ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

ママさんバレー

2007-10-02 06:10:16 | Weblog
 昨日の新聞に北海道ママさんバレーボール大会の地区代表33チームが写真入りで紹介されていた。その中に後志地区代表でニセコのママさんバレーボールチーム「ニセコ・グレース」が写真入りで紹介されていた。その中には何人か知り合いもいた。
 しかし、後志地区代表でニセコのチームが出ることじたい凄いことだ。隣町倶知安や小樽代表を破っての代表だ。それも5回目の出場だという。小樽市は14万ほどの人口、倶知安はニセコの3倍以上の人口を持つ。たいしたモンだ。監督は知り合いの奥さんだった。兎に角、強いんだニセコのママさんバレーは。頑張れママさんチーム。

 半年前にニセコ・近藤に中古物件を購入してくれた33才の若者がいて、何の連絡もなく、突然やってきた。そして「今日からニセコ町民になりました」と。本州の某県ではソフトウェアを作っている会社に勤めていて、もう2~3年は勤めるものと思っていた。そこを辞めて突然ニセコ町民になったのだ。随分、思い切ったことをする。まあ、当分は退職金、といってもあまり貰っていないだろうが、どうにか喰ってはいけるのだろう。若いし、すぐに仕事は見つかるだろう。それにしても突然なので驚いたが、若造がまたニセコに住んでくれると思うと嬉しい。何よりも嬉しいのはこの男、ソフトウェアを自分で作ってしまうくらいだからコンピュータに詳しい、特にマッキントシュに。彼も含めて、あっと言う間に俺の廻りにマックの得意な人が集まってきた。いいぞ、いいぞ。

 ここに来て貸家を探している若者が目立つ。しかも、小さな子供を持った若者夫婦だ。その他にも何組みか貸家を探している。こんなことなら貸家やアパートでも建てればいいのだけれど、彼らの要望する家賃は3~4万前後をだ。むしろ、住めればいい、安ければいいという感じだ。そんなリーズナブルな価格で貸してくれる貸家は滅多にない。だいたい貸家じたいがない。農家の空き屋もあるにはあるがほとんど倉庫になっている。何かいい方法はないだろうか、この若者達がニセコに住めるようになるのに。

 夕方、中犬ハナ公を散歩させていたらパラパラと雨が降ったと思ったら羊蹄山側に180度の虹がでた。余りにも大きくて一枚の写真には出来なかったが見事な180度の虹だった。虹も良く出る。

 10月2日朝、少し雲が多いが晴れそうだ。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まとまり | トップ | コメント »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (町民の声)
2007-10-02 07:51:50
住めればいい、安ければいいという感じ、なんて奴等。
どうせ税金も給食費も年金も払わないし、買い物は他町村に行く。下手したら生活保護。除雪費や健康保険料も視野には入ってない。
この町には仕事はない。あっても、本人たちの希望する額には至らない。大きな都市でぬくぬくと育った「ゆとり」が住めるような場所ではない。
ニセコに住ませたって本人も町も周囲も不幸な結果になるのは目に見えているのに、なぜ住ませたいのですか?
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事