オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

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2015-02-08 00:00:00 | 礼拝説教
2015年2月8日 主日礼拝(使徒の働き16:1-10)岡田邦夫


 「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」使徒16:9-10

 芭蕉の「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」はよく知られた俳句ですが、事典ではこう説明されています。「春の静けさの中、時折古池にかえるが飛び込む音が聞こえる。その音がいっときの余韻を残し、再びもとの静寂さを取り戻す」。耳を澄まして、静寂を思うのでしょう。さらに、目をそこに向けてみるのも良いでしょう。時を経てそこにある池、そこで育ったおたまじゃくしが蛙となり、岸に上がる。この時、蛙はチャポンと池に飛び込み、泳いでいく。その動きに合わせて波紋が池に広がっていく。そのような営みが目に浮かんできます。
 水面に何かが投げられれば、その波紋が広がっていきます。大きく言えば、こうです。イエス・キリストが人の世に飛び込んでこられ、神の国は近づいたという福音という波がユダヤという国に広がっていきました。そして、私たちを罪と死と滅びの中から救うため、十字架という苦悩の中に、身を投じられ、そして、よみがえられました。その十字架と復活の福音の波紋は全世界へと広まっていき、極東の私たちにも及び、救われたのです。

◇居ても立っても居られぬ心境
 最初、世界にキリスト教が広まっていった歴史が使徒の働きに記されています。地中海沿岸、ぐるりとローマ帝国の支配下にありました。この海が福音が広められていくのに大きな役割を果たしておりました。ヴォーリズという人は一般に建築家として、あるいは実業家として知られていますが、伝道のために来日した宣教師でした。ガリラヤ丸と名付けた伝道船で琵琶湖の周辺を行き巡り、伝道していき成果を上げられました。パウロは同行者と共に地中海を船で三度の伝道旅行をし、最後は囚われの身として、ローマへの船旅をしました。
 キリスト教が広まっていったのは「福音」そのものにありました。ペテロとヨハネは言っています。「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」(使徒4:20)。イエス・キリストによって、罪赦され、義とされ、永遠の命が与えられ、聖霊によって、それにともなう平安や喜びや確信が与えられたのですから、のべ伝えずにはいられなかったのです。パウロは第一回の伝道旅行ではおさまらず、第二回の伝道に行きます。「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。『先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。』」(15:36)。居ても立っても居られなかったのでしょう。意見が合わず、バルナバはマルコを連れ、キプロス島に向かい、パウロはシラスを連れて、陸づたいに小アジアを西に進んで行きます。仲間割れも福音の前進につながります。伝えずには居られない思いがあるからです。私、若い時に先輩の牧師から「教会の問題はすべて伝道によって解決するのだ」と言われた教訓を思い起こします。
 確かに、突き動かすものはあるのですが、正しい方向に行くように、主の言葉があるのです。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」という大いなる命令と使命(マルコ16:15)。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」という約束と保証(使徒1:8)。

◇やむにやまれぬ状況
 パウロは小アジア(今のトルコ)の諸教会を励まし、クリスチャンの人数も増えてはいくのですが、それでは収まらない事態になります。私、勤めていた会社はシリコン樹脂も製造していました。ある状態に作るとガムのように伸びる。丸めれば、天然ゴムより弾む。それを床において、思い切りハンマーで叩くと粉々になって飛び散る。それを集めて丸めれば元に戻る。不思議な性質があるというのを実際やっているのを見ました。キリスト教も、伸びたり、弾んだり、散ったりします。特に迫害にあい、そこにいられなくなり、散らされると散らされた所で、かえって伝道が進んでいったのです(8:1、4、11:19)。
 この章では迫害という阻止ではなく、聖霊の阻止ということが起きたのです。「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、(北の方の)フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、(更に北にある)ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、(最西端の)トロアスに下った」(16:6ー8)。神は私たちに時に思いの中に止めるような働きをすることがあります。後で、神の計らいを知ることがあります。この時は伝道史上、極めて重要な時でした。
 「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」(16:9 ー10)。ここで、神が直接、エーゲ海の向こうのマケドニアに渡っていけと命じられ訳ではありません。マケドニア人の助け、求めを幻で見て、これを信仰の判断で、渡航の決心をしたのです。
 海という隔て、アジアとヨーロッパの文化の違いという壁を乗り越えさせたのは、求めている人たちの引き寄せでした。宣教命令があり、聖霊保証があるのですけれど、「求めよさらば与えられん」。私たちは求めている人たちの所に行くのです。パウロはヨーロッパ人の求めを感じ取り、信じて確信に立ち、直行したのです。こうして、ヨーロッパ伝道が始まったのです。
 最初はピリピ。祈り場でルデヤという婦人に会います。求めていたのです。「主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、『私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。』と言って頼み、強いてそうさせた」(16:14-15)。
 迫害に会います。むち打たれ、獄に入れられます。しかし、「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、…突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった」のです。目をさました看守はこの事態に自殺しようとします。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫びます。看守がふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」ともとめます。ふたり言います。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(6:31)。看守はふたりを引き取り、その打ち傷を洗ってから、彼とその家の者全部がバプテスマを受けたのです。そして全家族そろって神を信じたことを心から喜んだのです(16:34)。それから、テサロニケ、アテネ、コリントと伝道地を拡大していきます。やがて、ローマ帝国の全域にと福音が宣教の波紋が広がっていき、3世紀をへた頃には帝国がキリスト教国になっていたのはご存じのことと思います。
 波紋は投げ入れたところから始まります。居ても立っても居られぬ心境からでしょうか、やむにやまれぬ状況からでしょうか、今日、私たちは「マケドニアの叫び」の声を聞いて、立ち上がりたいと思います。

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