2015年2月1日 主日礼拝(使徒15:6-11)岡田邦夫
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」使徒15:11、28
先日、窓から中庭を見るとお隣の猫が通りかかった。彼(彼女)はここを通ってどこかに行き、また帰って行くのが日課のようだ。私は窓越しに“どこ行くの”と声をかけると、右前足を上げたまま立ち止まって、私を見たのである。なお見ていると、こちらを向いてきちっと座った。“道路は危ないから気い付けよ、はよう帰り”と話して、私たちは互いに瞬きして分かれた。
私、小学校1年の2学期に家が引っ越しして、学校も転校、友達が出来ず、学校に行くのがイヤでたまらなかった。母親に無理に連れられて行くこともあり、その状態のまま2年生になった。図工の時間、母親が八百屋で買い物をしている絵を描いた。担任の先生が「岡田君、ちょっと残って、その絵を大きな画用紙の方に描きなさい」と声をかけられ、放課後、先生の前で描いた。それが荒川区の展覧会に出展され、銅賞だった。朝礼の時、全校生徒の前で賞状が手渡され、私はあっけにとられているだけだった。しかし、それから、不思議なように学校と友達になじんでいけたのです。あの時、私のことを気にかけ、声をかけてくれた先生に感謝しています。
◇神の声かけ
旧約聖書を見ると、神がアブラハムに声をかけ、そして、モーセに声をかけて、救いの歴史が始まります。そして、神に声をかけられた人たちによって、救いの歴史が綴られていきます。しかし、人間の罪深さのゆえに、終焉を迎えることになり、新しい救いの時代を迎えなければなりませんでした。ついに、神の御子が天から降りてこられ、人となり、顔を合わせて、ペテロをはじめ、12人にお声をかけられ、新しい救いの歴史が始まったのです。そして、イエスはユダヤ人伝道のさなか、侮辱されていたサマリヤ人の町をわざわざ通ります。ヤコブの井戸のところで休んでいると、サマリヤの女性が来たので、イエスは声をかけます。「わたしに水を飲ませてください」(ヨハネ4:7)。そこから、会話が信仰の話に進み、魂が渇いていた女性はこの方によって満たされ、救われます。そこから町の多くの人が救い主を信じたのです。サマリヤ伝道はイエスの声かけから始まったのです。
その後、選ばれた使徒たちが聖霊に満たされて、エルサレムから始まって、異邦世界に伝道を進めます。エルサレムで迫害がおこるとピリポはサマリヤ伝道に出て行きます(使徒8:5-)。なお、ピリポは道行くエチオピアの宦官(かんがん)を見かけた時に声をかけ、個人伝道をし洗礼を授けます(使徒8:27-)。宦官が祖国に帰り、証ししたのでしょう。やがてエチオピアがキリスト教国になっていきました。
神が特別な計らいで、二人の人物を会わせます。敬虔なユダヤ教徒、カイザリヤの百人隊長コルネリオにみ使いが現れます。一方、ヨッパにいたペテロにはユダヤ人は食べない汚れた食物の入った風呂敷の幻を見させ、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない」と告げます(使徒10:15)。ユダヤ人は汚れるからと絶対に異邦人の家に入れませんが、コルネリオからの迎えが来た時、画期的なことですが、彼は行きます。そして、ためらいもなく、「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです」と言って福音を告げます(使徒10:34-35)。そこにいたすべての人が信じて洗礼を受けました。ペテロはエルサレム教会に帰ってその異邦人へのみ業を報告。聞いた人たちは神をほめたたえたのです(使徒11:18 )。
迫害の手が伸びて、ヤコブが殉教。ペテロも投獄。み使いによって獄が開かれ、彼のために熱心に祈っていた教会に帰って行きます。使徒たちがそのような状況におかれている中で、神は一人の人物に声をかけます。ここで、復活のイエスがサウロに声をかけます。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4後にパウロと改名)。彼は迫害者でしたが回心をし、主イエスからは異邦人宣教の使徒としての召命をうけます。
そして、バルナバがパウロとチームを組んで、アンテオケの異邦人教会から伝道旅行に派遣されていきます。まずは地中海のキプロス島。小アジア(今のトルコ)に渡り、ピシデヤのアンテオケで伝道。「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た」ほど、福音に飛びつくのです(13:44)。これを妬むユダヤ人たちが妨害し、この地方から追い出してしまいます。行く町々で同様なこと(福音の宣教→異邦人の受容→ユダヤ人の妨害)が起こります。「私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます」と宣言したのは個人的な思いではなく、神のみこころを示すものでありました(13:46)。
◇人の声かけ
そして、第1次伝道旅行はを終えて、アンテオケ教会に帰り、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告しました(14:27)。本部ともいうべきエルサレム教会に行く必要が生じます。報告すると異邦人の改宗を喜ぶ人たちがいる中で、異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるべきだとと異議を申し立てる者があらわれ、この教会会議の議場は混乱してしまいます。そこで、使徒たちが出した判断と決議は実にみごとなもので、この有り様(よう)というものがキリストの福音を全世界に広めることとなるのです。
ペテロは福音を信じるのにユダヤ人も異邦人も差別はない、父祖たちも私たちユダヤ人が負いきれなかったくびきを彼らに負わせるべきではないと意見を述べます。ヤコブも聖書を引用して、異邦人の救いは神のみこころであり、「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです」と主張します(15:20-21)。そこで衆議一決。決議されたことの書状をバルナバとパウロに託し、異邦人教会に届けることになります。文言はヤコブの言葉どうりなのですが、「聖霊と私たちは…決めた」のだと言います。
イエス・キリストによる救い以外にはない。これは絶対的です。そして、信じる者はだれでも救われる。これは普遍的です。ところが同じ唯一の神を信じるユダヤ人には割礼とか、生活の様々な規定があり、その中で生きています。異邦人となるとそうは生きてこなかったし、別な習慣があります。同じイエス・キリストを信じても、規定や習慣が違うのですが、それは相対的なものです。妨害するユダヤ人たちはその規定(律法)や習慣を絶対視して、他者にも強要したのです。しかし、この会議ではこの絶対的なものと相対的なものとをきっぱりと区別したのです。神に立ち返る異邦人を悩ませないという配慮。偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるよいうユダヤ人に対する配慮が盛り込まれています。相対的にどちらも良いからです。譲り合うものだからです。
言い方をかえてみましょう。イエス・キリストの神は絶対です。聖霊によって与えられた信仰も絶対といっても良いでしょう。神と私は縦並びです。ところが人と人は神の前には横並びです。信仰を持った者が誤りやすいのは、自分は信じているから、信じない人より上なのだという縦並びになってしまうことです。極端にいえば自己絶対化して、他者を見下し、力で押し切るのです。差別、虐待、侵略、搾取などの悲劇を招くのです。パウロは自己絶対化して、キリスト者たちを見下し、迫害の先方を行っていたのですが、復活の主イエス・キリストに出会い、目から鱗、本当の絶対者、救い主が解ります。自分と生活を相対化して、罪人のかしらだと自然にへりくだり、「神に立ち返る異邦人を悩ませない」という書状をもって、世界宣教の先端を駆け抜けていったのです。エルサレム会議に学び、絶対者の前にたつ、相対者というスタンスに立ちましょう。
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」使徒15:11、28
先日、窓から中庭を見るとお隣の猫が通りかかった。彼(彼女)はここを通ってどこかに行き、また帰って行くのが日課のようだ。私は窓越しに“どこ行くの”と声をかけると、右前足を上げたまま立ち止まって、私を見たのである。なお見ていると、こちらを向いてきちっと座った。“道路は危ないから気い付けよ、はよう帰り”と話して、私たちは互いに瞬きして分かれた。
私、小学校1年の2学期に家が引っ越しして、学校も転校、友達が出来ず、学校に行くのがイヤでたまらなかった。母親に無理に連れられて行くこともあり、その状態のまま2年生になった。図工の時間、母親が八百屋で買い物をしている絵を描いた。担任の先生が「岡田君、ちょっと残って、その絵を大きな画用紙の方に描きなさい」と声をかけられ、放課後、先生の前で描いた。それが荒川区の展覧会に出展され、銅賞だった。朝礼の時、全校生徒の前で賞状が手渡され、私はあっけにとられているだけだった。しかし、それから、不思議なように学校と友達になじんでいけたのです。あの時、私のことを気にかけ、声をかけてくれた先生に感謝しています。
◇神の声かけ
旧約聖書を見ると、神がアブラハムに声をかけ、そして、モーセに声をかけて、救いの歴史が始まります。そして、神に声をかけられた人たちによって、救いの歴史が綴られていきます。しかし、人間の罪深さのゆえに、終焉を迎えることになり、新しい救いの時代を迎えなければなりませんでした。ついに、神の御子が天から降りてこられ、人となり、顔を合わせて、ペテロをはじめ、12人にお声をかけられ、新しい救いの歴史が始まったのです。そして、イエスはユダヤ人伝道のさなか、侮辱されていたサマリヤ人の町をわざわざ通ります。ヤコブの井戸のところで休んでいると、サマリヤの女性が来たので、イエスは声をかけます。「わたしに水を飲ませてください」(ヨハネ4:7)。そこから、会話が信仰の話に進み、魂が渇いていた女性はこの方によって満たされ、救われます。そこから町の多くの人が救い主を信じたのです。サマリヤ伝道はイエスの声かけから始まったのです。
その後、選ばれた使徒たちが聖霊に満たされて、エルサレムから始まって、異邦世界に伝道を進めます。エルサレムで迫害がおこるとピリポはサマリヤ伝道に出て行きます(使徒8:5-)。なお、ピリポは道行くエチオピアの宦官(かんがん)を見かけた時に声をかけ、個人伝道をし洗礼を授けます(使徒8:27-)。宦官が祖国に帰り、証ししたのでしょう。やがてエチオピアがキリスト教国になっていきました。
神が特別な計らいで、二人の人物を会わせます。敬虔なユダヤ教徒、カイザリヤの百人隊長コルネリオにみ使いが現れます。一方、ヨッパにいたペテロにはユダヤ人は食べない汚れた食物の入った風呂敷の幻を見させ、「神がきよめた物をきよくないと言ってはならない」と告げます(使徒10:15)。ユダヤ人は汚れるからと絶対に異邦人の家に入れませんが、コルネリオからの迎えが来た時、画期的なことですが、彼は行きます。そして、ためらいもなく、「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです」と言って福音を告げます(使徒10:34-35)。そこにいたすべての人が信じて洗礼を受けました。ペテロはエルサレム教会に帰ってその異邦人へのみ業を報告。聞いた人たちは神をほめたたえたのです(使徒11:18 )。
迫害の手が伸びて、ヤコブが殉教。ペテロも投獄。み使いによって獄が開かれ、彼のために熱心に祈っていた教会に帰って行きます。使徒たちがそのような状況におかれている中で、神は一人の人物に声をかけます。ここで、復活のイエスがサウロに声をかけます。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」(使徒9:4後にパウロと改名)。彼は迫害者でしたが回心をし、主イエスからは異邦人宣教の使徒としての召命をうけます。
そして、バルナバがパウロとチームを組んで、アンテオケの異邦人教会から伝道旅行に派遣されていきます。まずは地中海のキプロス島。小アジア(今のトルコ)に渡り、ピシデヤのアンテオケで伝道。「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た」ほど、福音に飛びつくのです(13:44)。これを妬むユダヤ人たちが妨害し、この地方から追い出してしまいます。行く町々で同様なこと(福音の宣教→異邦人の受容→ユダヤ人の妨害)が起こります。「私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます」と宣言したのは個人的な思いではなく、神のみこころを示すものでありました(13:46)。
◇人の声かけ
そして、第1次伝道旅行はを終えて、アンテオケ教会に帰り、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告しました(14:27)。本部ともいうべきエルサレム教会に行く必要が生じます。報告すると異邦人の改宗を喜ぶ人たちがいる中で、異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるべきだとと異議を申し立てる者があらわれ、この教会会議の議場は混乱してしまいます。そこで、使徒たちが出した判断と決議は実にみごとなもので、この有り様(よう)というものがキリストの福音を全世界に広めることとなるのです。
ペテロは福音を信じるのにユダヤ人も異邦人も差別はない、父祖たちも私たちユダヤ人が負いきれなかったくびきを彼らに負わせるべきではないと意見を述べます。ヤコブも聖書を引用して、異邦人の救いは神のみこころであり、「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです」と主張します(15:20-21)。そこで衆議一決。決議されたことの書状をバルナバとパウロに託し、異邦人教会に届けることになります。文言はヤコブの言葉どうりなのですが、「聖霊と私たちは…決めた」のだと言います。
イエス・キリストによる救い以外にはない。これは絶対的です。そして、信じる者はだれでも救われる。これは普遍的です。ところが同じ唯一の神を信じるユダヤ人には割礼とか、生活の様々な規定があり、その中で生きています。異邦人となるとそうは生きてこなかったし、別な習慣があります。同じイエス・キリストを信じても、規定や習慣が違うのですが、それは相対的なものです。妨害するユダヤ人たちはその規定(律法)や習慣を絶対視して、他者にも強要したのです。しかし、この会議ではこの絶対的なものと相対的なものとをきっぱりと区別したのです。神に立ち返る異邦人を悩ませないという配慮。偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるよいうユダヤ人に対する配慮が盛り込まれています。相対的にどちらも良いからです。譲り合うものだからです。
言い方をかえてみましょう。イエス・キリストの神は絶対です。聖霊によって与えられた信仰も絶対といっても良いでしょう。神と私は縦並びです。ところが人と人は神の前には横並びです。信仰を持った者が誤りやすいのは、自分は信じているから、信じない人より上なのだという縦並びになってしまうことです。極端にいえば自己絶対化して、他者を見下し、力で押し切るのです。差別、虐待、侵略、搾取などの悲劇を招くのです。パウロは自己絶対化して、キリスト者たちを見下し、迫害の先方を行っていたのですが、復活の主イエス・キリストに出会い、目から鱗、本当の絶対者、救い主が解ります。自分と生活を相対化して、罪人のかしらだと自然にへりくだり、「神に立ち返る異邦人を悩ませない」という書状をもって、世界宣教の先端を駆け抜けていったのです。エルサレム会議に学び、絶対者の前にたつ、相対者というスタンスに立ちましょう。