ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

チャコ

2023-05-10 10:32:39 | 健康・病気・薬・食事
30年ちかく働いてきた銀座の街を離れるとなると、いささか感傷的にならざるを得ない。

東京原住民の私だが、銀座の街とはあまり縁がなかった。幼少期に祖母に連れられて築地に買い物へ行き、その帰りに銀座スエヒロで牛肉のコマ肉を買って帰ったくらいしか記憶にない。

だから30過ぎて銀座の街で働くようになるとは、まったく予想外であった。若かりし頃は酒豪であったS先生だが、糖尿病になってからは断酒したそうだ。元々酒好きが故に銀座に事務所を構えたと噂のあったS先生である。

断酒してからは美味しい食事に拘るようになった。はて?糖尿病はどうするのだ。

その答えはすぐに分かった。たとえば歌舞伎座近くのステーキハウス「チャコ」に行くとS先生はNYヒレステーキを頼む。同伴する私は先生の勧めるサーロインステーキだ。

そして配膳されると自分のヒレステーキをカットして三分の一を私の皿に移す。こうしてカロリー制限を守っていたようだ。その結果、私の体重はぐいぐいと増え、3年後には10キロ近く太っていた。

私も減らせば良かったのだろうが、如何せんあまりに美味し過ぎた。S先生は自らグルメと名乗ることはなかったが、確かに美味しい店には詳しかった。しかも研究熱心だった。

ある日、事務所に出てくるなりTV局に電話をかけ出し、昨夜放送されていた中華料理店の場所と連絡先を訊きだしていた。そしてお昼はタクシーで私らスタッフを連れて、その店で食事である。その熱意、今少し本業に向けて欲しいと思ったが、まァ美味しい食事も悪くないので黙っていた。

良く年を取ると日本人は和食に帰るらしいが、S先生は珍しく洋食志向が強かった。おかげで美味しいフランス料理店などにも良く連れていってもらえた。もちろん和食も好きだったが、何故か座敷での食事は嫌がった。どうも靴を脱ぐのが面倒だったらしい。

こうして思い返すと、私は随分と良い店で食事をさせてもらえたのだと思う。そして残念なことだが、その多くは現在は閉店してもうない。特にコロナ禍による飲食店の閉店が痛かった。

コロナ前に私が昼食を頂いていたお店の大半が、今はもうない。冒頭に書いたステーキハウス「チャコ」は本当に良い店だった。私はここでステーキの美味しさを学んだといって良い。歌舞伎座の裏手にあったのでご記憶の方もいるかもしれない。

階段を下りて地下一階にあったのだが、客席の一部に暖炉があり、そこでステーキを焼いてくれた。専門の料理人がいて、客の好みに合わせて上手に焼いてくれた。私はここで本当のレアステーキとは赤身が残った肉ではなく、赤身にも十分火が通ったものだと知った。意外だったのは、ウェルダンよりもレアの方が焼き上げるのに時間がかかることだった。

なぜかというと、赤身の部分を綺麗に残すため、低温でじっくりと焼き上げるからで、強火では表面だけ焼けて、中に火が十分通っていない半生のステーキに成り下がる。これは調理人の技量にもよるけど、本当のレアステーキを出せる店って、それほど多くないと私は思っている。

ちなみに欧州のレストランでは、ステーキ専門の料理人が焼くそうで、高い技術を持つものだと評価されているらしい。またBBQ好きのアメリカ人は、ステーキの焼きについては一家の主が一切を仕切ることが珍しくない。日ごろは奥様に料理を一任するとしても、ステーキだけは自分で焼かねば納得しないとか。

糖尿病に片足突っ込んでからはステーキは避けているが、検査データーが良い時は少し食べるようにしている。焼き加減はウェルダン一択で、昔はロースだったが、今はヒレ肉を好むようになった。

体重を後7キロ減らせば、再びステーキを食べて良いと医者に言われているので、その日を夢見る私です。そんなステーキ好きの私の原点が「チャコ」だったのです。
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新恐竜伝説 金子隆一

2023-05-09 10:08:00 | 
恐竜学はいつも現在進行形。

私が子供の頃の恐竜のティラノサウルスは、尻尾と後足で直立する形、つまり漢字の「入」の形で表現されていた。

ところがいつのまにやらティラノサウルスは、巨大な頭部と長い尻尾でバランスをとり、背骨から地面に垂直に立つ姿、いわばTの字で表現されるようになっていた。

これが恐竜を学問的に研究してきた成果の一端であり、コンピューターによる力学的な解析も大きく貢献しているという。

またご存じの方も多いと思うが、恐竜は鳥の先祖だと考えられるようになったのも比較的近年のことだ。ティラノサウルスも作画者によっては、羽をまとって描かれていることもある。

また未だに決着をみていない論争の一つに、恐竜温血説がある。つまり爬虫類のような変温生物ではなく、恒常的に体温を維持する哺乳類のような身体であったと主張するのである。

他にも沢山の異論、奇論があるが、どれもなかなか結論が出ない。その原因の主たるものは、化石しか資料がないからだ。しかも恐竜に限らず生物は死んだからといって、全ての生き物が化石となる訳ではない。

だから未だに発見されていない未知の恐竜の化石があるかもしれないし、絶対に化石が見つからない恐竜もいるであろうと推測できる。皮肉なことに、化石の研究は年々進歩しており、分析方法も多様化している。

より化石研究の精度が上がっているのにも関わらず、むしろ却って恐竜に関する謎は増える一方である。現在、化石調査の最先端はシナの奥地ゴビ砂漠周辺と、アルゼンチンなのだが、実はもう一か所眠れる宝庫がある。

それが南極大陸だ。現在寒冷期にある地球において、南極は数キロに積み重なった氷床に覆われているが、恐竜が棲息していた白亜紀、ジュユ紀、三畳紀は今よりも温暖であり、この地にまだ見ぬ未知の恐竜の化石がある可能性がある。

つまり今も恐竜学は現在進行中の分野なのだ。私が子供の頃のTレックスが大きく変貌したように、半世紀後にはさらに変わっている可能性は十分にある。

だからこそ想像の夢が拡がる分野であり、ワクワクが止まらない分野でもある。だが学問的には、まだまだ謎多き未完成な分野でもある。

正直に云うと、表題の本を面白いと思える方は少数派だと思う。恐竜に関心がある方でも、学問的な矛盾や学者による見解の相違まで楽しめる訳ではない。実際、私は少し辛かった。

原因?それは私が元々は怪獣好きだからです。あんまり真面目すぎると肩身が狭くなる感じ。私程度だと「ウルトラ怪獣大図鑑」あたりが一番楽しめるんですよねぇ・・・
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新たな展開

2023-05-08 09:26:16 | 日記
今から4年ほど前のことだ。

うちの事務所と取引のある某企業の営業の方から妙な相談を受けたのがきっかけだった。なんでも神田で40年やっている、ある税理士の先生が大怪我をして大変なので手伝ってくれないかとの事。

当時、メガバンクのリストラに伴い退職した銀行員が、転職先への手土産としてうちの事務所の優良顧問先を某弁護士法人の会計部門に持って行かれたため、売上低下に悩んでいた最中だった。

デフレ下での不況に悩む経済状況では、なかなか新規で高い報酬の顧問先は見つからない。だが事情が分からないので取りあえず、その神田の先生にお会いすることにした。

その事務所は現在は淡路町にある。以前は駅前にあったそうだが、背骨を骨折され車椅子になった先生が、動きやすいように広めの事務所に移転したとのこと。驚いたことに、その先生は事務所内を車椅子に乗って動き、今も朝から夜まで仕事に明け暮れていた。

私の事務所のほぼ倍の規模の業務をこなしていたが、やはり怪我の影響は大きく、仕事中も苦痛に耐えているようだった。その事務所には数名のベテランスタッフが居たが、その先生が直接担当している顧問先は一癖も二癖もある厄介な事業者であり、みんなやりたがらなかった。

そこを私にやって欲しいようだった。自慢じゃないが、私は税務署OBのS先生の下で、税務署に睨まれている事業者の会計、申告を長年担当していたので、厄介な決算は馴れている。

その結果、私は週に一、二回その事務所に出向いて仕事をこなした。一年もしないうちに、その先生から一緒に事務所をやらないかと誘われるようになった。私にとって新しいチャレンジであり、是非進めたいと思った。

当時、私は一都5県に顧問先を抱えて飛びまわっていたのだが、その事務所は地元密着型の仕事が中心で、神田界隈の店舗、法人が多く、事務所には頻繁に顧客が相談や雑談にやってきていた。

私は銀座で長く働きながらも、銀座地区の顧客は今や2件しかなく、地元に貢献する形の業務形態には興味深々であった。ところがコロナ禍で合併話は進まなくなった。

高齢なうえに車椅子生活で基礎体力が落ちたN先生は、人との接触をへらすため在宅ワークに切り替わるようになった。そのせいで、週に二回、それも半日くらいしか神田の事務所にいない私とは会うことが極端に減った。

そして昨年の秋にN先生はお亡くなりになった。少し前までは普通に元気だっただけに青天の霹靂であった。いろいろと紆余曲折はあったが、最終的にはN先生の事務所は私が引き継ぐことになった。

ただし二人いた古参のスタッフの一人が抜けたため、番頭格であったもう一人とパート従業員込での引き継ぎとなる。

そこで困ったことになった。実は税理士は一人で一事務所と決められている為、銀座と神田の二か所に事務所を持つことはできない。N先生の相続問題がひと段落した後、早急に一か所にまとめる必要があった。

私はこの銀座で30年近く働いてきた。それなりに愛着はあるが、神田の街に密着して仕事をしてきたN先生の基本姿勢は無視できない。悩んだが、5月に銀座から神田へ移転することを決めた。

ちなみに仕事量はほぼ倍になる。スタッフも引き継いだのでなんとかなるとは思うが、よもや還暦を迎えて引退どころか仕事が大幅に増えるとは思わなかった。新社会人として難病に苦しんだスタートを考えると、私の人生は本当にアップダウンの激しいものなのだと痛感しています。

次の課題は、私の引退と後継者育成でしょうね。まだまだやるべきことは沢山あるようです。
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風の唸り声

2023-05-06 15:03:32 | 日記
部屋の中に居ても、風の唸りが聞こえてくる。

風は気圧の高いところから、気圧の低いところへ吹き下ろされる。天気図をみると太平洋高気圧の淵が、丁度日本列島に係っている。そして日本海側には低気圧が連続して並んでいる。

風が強いのも当然だ。しかも太平洋高気圧からの風は湿っぽく、かつ熱気をはらむ。そのうえ、日本海上空の低気圧が連なっている。

凄く嫌な感じ。私なら登山を中断する天気図だ。実はGW中はわりと遭難が多い。登山者が多いのも一因だが、気候が荒れることも大きな要因になっている。

一言でいえば、冬の空気が夏の空気に入れ替わる時節だ。こんな時、山の天気は荒れる。更に付け加えるなら、荒れた天気の合間の晴れた光景が美しい時期でもある。だからこそ撤退の決断がしずらい。

十代の頃、何度か怖い思いをしている。ヒマラヤ登山にも使用されたドームテントのポールがへし折れたこともある。標高は2千メートルに満たないのに、台風がぶつかったかのような強風で立って歩けなかったこともある。四つん這いで尾根を這いずり、避難小屋に逃げ込んだ経験は忘れがたい。

風は恐ろしい。体力を奪い、体熱を奪い、気力を奪う。どうか無事に下山して欲しい。この時期は冬山の魅力と夏山の魅力の双方を満喫できるが、同時に恐ろしさをも体験できてしまう。

私自身はもう山には登れないが、学生時代の知己がこの時期にはよく登っているはずだ。風の唸りが私を怯えさせる。どうか無事に下山して欲しいものです。
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日本製戦闘車

2023-05-04 13:39:19 | 社会・政治・一般
平和な日々が当たり前の日本とは異なり、今も世界各地で政府と反政府組織が戦っている。

その双方から大人気なのが、日本メーカー製のオフロード・トラックである。トヨタのハイラックスと、日産のサファリが有名である。

世界中の軍隊、特にあまり裕福でない国々では安くて壊れない日本製オフロード車に対する信用は絶大である。それは敵方であるゲリラも同様で、重機関銃を据え付けたり、ロケットランチャーを装着したりして、即席の戦闘車両に変身させる。

トヨタや日産がどこまで分かって輸出しているのかは知らないが、余計な電子装備は付けず、頑丈さと整備のし易さ、修理の簡便さを優先させた作りは、正規兵からゲリラ、盗賊団まで世界中にファンがいる。

要するに日本メーカーが製造販売した車両が輸出され、現地で改造されて戦闘車両として人々を殺し、家屋を焼き払い破壊の限りを尽くしている。

さあ、平和を愛する市民諸君。トヨタや日産にオフロードトラックの輸出禁止を訴えたまえ。日本政府に憲法9条に反するとして、輸出規制を求めたまえ。さあ、さあ~!!!

え、私?

私だって平和を愛するナマケグマだが、自分の安寧を守るためには戦うことを辞さない好戦的平和主義者なので、むしろ武器を装着するノウハウをゲリラの方々に教わりたいと思っている。

まァ冗談はともかく、日本はちょっと憲法をいじくるだけで、世界有数の武器輸出国になる可能性を秘めた国なのは、頭の片隅に覚えておいて欲しいです。

ただし防衛省とか霞が関のお役所ご用達のメーカー製の武器は、はっきり言ってダメダメなので、あくまで民生品の軍事転用品がメインになると思いますけどね。
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