フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月10日(木) 晴れ

2021-06-11 12:03:55 | Weblog

9時半、起床。

トースト、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昨日のブログを書いてアップする。

大学院の演習の準備。

3限(1時から2時半まで)は大学院の演習(オンライン)。13時開始とセットしておくべきところを1時開始としてしまい、直前に気づいて慌てて修正する。どうも24時制というものになじむことができない。日常生活でときどきあるのは「16時」を「午後6時」と間違えてしまうことである。午後4時までの催しを午後6時までと勘違いして、出かけて行ってもう終わっていたということがある。西暦と元号の併用と同じように不便である(私は元号というものはあってよいと思うが、書類の日付などは西暦を基本にしてほしい)。

今日の演習は、竹内洋「教養知識人のハビトゥスと身体」を読んでのディスカッション(おしゃべり)。

庭のナツ(よく私の部屋に上がり込んできた半野良猫)の墓の水の器を洗ってきれいにする。4月末に草取りをしたが、雑草の生命力はすごい。でも、このくらいのほうがいい。

今日も雲のない真夏日。

昼食を食べに出る。

「テラスドルチェ」で焼肉ピラフとコーヒーでもと考えていたが、店の前まで行ってみると、内装工事のためお休みだった。

バーボンロードを歩く。「盛岡冷麺」という選択もチラッと考えたが、昨日の昼も麺(稲庭うどん)だったからな・・・。

東急の踏切を渡る。母校、御園中学が見える。屋上に「挨拶と笑顔が自慢の御園中」という標語(?)が掲げられていて、ちょっと恥ずかしい。

環八沿いの「サッカバッカ」に行く。

ビビンバとリンゴジュースを注文。前菜付である。

ビビンバは前回も注文したことに出てきた気づいた。

食後にプリンとコーヒーを注文。

ケーキを食べるほどの空きがお腹にないときのスイーツとしてプリンはいい。

鞄から本を取り出して読む。

 優しい人になりたいと、最近よく悩む。

 演じてきた役の影響からか、なんとなく「柔らかい、良い人」なイメージを持たれることの多い僕だが、実のところそんなにいいモンじゃないと自分では思っている。特に仕事が立て込んで余裕がない時、悩み事がある時など、どうしても心がささくれ立ってしまう、いつも通り触れているつもりでも引っ搔いてしまうことがある。そして困っている周りの顔を見て「ああ、またワル中村が出てしまった」と後悔し、みっともない気持ちになり、落ち込む。「誰だってそういうときあるよね」と慰めてくれる人もいる。しかし困ったことに、たまに出会うのだ。同じ人類とは思えないほど、優しく、徳の高い人に。

 (中略)

 例えば年下の俳優のBくん。僕なんかよりずっと責任を背負って、周囲の期待に応えて、来る日も来る日も働いているのに、嫌な顔ひとつ見せずに声を荒げることもなく、それどころかその気さくなキャラクターで現場を盛り上げている。ストレスとか感じないのだろうか? 何食ったらこうなれるんだ? 疑問に思った僕はある日聞いてみた。「ねえ、普段何食べてんの?」「現場にいる間は芝居に集中できなくなっちゃうんで、基本何も食べないですね~」。役者の鏡か。ちくしょうめ。お茶場に行くたびに自分で差し入れたお菓子をぽりぽり食べている僕には、とてもじゃないが真似できない。

 こういう人たちとの出会いは、年齢とか経験とか性格とか以前に、そもそも身体のつくりが違うんじゃないか、僕より何らかの臓器がひとつふたつ多く入ってるんじゃないか、と考えてしまうくらい衝撃的だ。そして強烈に憧れる。どんな教育を受けてどんな育ち方をしてきたんだろう。彼らに共通しているのは、「ナチュラルにそれ」だということだ。無理している感がなく、「え、なにが?」とつるんとした瞳でいる。おなじ種族として悔しいので、何度かアラを探してやろうと観察していたのだが、結局何も見つからない。そしてアラを探そうとした自分の器の小ささを恥じて、また落ち込む。」(「太陽になりたかった男」より)

帰り道、中学の向かいの西蒲田公園に寄ってみる。本の続きをむのに適した木陰のベンチが空いてないかと思ったのだ。

でも、残念ながらそういう特等席はすでに誰かが座っていた。

いい木陰はあるのだが、ベンチがない。日向のベンチには誰も座っていない。

日向を歩いているのは小さな子供とお母さんだけだ。

帰宅してちょっと昼寝してから、本日が提出初日のレビューシートのチェック。

文キャンの向かいにあるカフェ「レトロ」が閉店するらしい、という情報が入る。お店のホームページを見たらそう書いてあった。

拝啓

  この度、Le Cafe RETRO を閉店するとことなりました。2021年6月13日で満20歳を迎える予定ですが、昨今のコロナウィルスによる影響により「人が集まる空間」としての存在意義が大きく薄れてしまった事、学生街という立地において大学における団体活動の方針がしばらく整わないだろうという想定から苦渋の決断をした次第です。

レトロは、私が31歳の時に個人事業としてプロデュースした最初のお店です。全てココから始まったと言っても過言ではありません。本当に長い間、良い時間を過ごすことが出来ました。

早稲田大学の卒業生には毎年「レトロはずっとココにあります。しんどい時は顔を出しに来てください」と張り出していたので、約束を、破ることになってしまいました。30年後に吹き抜け階段の下からセピア色になった仲間を迎えるシーン、守り切れなかった。申し訳ない…。(以下略)

https://lecaferetro.jp/wp/?page_id=694

震災で卒業式が中止になったとき、そこでゼミ卒業生(論系ゼミ一期生)が事務所から受け取った卒業証書を改めて私から手渡した場所である。

午後6時、日没にはまだ小一時間あるので、自転車に乗って散歩(?)に出る。いつも山側(本門寺方面)に散歩しているので、今日は海側(東口方面)に行くことにした。

梅屋敷商店街に入り、

そこを抜け、国道を渡り、

梅屋敷東口商店街を行き、

産業道路を渡り、

適当な方向感覚で自転車を漕いでいると、旧呑川(水は流れていない)にかかる橋を見つけた。

呑川橋という名前が付いている。たぶん旧呑川を記念して、あとから付けられた名前だろう。

海が近いことを感じさせる名前の商店街を行く。

だんだん辺境に入り込んできた。

大森一中の前に出る。大森〇中というのは十中まであるが、そうか、一中はこんな場所にあったのか(あとから調べたら森ケ崎にあった高射砲陣地の跡地に昭和25年に建てられたものであることを知った)。

今日の自転車散歩はここまでにしておこう。そろそろ日が暮れる。

呑川に出る。藤兵衛橋。

ずいぶん下流まで来たものである。もう一つ下流に旭橋があって、その先で呑川は海老取運河に注いでいる(はずである)。

上流の方を見ると、日没である。

不案内な街中を通って、見知った梅屋敷商店街に出てときは、ホッとした。

家の近くの呑川山野橋を渡る。見慣れた風景である。

「まいばすけっと」で氷菓と菓子類を買って帰る。

帰宅したのは7時半。すでに夕食の膳は整っていた。

鰤の照り焼き。

スペイン風オムレツ。

デザートは児玉スイカ。

「もっと食べられるでしょ」といつも妻に言われる。無論、食べらないことはないが、甘味は薄くなるので、このあたりでスプーンを置きたいのだ。私はキリギリスではない。これはご飯を残すとか、おかずを残すとかとはちょっと話が違うと思うのである。

食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。今回はちぎり絵と俳句。アート系と俳句のどちらもいけるというのは千原ジュニアくらいではなかろうかと思う。

レビューシートの初日の提出数は54。初日(木曜)に50、最終日(水曜)に150、残りの150が金曜から火曜日に分布する(土日は少ない)という形態はほぼ固定している。

風呂から出て、今日の日記とブログ。

2時、就寝。