ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新たな展開

2023-05-08 09:26:16 | 日記
今から4年ほど前のことだ。

うちの事務所と取引のある某企業の営業の方から妙な相談を受けたのがきっかけだった。なんでも神田で40年やっている、ある税理士の先生が大怪我をして大変なので手伝ってくれないかとの事。

当時、メガバンクのリストラに伴い退職した銀行員が、転職先への手土産としてうちの事務所の優良顧問先を某弁護士法人の会計部門に持って行かれたため、売上低下に悩んでいた最中だった。

デフレ下での不況に悩む経済状況では、なかなか新規で高い報酬の顧問先は見つからない。だが事情が分からないので取りあえず、その神田の先生にお会いすることにした。

その事務所は現在は淡路町にある。以前は駅前にあったそうだが、背骨を骨折され車椅子になった先生が、動きやすいように広めの事務所に移転したとのこと。驚いたことに、その先生は事務所内を車椅子に乗って動き、今も朝から夜まで仕事に明け暮れていた。

私の事務所のほぼ倍の規模の業務をこなしていたが、やはり怪我の影響は大きく、仕事中も苦痛に耐えているようだった。その事務所には数名のベテランスタッフが居たが、その先生が直接担当している顧問先は一癖も二癖もある厄介な事業者であり、みんなやりたがらなかった。

そこを私にやって欲しいようだった。自慢じゃないが、私は税務署OBのS先生の下で、税務署に睨まれている事業者の会計、申告を長年担当していたので、厄介な決算は馴れている。

その結果、私は週に一、二回その事務所に出向いて仕事をこなした。一年もしないうちに、その先生から一緒に事務所をやらないかと誘われるようになった。私にとって新しいチャレンジであり、是非進めたいと思った。

当時、私は一都5県に顧問先を抱えて飛びまわっていたのだが、その事務所は地元密着型の仕事が中心で、神田界隈の店舗、法人が多く、事務所には頻繁に顧客が相談や雑談にやってきていた。

私は銀座で長く働きながらも、銀座地区の顧客は今や2件しかなく、地元に貢献する形の業務形態には興味深々であった。ところがコロナ禍で合併話は進まなくなった。

高齢なうえに車椅子生活で基礎体力が落ちたN先生は、人との接触をへらすため在宅ワークに切り替わるようになった。そのせいで、週に二回、それも半日くらいしか神田の事務所にいない私とは会うことが極端に減った。

そして昨年の秋にN先生はお亡くなりになった。少し前までは普通に元気だっただけに青天の霹靂であった。いろいろと紆余曲折はあったが、最終的にはN先生の事務所は私が引き継ぐことになった。

ただし二人いた古参のスタッフの一人が抜けたため、番頭格であったもう一人とパート従業員込での引き継ぎとなる。

そこで困ったことになった。実は税理士は一人で一事務所と決められている為、銀座と神田の二か所に事務所を持つことはできない。N先生の相続問題がひと段落した後、早急に一か所にまとめる必要があった。

私はこの銀座で30年近く働いてきた。それなりに愛着はあるが、神田の街に密着して仕事をしてきたN先生の基本姿勢は無視できない。悩んだが、5月に銀座から神田へ移転することを決めた。

ちなみに仕事量はほぼ倍になる。スタッフも引き継いだのでなんとかなるとは思うが、よもや還暦を迎えて引退どころか仕事が大幅に増えるとは思わなかった。新社会人として難病に苦しんだスタートを考えると、私の人生は本当にアップダウンの激しいものなのだと痛感しています。

次の課題は、私の引退と後継者育成でしょうね。まだまだやるべきことは沢山あるようです。
コメント (12)
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