オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

目からうろこ

2015-01-18 00:00:00 | 礼拝説教
2015年1月18日 主日礼拝(使徒の働き9:1-19)岡田邦夫


 「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」使徒の働き9:17

 4年前、アメリカのオバマ大統領が“Change Yes We Can(チェンジ イエス ウィー キヤン)!”のスローガンを掲げて就任しましたが、その演説に魅了された人も多かったようです。私も演説のCDを買いました。現実には政治を変えるというのはなかなか難しいようです。しかし、世界を変えた、人類史上最も偉大な人物とは誰でしょうか。インターネット百科事典(ウィキペディア)でユーザーらがランク付けしているトップはイエス・キリストだそうです。確かにそうですが、イエスは神の御子ですから、例外です。キリスト教にとって、最も重要な人物といえばパウロです。彼がいなければ、キリスト教は確立しなかったでしょうし、また、世界に広がってはいかなかったと言われています。今日はそのパウロの話です。

◇変えないもの
 サウロという青年がいました。彼はキリキヤのタルソという外国生まれなのですが、イスラエルはベニヤミン族の血を引く、きっすいのヘブル人で、ガマリエルという律法学者のもとで厳格な教育を受け、熱心なパリサイ人でした。それでありながら、ローマ市民という特権を得ている人でもありました(ピリピ3:5、使徒22:3、28-29)。家柄も良く、学歴、学識もあり、品行方正、国際人といった、なかなかの人物でした。
 そのようなユダヤ教徒にとっては、ナザレのイエスを救い主、メシヤだとする人たちの教えや振る舞いは全く間違っているから、これを撲滅しなくてはと行動に出たのです。「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった」(9:1-2)。ところがダマスコの途上、突然、天からの光が巡り照らしたので、彼は目が見えなくなり、倒れてしまいます。そこに何か声を聞いたのですが、誰もいません。そこで、同行していた人たちがダマスコに連れて行きます。
 そこで祈っていると幻を見ます。アナニヤという人がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになる幻です。一方、ダマスコにいたアナニヤの方も幻の中で告げられます。『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人を尋ねよと。アナニヤは彼がひどい迫害者だと訴えるのですが、主はこう言われ、サウロも元に送り出すのです。
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(9:15-16)。アナニヤはサウロの元に行き、手を置いてこう言います。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです」(9:17)。するとたちまち、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになり、立ち上がります。そこで洗礼を受け、聖霊に満たされます。
 サウロは数日間、ダマスコの弟子たちと共におり、これまで迫害していた者がただちに諸会堂で熱心に伝道を始めるのです。今度はユダヤ人から目をつけられ、サウロは殺されそうになるものの、逃げてエルサレムの弟子たちのところに行きます。ここでも殺害の手が伸び、タルソに行くというように、主がアナニヤを通して告げられたように、これを皮切りに迫害の中での異邦人伝道=世界宣教が繰り広げられていくのです。後にパウロ(小さい者)と改名します。
 パウロは3回の世界に向かっての伝道旅行とローマ行きと13通の教会あての手紙(新約聖書になったものは)を通して、律法主義で民族主義の宗教を大きく変えて、次のようなキリスト教を打ち立てたのです。彼は…、
○最も重要なメッセージに堅くたっていました。十字架と復活の福音、それは12使徒から受けたことであり、それを伝えてたこと(1コリント15:1-8)。
○旧約に本来のメッセージを引き出しました。人が救われるのは行いによるのではなく、信仰によるのだということ(ガラテヤ2:16、3:11)。
○世界に向かうメッセージを打ち立てました。福音は信じるすべての人に救いを得させる神の力だということ(ローマ1:16)。
 といって、それはパウロの独自のものではなく、イエス・キリストの直弟子、十二使徒の継承者として生き、活動したのであり、使徒の働きにおいて、みごとに証明されていることを付記しておきます。
 申しあげたいことは、主イエスは小さい者を最大に用いられるということです。「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです」(1コリント15:9 -10)。

◇変えたもの
 パウロを迫害者から、宣教者に変えたのはもちろん、復活のキリストですが、その出会いの時の言葉に目を向けて見ると、彼を回心させた人たちがいることが解ります。
 「そして彼は地に倒れ、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。彼は問うた、『主よ、あなたはどなたですか』と。答えがあった、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。ともあれ立ち上がって町に入りなさい。そうすればなすべきことが告げられよう』と」(9:4-6)。迫害されていたのはキリスト者です。しかし、信徒と一心同体、一緒にイエスが苦しめられていたと言うのです。彼は直接、十字架にかけられたイエスを目撃してはいないでしょう。しかし、迫害されているキリスト者を通して、イエス・キリストを見させられたのです。
 その一人がステパノ。激怒したユダヤ人たちがよってたかって石を投げつける。そんな中で彼はキリストの姿を見、執り成しの祈りをし、御手にゆだねて、輝いて、天に凱旋していきました。着物の番をしていたパウロはその様子を目撃し、自分とは何か違うもの、動かしがたい何かがある、そう感じていたのでしょう。他の迫害されている人たちの輝きを感じて、自分の有り様がこれで良いのかという迷いや求めになっていき、それこそ、霊の目が見えなくなっていたのでしょう。そして、復活の主に出会って、目からうろこ、救いが解ったのでしょう。パウロを180度変えたのはこのような人たちです。主は人を用いるのです。
 豊中泉教会に遣わされてきた時に(1981年)、宝塚開拓を決意しました。宝塚の社宅に住んでいたT姉がどうしても宝塚に福音的な教会がほしいと友と祈っていたからです。臨時総会で決議されてすぐに、一人の年配の客員が宝塚の土地を寄付されたので、プレハブを建てて、そこで伝道を開始。まもなく、新会堂の建設に取りかかりました。しかし、T姉は病いにおかされ、志半ば、会堂の完成を見ることなく、天に召されていきました。彼女は霊的に素晴らしいピアノの奏楽者でしたので、葬儀の時には「未完成交響曲」と題して説教をさせていただきました。教会員は思いました。彼女の死をむだにしてはならない。彼女の志を継いで、伝道に励もうと心が燃やされました。献堂式では皆、どれほど喜んだでしょうか。会堂献金も100万、余剰が出るほどでした。
 その宝塚泉教会の会堂が出来た時に、次は福知山沿線に開拓するというビジョンが静かに与えられました。二期工事も終わり、宝塚泉教会も祝されていました。豊中から三田に引っ越す人が起こされ(1994年)、宝塚泉教会による三田開拓のビジョンが与えられ、家庭集会が始まりました。その矢先、阪神大震災が起き、宝塚泉教会のG姉と姑さんが全壊した家の下敷きになり、亡くなられました。葬儀の時、ご主人が言いました。妻は母を含め、皆クリスチャンにしました。わが家の伝道者でした。今回、自らを犠牲にして、家族を守ったのではないかと思います。
 教会の人たちにとっても大変なショックでした。三田開拓のためには真剣に祈ってくれていた人です。ここでも、教会の人たちは思いました。彼女の召天を無駄にしてはならない。三田の開拓をもっと強く進めていこうという思いになっていったのです。そして、集会を重ね、祈りを積んで、1998年、この建物が与えられ、三田泉キリスト教会が設立され、今日あるを得ているのです。
 聖徒の死は尊いのです。証詞となり、霊を燃やし、福音の前進となるのです。有能か、そうでないか、それは問題ではないのです。主イエスは小さい者を選び、目から鱗、すなわち、福音の神髄を悟らせ、そして、みこころがなるように、福音宣教がなされるように小さな器を用いられるのです。そして、世界を変えていくのです。

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