OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

広い入口って、いいかも(^^)

2006-09-25 17:02:44 | Weblog
よく、日本の大学に対する批判というか提言として、外国の大学は「入るのは簡単だけど、出るのが難しい」って話が出ますよね。思春期の大事な時期に、他の大切なことを何も経験させず、ただただ勉強を詰め込ませて、その勉強がハカドッタ子だけを入学させる。そしてその後はといったら、受験勉強から解放されてタガが外れたように遊ぶ学生を、ただ野放しにするだけ。そんな大学に、何の意味があるんだって。

たしかにね・・・一年間の受験勉強で、詰め込むだけ詰め込んだ知識が、半年で消えている息子を見ると、その非難もモットモかなと思わないこともないですが・・・(爆)。

ただ、わたし自身が、もう少し早い時期に、同じようなことを経験していて・・・それが、そんなに悪いことでもなかった気がするので・・・意見は保留にしていたんですよね。

わたしの場合ですが、これが中学の頃の話に遡るわけでして・・・わたしが入学した中学は、自分で言うのも何ですが、関西では有数の、阪神間でならトップクラスと言われる名門校だったんですよ。全国規模で有名な男子校の灘校に対して、女子なら神戸女学院と言われるくらい、本来は勉強が出来る女の子を集めた学校なんですよ・・・わたしをご存知の方は、疑わしいとお思いでしょうが、ほんとうに(爆)。

でも、東大合格率が抜群だということで日本中に名を馳せている灘校に比べ、わが母校は、関西地区以外の皆様に、そんなにお馴染みじゃない。その理由は、要するに、有名大学への進学率が高くないからでしょう。そして、その理由は「賢い(あくまでも勉強が出来るって意味で人格的に優れているわけじゃない)子を入れて、馬鹿にして出す」という学校の方針のせいだと、わたしは思います。

聞くところによると、今では、時代の要請によって、かなりシッカリ受験指導もするようになったということですが、わたしの時代には、本当に勉強に対して厳しくない学校でした。しかも、どんな成績でも、必ず10年間(中学一年生から大学四年生まで)は面倒を見ますというのがモットーで・・・実際、信じられないくらい成績の悪かった私でも放りだされることなしに、ちゃんと10年間、お世話になることができました。

制服もないし、校則も緩々だし、生徒会運営は生徒たちだけでやっていたし、運動会や文化祭も生徒主導、部活も生徒中心に運営されていて、先生たちから何かを強制された覚えが、ほとんどないですしね。わたしは、この学校の方針が、とても好きでした。生徒として通っている間もですけど、大人になってからも、この遣り方は好いと思っています。

だから「入ってからはノンビリと」というのは、一概に悪くはない気がして・・・いわゆる西欧風の大学の方針に諸手をあげて賛成するのもなあ・・・と思っていたわけです。日本の大学でも、勉強したい子は、必死に勉強してますからね。二十歳ちかくなって、強制されなきゃ勉強しないような人は、勉強する必要もないと思いますし。

ただね・・・今朝、ガレージを歩いていて・・・感じたんですよ。車の停め方が、少し歪んでいて・・・車と壁の間が平行じゃなかったんですが・・・手前が広くて、先が狭くなっていたんですよね。結局は狭くなってしまうんだということは、はっきりと見えて分かっているわけですけど、視覚的に手前が広いと、ものすごく「進みやすい」んですよ。気分的に、とっても誘われるっていうか・・・行こう!行きたいっ!!って気持ちになるんです。で、このポジティブな心理状態って、いいじゃんと思ったんですよね。

となると・・・入口は広く・・・でも、入ってから、(大学にフルイ分けられるというより)よく知って自分自身が選択していくというスタイルも悪くないかもと思えてきました。学者になりたい人なんて、そう多くないでしょ。大学で学問を究めたいという結論に達する人が少数でも、何の不思議もありません。だから、本当の意味で大学を卒業できる人が少なくても、当然ともいえます。じゃぁ、他の人は・・・自分が欲しいものを手に入れる為に、次に進むべき道や方法や必要な道具が何なのかを見つければいいんじゃないですか。

いや~・・・やっぱり、それを中学校くらいからの六年間でする方がいいかな・・・大学では遅いかな・・・大学では、もっと専門分野に分かれて、実践的に学びたいなぁ・・・やっぱり、受験的勉強に、思春期の数年、下手したら幼い頃からの十数年を費やさせるなんて、無駄っていうか害がありますよ。となると・・・やっぱり、何がいいのか・・・まだ、結論、出ないな(^^;。