オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

起きよ。光を放て。

2015-01-01 00:00:00 | 礼拝説教
2015年1月1日 主日礼拝(イザヤ書60:1-3)岡田邦夫


 「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」イザヤ書60:1

 この元旦、ご来光を見に行った日本人も多いことでしょう。人生を四季にたとえると、私の年齢は冬の時代。冬の良さはどこにあるのかと思ったりします。山も畑も冬枯れ、しかし、冷たい風が雲を吹き飛ばした夜空はいっそう星がさえて輝き、思わず見とれてしまいます。朝、東の空は二度美しいのです。始めに太陽が顔を出す前には空を赤く染め、次に山の上に顔を出す時にはどうだと言わんばかりに輝いています。私はその光景を見るたびに自然と「天の父よ、御名が崇められますように…」と主の祈りが出て来ます。冬もいいものだと思うのです。
 年末、新しい年に備えて祈り心でおりますとイザヤ書を読むようにと心に示されて、読みすすんでいくと、このみ言葉が心に強く響いてきたのです。「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ」(60:1)。私の人生、冬枯れの時期、しかし、冬には冬の輝きがあるのだ、教会は教会として輝くのだ、そう思わされ、勇気が出て来たのです。

◇上に輝く
 話は変わりますが、以前、阪急電車今津線に乗って、宝塚に向かう途中の車窓から、住宅が広がって見える所がありました。この家々は様々な人たちが何ヶ月もかけて、建てたのだろう。一軒、一軒と建てられ、また、何年も何年もかけて働いて得たマイホームなのだろう。それぞれの家庭があり、それぞれの歴史がある。そのようにして築かれてきた町並みなのだなあと思うと何か、尊敬のような気持ちを持ったのです。その後、阪神大震災があり、この辺りも、活断層の上の家は全壊、半壊という被害に遭われたようです。築き上げるのは時間がかかりますが、壊れる時は一瞬です。また、東日本大震災もそうでした。まだまだ、復興の途上、再び、積み重ねていかなければなりません。私たちは祈って行きましょう。出来ること、示されることがあれば、お役に立ちたいものです。
 世界を見れば、紛争による破壊です。昨年のノーベル受賞者のマララさんは女子に教育をと訴えて命がけで活動しています。教育は先人達の積み重ねてきた知恵と知識を伝えていくものです。人間による破壊をやめ、教育がなされ、積み重ねて、平和の世界となっていくように、私たちは切に祈って行きましょう。
 さて、東日本大震災の被災者を励ますための、あるコンサートがなされ、ユーレイズミーアップ(You raise me up)という素晴らしい曲が歌われました。
When I am down and, oh, my soul, so weary;
落ち込んで、魂がとても疲れてしまった時
When troubles come and my heart burdened be;
困難がやってきて、心に重荷を背負った時
Then I am still and wait here in the silence,
そんな時は静けさの中、じっと待つの
Until you come and sit awhile with me.
あなたが来て、しばらく一緒に座ってくれるまで
You raise me up, so I can stand on mountains;
あなたは私を起き上がらせてくれる、だから山の上にだって立てる
You raise me up to walk on stormy seas;
あなたは私を起き上がらせてくれる、嵐の海の上を歩けるほどに
I am strong when I am on your shoulders;
私は強いわ、あなたの支えがある時は
You raise me up to more than I can be.
あなたは私を起き上がらせてくれる、私が出来る以上に
 この曲はロンドンデリーで知られたアイルランド民謡をアレンジし、作詞されたものです。賛美歌になっているのが新聖歌330番。このYou raise me upのYou(あなた)を「主」と置き換えれば、まったく賛美歌になります。主が来て、私を支えてくれれば、試練を乗り越え、自分を超えて何かが出来ていくというものです。
 イザヤは告げるのです。神の民は神への背きの罪のため、裁きを受けなければならない。バビロン帝国が聖なるシオン(エルサレム)を破壊し、ユダの民は捕虜にされていく。しかし、帝国が変わり、帝王の心を動かし、残されたユダの民はエルサレムに帰還し、シオンは再建される。その裁きの期間が終わったからと告げます。この聖書箇所はシオンの再建の預言です。主が来られて、支えてくれるというだけでなく、輝かせてくれるというのです。この言葉は究極は最後の日に現れる新天新地を言っているのであり、また、霊的には今日のキリスト者、教会に告げている言葉でもあります(60:1-3)。
 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、
 主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
 しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

◇内に輝く
 昨年のクリスマス礼拝でヘレン・ケラーの話をしましたが、タイム誌が彼女のことを20世紀の重要人物の一人に選んでいますし、マーク・トウェインが絶賛しているので、続けて話したいと思います。
 ヘレン・ケラーは生後19ヶ月で高熱に見舞われ、視覚と聴覚を失いました。彼女は後にこの状況をこう言っています。「私は無の世界の住人だった。そこには過去も現在も未来もない。感情や理性的思考のみじんもない。昼も夜もない、存在するのは空白だけ」。しかし、家庭教師に来たアン・サリバンによって、ある日、冷たい井戸水に触れた時に、これがwaterという名前だと解り、そこから、言葉の世界が開けていきました。「心地よい興奮が体を通り抜け、心の中に閉ざされていた甘く不思議なものが歌い始めた。先生が私の闇に光を照らしてくれたおかげで、人生の喜びと美しさに目覚めたのだ」。
 しかし、その後が大切なのです。ヘレンは読書を通じ、神や宗教について考え始めるのです。「なぜ神は時に私たちを試練を与えるのか?霊とは?天国はどこ?神、創造主とは?魂?」。この霊的探求に答えてくれたのがスウェーデンボルグの影響を受けたジョン・ヒッツという人です。そして、ヘレンは霊的な神秘体験を通して、信仰がはっきりします。内なる世界が開けていったのです。「天に輝く星を見る事はできないが、同等に明るい星が私の魂の中で輝いている。私にとって、魂は本質的なもの。私は万物と同じもので出来ていると思う。私にとって魂は約束の国。そこには永遠の若さ、希望、無限の可能性がある」。独特かも知れませんが、天界には障害はないと彼女は確信していました。「私の障害が神罰や事故だと思ったことはない。神に感謝します。障害のおかげで、魂と仕事、そして神を見つけたのだ」。
 ヘレンは自身の深い霊的信仰から力を得て、数々の落胆や壁に耐えました。そして、天界は「役立ちの王国」と受け止め、奉仕に向かうのです。人権運動、社会活動、執筆活動と多くの働きを進めたのですが、なんと言っても、彼女の内なる人は豊かで、輝いていたからこそ、出来たのです。また、内なる魂の輝きが出会う人に不思議なオーラをかもしだし、慰め、励ましていったのです。「神の揺るぎないお力を信じること、これらは聖書から真理を学び取り、それに従って生き、善行を行うこと、人間が古い殻を破り、自身の世界を再構築する方法だ」。
 彼女の優れたところは共感能力です。神や霊的なことを感じる能力です。真理を感じ取る感性です。また、人や物にも真実を感じ取る感性を豊かに持っていました。内なる人の輝きです。それは神から与えられたものです。私たちもこの内なる人が神の光を得て、豊かにされ、輝くことを神が約束しておられるのです。
「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」イザヤ書60:1

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