ヌマンタの書斎

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ハーバード日本史教室 佐藤智恵

2022-06-08 11:54:55 | 
日本の学校教育から、マルクス史観は排除するべきだと確信している。

マルクス史観とは何か。端的に言えば、歴史に科学をまとわせることで、説得力を与えて資本主義が間違っていることを教導することを目的としている。

初期の資本主義社会の悲惨な労働者たちを見続けて、社会的義憤に駆られたマルクスが、資本主義が間違っていることを科学的に立証せんと書かれたのが「資本論」である。

マルクスは本来、科学ではない歴史に、科学的な装いをまとわせてより説得力を増すことを思いついた。科学とは、誰がみても客観的に事実として理解できることである。それゆえに年号を時系列に並べ、単なる事象の記載を羅列することこそ、真の歴史だと断じた。

マルクスの目的は、市民に資本主義が間違っていることを教え込むことである。そのためにこそ科学的であることが重要だとした。要するに歴史を政治目的の道具とした。これこそがマルクス史観の最大の罪であろう。

はっきり言うが、歴史は科学ではない。人文である。物語である。

一人一人の生き方が違うように、家族も違う。家族が集まり一族となり、一族が複数集まり村落をなす。そして力を合わせて生産力を増やし、余剰品を交易に出す。やがて貿易が拡がり、村落を繋げるネットワークが出来る。

こうなると生産余剰が都市という非生産者を養える。その余剰は軍事力となり、周辺に広がると同時に戦乱をも引き起こす。

歴史とは、人類の物語である。そこに住む人々ごとに異なる物語がある。全ての人々に通じる客観的で普遍的な物語など作れやしない。それが歴史の多様性であり、決して一つの色で塗りつぶせるものではない。

つまるところ、時代と立場が変れば、一つの国に対しても異なる歴史が語られる。それが歴史の本質である。

マルクスは自らの政治目的のために、歴史を一色に塗り替えようとした。それがマルクス史観であるが、世界の大半ではベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体されて以降、マルクス史観は消え去った。

しかし、困ったことに日本では今でもマルクス史観に染まった教師、記者が生き残っている。その影響を受けた生徒や読者が、自らを省みることなく実在している。特に戦前の歴史教育を知らず、戦後の歴史教育だけで学んだ歴史教師がやばい。

そんな人にとって、アメリカが日本の歴史をどう見ているかは、非常に刺激になると思う。特にアメリカの政財界に多くの人材を供給しているハーバード大学において、日本の歴史がどのように教えられているかを知ることは、自らの歴史観が崩壊する事態になりかねない。

私もまたマルクス史観の影響下にあったが、教師たちが戦前の歴史教育を知っているが故に、過度なマルクス史観を除いて授業を授けてくれた。むしろ若い教師たちのほうが、もろにマルクス史観に染まってしまった感がある。

私はマルクス史観を排した健全な歴史教育が復活することを願って止みません。
コメント (2)
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