ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

F104

2022-06-01 11:31:14 | 社会・政治・一般
未亡人製造機と呼ばれたのが、アメリカの迎撃戦闘機であるF―104スターファイターである。

アメリカ初のマッハ2を誇る高速戦闘機であった。しかしアメリカ空軍はわずか1年たらずで運用を諦めて、州の空軍へ引き渡した。原因はその高性能ゆえに故障の多いエンジンと操縦性の難しさであった。未亡人の涙に空軍首脳部は耐えられなかった。

ところが数年後、台湾海峡で軍事的緊張が生じた。いわゆる金門島砲撃事件である。この時北京政府は本気で台湾侵攻を狙っていたと云われている。急遽、アメリカは州軍からF104を引っ張り出して、沖縄及びグアムに空輸して対応した。

台湾海峡をマッハ2の高速で飛行するF104に仰天した人民解放軍は、あっけない撤退した。当時のシナの空軍機では太刀打ちできないと諦めたからだ。そしてあのベルリン危機である。この時もアメリカは保有するF104を緊急空輸した。なぜ空輸かといと、航続距離が短いからだ。そして台湾危機同様にF104の高速飛行でソ連及びワルシャワ機構軍を威嚇した。結果はご存じのとおりで、ベルリンの半分は無事守られた。

憲法9条信者は、よく覚えておいて欲しい。適切な軍事力による圧力は、戦わずして戦争を納めることが出来る。ただこのF104には問題があった。

まだこの時期だと、ソ連もシナもF104の欠点を知られていなかったのが幸いだった。このF104という戦闘機は鉛筆のような細い胴体に面積の小さな主翼と強力なエンジンを有するが故に、高速飛行が可能だが、反面低速域での運動性は難があった。

今も昔も戦闘機同士の格闘戦(ドッグ・ファイト)は比較的低速度で行われる。翼面積の小さなF104は、低速域では失速しやすいピーキーな飛行特性を持っていた。だから戦闘機同士の格闘戦では弱かった。

実際、F104は紛争地帯での戦闘機同士の戦いでは滅多に勝てなかった。アメリカ空軍が諦めるのも無理はなかった。しかし、その欠点が知られる前までは、まさに無双状態であり、戦わずして勝つといった理想的な結果を残している。あの時代、マッハ2で飛行できる戦闘機なんて、他にはなかったが故である。

しかしアメリカ空軍はF4ファントムという名機を主力とし、F104は忘れられた存在となった。ミサイルの模擬目標扱いされたり、模擬空中戦用の噛ませ犬的な扱いをされていた。

そのアメリカがF15イーグルという最新の戦闘機を開発し採用した際である。さっそくにF104との模擬戦闘が組まれた。ところが驚いたことに、F104が勝ってしまったのだ。

種を明かせば、この模擬選の際にF104のパイロットに選ばれたのは、歴戦の名パイロットたちである。彼らは知っていた、F104はその操縦が難しいが、乗りこなせば最新鋭機さえ煙にまけるほどの高度な戦闘力を有していることを。

たしかに低速域での操縦は難しい。しかし、その不安定さを利用できる技量の高いパイロットならば、とんでもない飛行技術でアクロバティックな戦闘が出来る。ちなみに、このベテランのパイロットの一人に、日本の航空自衛隊出身であるロック岩崎も含まれている。

F104は日本でも主力戦闘機として長く活躍していた。ソ連の航空機相手にスクランブル発進を繰り返して、追い返していたベテラン・パイロットたちは、しっかり整備して、その飛行特性を活かせれば優れた機体であることを知っていたからだ。

ただ、やはりそのエンジンの整備は大変であり、また技量の不十分な若いパイロットたちの命を奪ってしまったのも事実である。実際、そのベテラン・パイロットたちでさえ、使いやすいF4ファントムに主力戦闘機が代わった際には安堵している。

なお、F15イーグルは決してダメな戦闘機ではない。むしろ空中戦では不敗の記録を持つ名機である。唯一撃墜されたのは、日本の航空自衛隊で行われた模擬空中戦のさい、誤って本物のミサイルを発射してしまって命中し墜落した一件だけである。緊張感に乏しい日本らしい失態である。

安心してください。日本以上のバカがいます。お隣の半島国家では、滑走路にあるマンホールの穴を閉め忘れて、F15がその穴にはまって大破した大馬鹿事件がありますから。

まァ五十歩百歩の気もしますけどね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする