今日はお休みでお出かけしましたが、その途中で愛車ホンダ エアウェーブが走行距離60000キロを達成いたしました。
新車で購入したのが2007年4月8日ですから、約2年2ヶ月での達成です。
ちょいハイペース?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、片道通勤で53.5キロを走っているのに加え、.姉のいる高知へはこの二年間で既に5回、あとは長野・福井・富山などに出かけるペースが増えたのも一因だと思います。
前にのっていた同じホンダのCR-Vは約10年乗って200000キロだったと思いますが、それを遥かに凌ぐペースです。最低10年は乗りたい・・・のですが、どうなることでしょうね。
もちろん安全な場所に「緊急停車」して撮影しました・・・
工務区のモーターカー牽引による活躍が続いております。
枕木運搬・除草剤散布・・・ときて、今度はホキ車によるバラスト散布が行われます。
わが社で唯一?の貨物車両(と言えるかはわかりませんが・・・)で、JRのホキ800と同じ車両が一両在籍しております。色が黄色に塗られているため、まったく雰囲気が違っていますが、「事業用車両」として年に何度か走っております。
走行は他の工事列車と同様、定期列車が走り終わった深夜に行われるため、なかなか走行写真や作業している所をカメラにとらえるのは困難なのです。
今夜あたり?行われるようで、工務区の社員は準備に追われていました。
さて、ここまで続くと今度は「レール運搬」に期待したいところですね・・・
準備オッケー?のホキ車
車内接客サービスの充実として、かねてから研修をうけていた「アテンダント」が本日デビューしました。
今朝の初乗務列車を撮ろうと、テレビ局・新聞社などものすごい数の報道陣が押し寄せました。期待の大きさがうかがえますね。
私の乗務列車にもアテンダントが大勢の報道陣を引き連れて?乗務されました。ちょうど団体客もあったため、乗客より報道陣の方が多かった・・・という「情けない事態」は避けることが出来ました。
初仕事で何かと緊張されたと思いますが、報道陣からの一緒に乗務しての運転士さんからの感想は?とのインタビューで答えを求められ、「デビュー戦は100点です。!」・・・と答えちゃいました。
でも確かに一緒に乗務していて、車内の雰囲気はガラリと変わった感じがしました。
これを機に「のと鉄道」ももっともっと活性化してほしいと願っております。
プロ野球 独立リーグ の公式戦が「珠洲市営球場」で行われました。
野球場と自宅は目と鼻の先、家にいるとアナウンスはもちろん、応援団や選手の掛け声も聞こえてくらい近い所にあるのです。
せっかく近くに公式戦があるから・・・と、野球そのものには興味がなくなった?のですが、暇つぶし?に行ってきました。
観客の大半は地元のリトルリーグの選手とその親。熱心な私設応援団?の姿も見受けられましたが、観客の入りはいまいちでした。
試合のほうは、石川が福井に勝利しましたが、見ていて「楽しかった」とか「迫力あった」とかは正直いってなく、ビールを飲みながら「暇つぶし」に見ていただけでした。
盛り上がりがだんだんとなくなってきている感じがするBCリーグ。ここでひとつ盛り上げるためにも、「のと鉄道」の車両一両をそっくり石川ミリオンスターズのペイント列車にしてしまえば・・・と提案したことがありますが、現実的には無理かな?
ちなみに、「土佐くろしお鉄道」の「ごめん なはり線」には「阪神タイガース」のペイント列車があって、インパクト大で走っております・・・。
球場入り口
わが家庭菜園の「イチゴ」が初収穫です。
家庭菜園の中でもとくに力をいれている「イチゴ」で、およそ30坪ある「イチゴ畑」には、真っ赤な実をつけたイチゴか、甘い香りもただよわせています。
毎年、気の会う社員らと、「イチゴ狩り」&「バーベキュー」を行っており、今年もそろそろ行おうかな・・と思っています。
昨年はあまりにたくさんの実をつけたので、会社にも何度か「差し入れ」で持っていって「甘くて美味しい」との評判をいただき、「株分け」してほしいと、常務や課長まで家庭菜園で「イチゴづくり」.をはじめたくらい・・・。
日頃は緊張しながらの仕事ですが、時には、家庭菜園情報を交換しあっています。そんなアットホーム的な会社が好きですね・・・。
家庭菜園で採れたイチゴ
今日は、私の運転士になる時の師匠「M下運転士」の一周忌の日でした。
会社では社員あげての年に一度のOD調査で、休む事がヒンシュクを買う事はわかっていたのですが、運転士にとって「師匠」は何よりも大切な人。何としてでも師匠の「一周忌」に行きたかったのだけに、会社も理解してくれて何とか「年休」出してくれました。
師匠の自宅に行くと、奥様がおられました。師匠がなくなってから「一度お会いしてお話もしたいな・・」と思っていたのですが、お葬式の時も取り込み中のため、お話もできず、そのまま一年が過ぎてしまいました。突然の来訪に奥様は大変喜んでおられました。
お仏壇とお墓にお参りさせていただき、いろいろな思い出話をさせていただきました。帰りに、亡くなってからもそのままの状態で残っているという師匠のお部屋に案内してもらって、思わず絶句・・・ドッと涙があふれてしまいました。
「いつも主人がここに飾っていた写真・・・」という部屋に飾ってあった写真が、何と・・・能登線の廃止寸前に師匠が運転した「さよなら 急行 能登路」の蛸島駅での私とのツーショットの写真一枚と、当時の穴水運転区長のIさんと私と師匠の三人で撮った写真一枚でした。
何か、写真が大事に飾られていてとても嬉しいのと、もうこの世に師匠がいないという悲しみのダブルで思わず目頭が・・・・・
その当時の穴水運転区長のIさんも一時間ほど前にお参りにこられたそうで、「大事に飾ってあった写真の二人がわざわざ一周忌にお参りにこられるなんて、主人もきっと喜んでいるでしょう・・・」と奥様も涙しておられました。
一年前、師匠を亡くしてほんとショックでしたが、あれからもう一年たってしまったんですね。師匠と弟子という関係=「恩」は、たとえ師匠が亡くなっても、いつまでも心の中で持ち続けていきたいと思いました。.
師匠のお部屋