OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

悼む気持ちを、どうすれば・・・

2011-03-24 12:34:04 | Weblog

こういう時期に、悲観的なことや後ろ向きなことは、外に向かって発するべきじゃないと・・・そう思うんです。明るいこと、元気になれること、前向きなことをこそ発信すべきだと。

けどね・・・少し前にUPした、梅の花の写真を見ながら・・・ふと、思い出したんです。ある年の春のことを。その年の春、桜が咲き出す頃、とっても悲しい出来事があって・・・満開の桜の花の下で、わたしは咲く花を恨みました・・・こんなに悲しいのに、それでも春は来るのか、桜は咲くのかって・・・。

それにね・・・その時、わたしの悲しさに共感してくれる人、というか、わたしと同じように、あるいはわたし以上に悲しんでいる人たちは沢山いらしたのだけれど・・・わたしは、その方たちと一緒に悲しむことが出来なかったんです・・・なんていうか・・・我がままですけど、一人で悲しみたかった・・・んです。

で・・・何が言いたいかというと・・・

日本中で、ううん日本だけじゃなく世界のあちこちでも、心を一つにして復興を支えようという、大きな動きに感動しています。そして、これならきっと、すごい勢いで被災地は復興していくんだろうなとという確信を持っています。

ただ・・・被災地が復興を果たしても、失った命は決して蘇ってこない。突然に大切な人を失った人たちは、否が応でもそれを受けとめて生きていかなければならない。だとするなら・・・そのためには・・・なんていうのか・・・悲嘆にくれる時間というか・・・悼む時間が必要なんじゃないかと・・・そんな風にも思うんですよね。

ゆっくり悲しむ余裕もないほど、残された人たちの生きるということが大変な状況で・・・そういう中でも、励ましあいながら生き抜いていくことに頑張るってことが、耐え難い悲しみで壊れそうな心を支えているのかもしれないのだけれど・・・頑張りすぎることへの懸念というものが・・・ふむ、どうなのかな・・・と。

決して、復興に向かう気持ちに水をさそうというのではないのですよ・・・それはもう、決して。ただ・・・もし・・・悲嘆にくれる時間が必要な人がいらしたら・・・少しの間、そのままそっと悲しませてあげられるといいなって・・・そして、少し落ち着いたら、少しずつでも歩き出してもらいたいなと・・・。いつか必ず笑顔を取り戻して欲しいけど・・・しばらくは笑えなくてもいいんだよって。

つらい時、忙しく体を動かすことで気を紛らわせること、よくありますし・・・無理やりにでも笑うことで、少しずつ本物の笑いを取り戻せるってこともありますし・・・頑張ることや無理することを否定はしていないんですよ。けど・・・どうしても頑張れない時は、頑張らないでいいと思うし・・・無理できないときは無理しないでいいと・・・励ましてくれている人たちは、みんなそうな風に思いつつ・・・それでも頑張ろうとしか言えなくて・・・きっと、その頑張ろうの言葉は、被災者の人たちに対してというより、自分たちに対しての叱咤激励なんじゃないかと・・・なんか支離滅裂ですが、そんな風に思ったのでした。


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