9時15分、起床。
一階の雨戸を開けるのは私の朝のルーティンの1つである(雨戸が開くのが遅い家である)。そのとき窓辺には本が積んであるので、それを手に取ってしばし読み耽ることがある。
中野翠『あのころ、早稲田で』(文春文庫)。中野は1946生まれで、第一政治経済学部の卒業生である。在学期間は1965年4月から1969年3月まで(私が第一文学部に入学したのは1973年である)。
いつのことだったか、ある雑誌のコラムで作家・村上春樹が時代というものを一本のトンネルのように見たてて、
「六〇年代というのは入口と出口では全然違う」
と書いていた。
・・・極端な言い方になってしまうが、私の感覚だけを頼りにして言うと、六十年代の入口は小春日和、出口は嵐――という印象なのだった。
それはもしかしたら、私も村上春樹(私より二学年下)も六〇年代前半を「子ども」として体験したせいもあるかもしれない。
中野が「もしかしたら」と言っている部分はあたっていると思う。六〇年代の入口は小春日和、出口は嵐という感覚は、時代効果ではなく年齢効果である。六〇年代の入口には六〇年安保闘争があり、六〇年代の出口には大学闘争があった。前者の主役は労働者であり、後者の主役は大学生であった。主役が交代したのだ。そして大学闘争で主役を演じることになる若者たちは六〇年代の入口にはまだ家族の庇護の元にある子供だった。彼ら団塊の世代が子供から若者へと成長していく過程が六〇年代であり、それは戦後日本の思春期でもあった。ちなみに大学(短大を含む)進学率は六〇年にはわずかに1割だったが、六九年には2割と倍増している。明るく楽しいキャンパスライフを描いた加山雄三主演の『大学の若大将』(1961年)は大学生が選民(エリート)だった頃の映画である。
トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
昨日のブログを書いてアップする。
授業の準備。
ときおり雨が強く降っている。
1時から大学院の演習。陣内秀信「日本の都市文化の特質」をテキストにディスカッション(おしゃべり)。
授業の合間にコンビニおにぎりの昼食とり、2時45分から院生の研究指導。3限・4限と2コマ続けて授業がある場合、3限の前ではまだお腹が空いていないし(朝食が遅いから)、4限の後は夕食に近くなってよろしくない。間の休み時間に軽食で済ますのが一番。
授業を終えて(4時15分)、三階のベランダに出ると、よく晴れている。
レビューシートのチェックしてから(今日が初日である)、散歩に出る。
ラストオーダー(5時半)ぎりぎりで「スリック」に行く。
桃とカルピスのシフォンケーキを注文し、紅茶はマダムにお任せ(キームンを選んでくれた)。
桃とカルピスのシフォンケーキは夏季限定である。
客はテラス席に一人、店内は私一人。本日最後の客である。
片隅のカウンター席に梅シロップ造りのガラス瓶が並んでいる。
一瓶増やして、これが今夏の梅シロップ(かき氷や梅ソーダ・梅ジュースとして提供)である。
店を出たのは6時15分ごろ。宮の橋商店街を帰る。
日没(6時59分)まではまだ30分以上ある。
夕食は「マーボ屋」からテイクアウトする。春雨サラダ用のキュウリを「まいばすけっと」で買って帰る。
海老のサクサクフリッター、鶏肉とカシューナッツの甘辛炒め、春雨サラダ、茄子の味噌汁、ごはん。
海老のサクサクフリッターは塩とケチャップで食べるが、妻はもっぱら塩で食べている。
鶏肉とカシューナッツの甘辛炒めはよく注文する。食感がいい。
デザートはオレンジ。
食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。ドラマは録画して翌日の夕食のときに観るが、『プレバト』は7時からの放送なので、夕食(たいてい7時半から)のときにライブで観るのである。
レビューシートのチェック。初日は50枚ほど。
今日の日記を書いてから、風呂に入る。
風呂を出てから、ラジオを聴きながら、今日のブログ。
2時、就寝。