【34行路 遅出日勤】
25日は「能登半島地震」から8年たったんですね。
この地震を語る時にいつも言っているのが、地震が起きた時に私は姪っ子(当時3歳)と遊んでいました。
確か甥っ子二人はバスケで親子で出かけて、私が姪っ子の子守りしていたハズです。
突然来た大きな揺れに、とっさに姪っ子を抱え込むように身を伏せていたのをいまだに忘れられません。
で、事あるごとに姪っ子に「地震の事覚えているか?」って聞いているんですが、
「何となく覚えている」から「なんか忘れた」って返事にかわってきました。
年月とともに記憶も薄れていくんですね。
私も同様、髪と記憶が薄れかけていっていますが(笑)、それでも地震によって大きなダメージを受けた鉄道模型の修復がいまだに出来ていません。
修復してまた地震が起きて、再びダメージ受けるのがこわいんです。
そういいながら、八年。
少しずつですが、修復していかないとね・・・
忘れかけている記憶といえば、3月25日は昭和63年3月25日に「のと鉄道」が開業した日でもあるんですが、これは完全に忘れられているような・・・