大正14年生まれ、来月83歳を迎える「男体山1098回登頂(10月7日時点)男」の田名網忠吉氏。正直、すごい人だ。人智を超えるとか意気軒昂、無病息災、晴耕雨読とはこの人のためにある言葉ではないかと思った。第10回の山岳会にふさわしいスペシャルゲストだった。
「心の洗濯」とはなかなか意義深い響きである。
(世俗的な私などは「鬼の居ぬ間の」と前に付けてしまいそうだが・・・・?)
とまれ、今年も300人を越える山仲間たちが集まってくれた。会場は文字通り熱気に包まれ、暖房も要らなかった。
この映画会の仕掛け人マサル氏。
9ヶ月も前から会場を押さえ、作品を提供(&アドバイスも)してくれる諸先生方とこまめに連絡を取り合い、新聞社・マスコミへの情宣もきっちりこなしつつ、私のような怠惰な者へも叱咤激励で重い腰を上げさせ、この夏から秋に掛けてはお二人のお子さんの結婚式のビデオも仕上げていた。さらにこれらの合間に、今回発表の自身の作品2本も手がけていたのだから完全に脱帽だ!
田名網さんとのトークは昔から旧知の間柄かと思えるほど親密で親子のような温かみが感じられた。それにしても理路整然とした言葉が淀みなくあふれる田名網氏、もうじき齢83を数える方とは思えない。
休憩時間は20分とたっぷり取ってあった。用意された田名網氏の本は完売、好評の山カレンダーもすぐに売切れてしまった。
田名網忠吉氏(2005年05月15日とちぎテレビニュースより)
「80歳男性…男体山登拝、何と1000回達成」
日光の霊峰・男体山で15日、「前人未到の大記録」が誕生した。偉業を成し遂げたのは佐野市の田名網忠吉さん(80)で、男体山登山はこの日で何と「1000回」。30代で登山を始めた田名網さんは、北アルプスなど日本を代表する山に登っていたが、50代後半からは日光連山、60歳を過ぎてからは男体山だけを登るようになった。以来、1日に2往復するときもあったというほど男体山に魅せられた田名網さんは、月に2~3回のペースで登山を続け、今月5日に999回を達成していた。この日は午前7時半ごろ日光二荒山神社中宮祠を出発し、約3時間で頂上に到着。親類や登山仲間といっしょに大記録達成を喜んだ。(写真後方左から5人目が田名網さん)
※近日中に映画会詳細、アンケート内容のご紹介などいたします。乞うご期待ください。
「心の洗濯」とはなかなか意義深い響きである。
(世俗的な私などは「鬼の居ぬ間の」と前に付けてしまいそうだが・・・・?)
とまれ、今年も300人を越える山仲間たちが集まってくれた。会場は文字通り熱気に包まれ、暖房も要らなかった。
この映画会の仕掛け人マサル氏。
9ヶ月も前から会場を押さえ、作品を提供(&アドバイスも)してくれる諸先生方とこまめに連絡を取り合い、新聞社・マスコミへの情宣もきっちりこなしつつ、私のような怠惰な者へも叱咤激励で重い腰を上げさせ、この夏から秋に掛けてはお二人のお子さんの結婚式のビデオも仕上げていた。さらにこれらの合間に、今回発表の自身の作品2本も手がけていたのだから完全に脱帽だ!
田名網さんとのトークは昔から旧知の間柄かと思えるほど親密で親子のような温かみが感じられた。それにしても理路整然とした言葉が淀みなくあふれる田名網氏、もうじき齢83を数える方とは思えない。
休憩時間は20分とたっぷり取ってあった。用意された田名網氏の本は完売、好評の山カレンダーもすぐに売切れてしまった。
田名網忠吉氏(2005年05月15日とちぎテレビニュースより)
「80歳男性…男体山登拝、何と1000回達成」
日光の霊峰・男体山で15日、「前人未到の大記録」が誕生した。偉業を成し遂げたのは佐野市の田名網忠吉さん(80)で、男体山登山はこの日で何と「1000回」。30代で登山を始めた田名網さんは、北アルプスなど日本を代表する山に登っていたが、50代後半からは日光連山、60歳を過ぎてからは男体山だけを登るようになった。以来、1日に2往復するときもあったというほど男体山に魅せられた田名網さんは、月に2~3回のペースで登山を続け、今月5日に999回を達成していた。この日は午前7時半ごろ日光二荒山神社中宮祠を出発し、約3時間で頂上に到着。親類や登山仲間といっしょに大記録達成を喜んだ。(写真後方左から5人目が田名網さん)
※近日中に映画会詳細、アンケート内容のご紹介などいたします。乞うご期待ください。
マサルさんのお知り合いでしたか。
山岳映画というユニークな世界とその仲間達を紹介してくれたマサルさんに拍手です。
今後ともよろしくお願いいたします。
ブログなのであちきもまいんちみさせてもらってましてね。
主が「しゃべる岳人・歩く楽人。」という結構なかたですので。
今後とも読んで「目は世界に。腹でぶりは当ブログで解消」、というスローガンでお付き合いするといいのでは。
映画会の様子が手に取るようにわかる写真ですね。
主、ごくろうさん。
結果ですが、話してみてよかったです。
やはり思ったとおり中身(山岳映画への想いが)がいっぱい詰まった御大でした。
撮影の極意をひとつ教えてもらったのが「大金星」でした。
もっともっといろいろ沢山「大金星」を引き出したいですね。
大谷さんからも撮影器材を大切に扱う心を教えてもらいました。ああいう暖かい触れ合いが今回の大収穫でした。
このことはブログ本稿で詳述したいと思います。
アンケート見せてもらいに伺います。よろしく。
やることをすべて出し尽くしてしまったような1日でした。
やる気むき出しでやってるもんだから。人様の前に長時間露出
したあとの「ああーあ、またでしゃばっちゃった、ア。」と舌打ち
する自分がいます。8割の能力で展開できたなら、と思う。
10年目にしてはじめて末娘が見に来てくれ、更に受付をてつ
だってくれました。{あとが怖い。}日光の86の母も駆けつけて
くれた。ステージでは開会のときからウルウル泣きたかった。
今、一人部屋に籠もって嬉し涙にふけっています。おそろしい
光景ですね。53のオヤジが。田名網さん。お話ありがとう。