右側の仁王像に西日が当っている。

山門の先に大堂がある。

ワンちゃんを散歩させている人がちらほら。

「新型コロナウィルス、疫病病魔退散祈願」を実施中である。おそらくあちこちのお寺で類似のことがおこなわれいるに違いない。古代の日本にタイムスリップしたような気分だ。

私も今日は私事でなく、世の中の平安を祈った。

境内の散歩は続く。

五重塔の方へ。

姿のよい五重塔である(徳川二代将軍秀忠が建立したもので、関東に4基しかない幕末以前の五重塔の中では最古のもの。重要文化財)。

池上会館屋上庭園にある「馬込文士村」のオブジェ。

藤原吉志子の作品(1996)。

強風(春一番だそうである)のため展望台には登れなかった。

 「立ち入り禁止」展望台は春一番 たかじ

もっとも展望台に上らずとも街の空は眺められる。

春一番が吹く空をカラスたちが飛んでいる。

力強い飛翔である。

少し靄が出ていて、ビルの輪郭がかすんでいる。

富士山は見えないが、反対方向の空に富士山のような雲が湧いている。

めぐみ坂から下ることにしよう。

振り返れば五重塔。

けっこう急な坂である。下る分にはよいが、上るのは大変だろう。

めぐみ坂の名前の由来になっている「大森めぐみ教会」。

ここにはかつて「曙楼」という料亭があり、当時は「曙坂」と呼ばれていたそうだ。

めぐみ坂を下り切る。

「HITONAMI」に寄って行く。

客は私だけだった。厨房にはオガサワラさんとクドウさんのお二人がいた。「あら、こんな時間におめずらしいですね」と挨拶される。時刻は5時になろうとしていた。

レモンスカッシュを注文。

おつまににカボチャのコロッケも。注文を受けてから揚げるから熱々である。

40分ほど滞在して、店を出る。

「ノザワBAKE」の跡には、飲食店ではなく、トリミングサロン「ピーチ・ドッグ」がオープンしていた。壁の一部にスリットが入って、中が見えるようになった。以前、「ノザワBAKE」のご主人が「ここに窓を作りたいんですよね」と言っていたのを思い出す。

夕食は、焼き魚(カマスの開き)、椎茸のバターソテー、サラダ、冷奴、サラダ、ワカメの味噌汁、ご飯。

先日、査読の依頼をお断りした雑誌から再びメールが届く。返信を見ていないのだろうか。最初のときは英語のメールで一部が日本語になっていたので、スタッフに日本語を理解する人がいるものと思って、日本語でメールを書いたのだが、それがいけなかったのかもしれない。おまけに今回は完全に英語のメールだったので、しかたなく英語のメールを書いて返信しようとしたら、送信する直前に日本語のメールが届いて、私からの返信に対する返信が遅くなってすみませんでした、了解しましたと書いてあった。英作文の時間が無駄になった。

1時半、就寝。