日頃は、ほとんどTVは観ないのだが、週末あたり暇があると海外の報道番組をぼんやりと観ていることがある。
先週末は、キューバのカストロ議長の死去がビックニュースであった。BBCもCNNも通常の番組編成を変えて、特番を組んで報じていた。それだけの価値があるニュースであったのだろう。
一方、日本に関するニュースは、ほとんどなくて、私が目にしたのは、府中競馬でのジャパンカップの結果だけであった。まァ、それほど長く観ていた訳ではないので、見落としもあるかもしれない。
白状すると、カストロ議長関連の報道が多過ぎて、いささか食傷気味であったので、TVを見るのに飽きてしまったからである。ところが、日本の放送局はトップニュース扱いではあるが、特番を組むほど熱心に報道したところはないらしい。
新聞や雑誌などをみても、冷戦時代の遺物扱いで、重要人物の死ではあっても、さしたる熱意は感じなかった。日本にとって、キューバの存在とは、その程度なものだと判断は、そう間違ってはいないように思う。
ただ、私の記憶では、冷戦時代にあっても、不思議なほどにキューバ及びカストロ議長に対して、日本は冷淡であったように思う。実を言えば、北ベトナム、ラオスなど東南アジアの左派陣営の国に対する態度も、そう変わりはない。
日本のマスコミが、冷戦時代、一貫して反米の立場から左派勢力に対して好意的であったことを思うと、いささか不合理に感じてしまう。もっといえば、旧ソ連の歴代の書記長、共産シナの国家主席などに対しても、日本のマスコミは必ずしも好意的ではなかった。
フルシチョフを礼賛し、毛沢東を美化し、ホー・チ・ミンを讃美する記事を読んだり、講演で聴かされたりしたが、本気で追随する気はなかったように思う。
それでいて、反米、反帝国主義、反原発を声高々に主張していたのだから、当時十代の私は、奇妙な違和感を感じていた。今だから分かるが、日本共産党も日本社会党も、本気で日本を社会主義の国にする気はなかったのだと思う。
今でも同じだと思うが、彼ら日本の左派マスコミ、左派政治家、左派市民運動家などは、メ[ズとしての反権力であり、だからこその反米、反自民、反核であったのだろう。
本気で社会主義を日本において実現しようとするならば、カストロがやったように武力革命が最も効果的だ。しかし、日本では武力革命路線を支持する人々は少数派であり、大多数の左派は話し合いにより、社会主義的な政治を部分的に導入する程度で満足していたように思う。
だからであろう。日本の左派勢力は一度も、国際的な連帯を実現したことはなかった。インターナショナル(世界的左派拡大運動)に参加していた日本共産党の宮本議長(当時)らこそが例外であり、大半の左派支持者はポーズとしての左派に過ぎなかった。
だからこそ、大国アメリカの圧力をはねつけ、アメリカの勢力圏にあるキューバに社会主義国家を実現したカストロ議長に対し、遠くから讃美することはしても、手を取り合うかのような親密な関係は拒否していた。
ポーズとしての左派支持に過ぎなかった日本の左派勢力が、カストロ議長の死に冷淡なのも、むしろ当然なのだと思います。そして左派勢力の最後の拠点でもあるマスコミが、カストロの死にあまり関心を払わないのも必然なのでしょう。