ニセコ生活

2000年4月にニセコに移住、その生活を紹介します。

パン屋さん

2006-10-31 06:18:55 | Weblog
 昨日の朝は霜柱が立っていた。今年初めての霜柱だと思う。隣、近所は植木などの冬囲いも終わり、冬を迎える準備が出来ている。我が家は相変わらず何も手をつけていない。 
 先日、隣町真狩にある看板のない、ここがパン屋さん、というパン屋さんに寄った。口コミで評判の店だ。この前の道路はよく通るが寄ったのは初めて。
 週末だったから混んでいたのだろう、車が1台止まっていて我々ともう1台が停まろうとしていた。駐車場なんて無い、少し広くなった入り口に停めるので精々2台ほどしか停められない。しょうがないので路肩に停めたほどだ。
 僅かな時間だった。それなのに5台ほど停まってパンを買っていく。そんなに違うの味が、と喰ってみてもその違いは分からない。特徴あるパンはあるのか、と思ってみてもそんなに変わらない。
 味も見た目も俺には判らないくらいの違いだ。しかし、お客さんは寄ってくる。何なんだろう。
 こういうのを見ると俺も石窯でパンを焼くか、となる。今年の春、パン焼き用の石窯を作ろうとして、準備を始めたがそのままになっている。鉄板で石窯用の扉は作ってもらっているので耐火煉瓦を用意するば出来る、その段階だ。耐火煉瓦屋の社長に『作り方を習いに来い』と言われているので雪の降る前に行かなきゃ、と真狩のパン屋を見て闘志というか『俺にも出来るだろう』くらいの感じになってきた。
 昨日、ヒラフをブラリと廻った。相変わらず、建築ラッシュと『for sale』の看板が目立つ。今まで絶好の雪置き場だったりしたエリアに家が建っている。この地区の雪の処理、除雪・排雪はどうなるのだろう、と思ってしまう。全然関係ない俺が思ってもしょうがないがそれくらい心配だな。
 10月31日朝、曇っている。今日で10月も終わりだ。早い。
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田口

2006-10-30 06:18:21 | Weblog
 ▲大リーグ・カージナルスの田口選手が活躍をし、ワールドリーグを制した。田口選手を見ていて、実に『いい顔』をしている、努力が実った顔だ。
 確か3年前か、彼がシーズン終了後、メキシコに渡り、メキシコリーグに参加しているテレビ番組があった。このリーグは若手を鍛えるためのもの。しかし、彼は35才くらいで参加し、腐らず前向きに一生懸命努力をしていた。それらの努力が実ったのだ。自然体で格好いい顔になっている。羨ましい。▲一時の冷え込みよりは暖かくなっているが木々の葉っぱが落ちて、見通しが良くなり、先々まで見えるようになった。風もなく暖かい日ならこの晩秋もなかなかいい。雑木林の中を歩く、落ち葉の上を歩く、ノンビリする。また、車で走っていて、落ち葉の上をゆっくり走り、踏みしめる音がいい。いい感じだ雰囲気だ。黄ばんだニセコからもう少し経てば葉っぱはほとんど落ちてスケルトンのニセコになる。これもまたいいモンだ。濡れ落ち葉だけにはならないようにしないと。
 ▲先日行われたプリンスカップの優勝目録が送られてきた。シンガポールの福ちゃんのコメントでは総額20万ですね、とのことだが、本当にラッキーだ。ニセコ東山プリンスホテルはまもなく他企業に売られ名称が変わる(はず)。ニセコ東山プリンスホテルで最初で最後の代表だ。代表者としてゴルファーの憧れ川奈でプレイをする、それをイメージするだけでワクワクする。ここ最近ではこんな嬉しいことはない。いいおじさんに最高のプレゼントだな。 
 ▲しかし、3月5日、川奈でのプレイはオフシーズンだ。どうやってゴルフを維持させて行けばいいんだろう。でも、3月5日まではいい目標が出来た。人間、目標があるか無しかでは全然違う。少し身体を鍛えコンディションだけは整えておこう。でも、本当に嬉しいな。
 10月30日朝、今日は気持ちの良い快晴だ。明るく行こう。
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ジャガイモ

2006-10-29 06:19:16 | Weblog
 一夜開けても二夜開けてもファイターズ、ファイターズだ。こんなに道民を、ファイターズファンを喜ばせてくれた、引き立て役になったドラゴンズに感謝せねば。
 それにしてもドラゴンズどうしちゃったんだ。戦前は断然有利だったではないか。この無様な負け方は中日ファン、そして名古屋市民、愛知県民をがっかりさせたのではと思う。
 ドラゴンズよりファイターズのほうが新庄を中心に明るくノビノビ、楽しくプレイしていたのは間違いない。ドラゴンズのベンチは何となく暗い、大人しい、印象を持った。選手と監督間の『溝』みたいなのがあったのではないか。ベンチの中を見ている範囲では会話があるとは思えなかった。やっぱり何事も明るく楽しく、そしてコミュニケーションだな。
 しかし、新庄君のグラブ、入団した当時のものを17年間使っていたなんて、信じられないな。商売道具だけは丁寧に使い、大切にしている。ど派手なパフォーマンスと古いグラブ、新庄を表している気がした。
 
 昨日、ジャガイモの出荷をし久しぶりに力仕事をした。10キロのジャガイモの箱を2つに重ね、それを自動の紐巻き機で縛る。それを移動も含め約100回。こういった汗ばむ単純な力作業が俺には合っている。時々、農家の力仕事がやりたくなった。
 ジャガイモ掘りは勿論、百合根、長芋掘り、等をニセコに来て手伝った。いずれも大変だったがそれなりに楽しかった。それらはニセコに来て3~4年間だけだった。ここ2~3年は何もしていない。『手伝って』と言われなくなった。最初の頃は『暇そうだ』と思って誘われた感じがする。今もそんなに代わりはないのに。でも、確実に体力は落ちてきているな、多分。
 10月29日、朝、曇っている。 
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パンク

2006-10-28 06:48:41 | Weblog
 朝、テレビをつけていると星座占いをやっているテレビ局があり、ボケッと見ている。基本的に占いは信じない。いい占いが出たらラッキーだし、最悪の占いが出れば、いい日になると思うからだ。昨日も最悪で俺の星座は12番目だった。いいことが起きるかな、なんて思っていた。
 車を走らせていたら何となく音がする。2日前にパンクしたスペアタイヤは快適だったし、後ろの荷物の移動の音にしては音の質が違った。何だろうと思って家の前に停めた。何気なしにタイヤを見た。パンクだった。3日間で前輪、後輪二つのタイヤがパンクしたのだ。
 スペアタイヤは使っているし、後ろのスペアタイヤ置くところにはパンクしたタイヤがつけてある。色々あったがJAFさんを呼んでパンクを直して貰う。まあ、でも、メカに弱い俺は、このJAFさんの会費だけは安く感じる。
 でも3日間にタイヤが二つもパンクした。山の中を走るからか、何なんだ。早く冬のタイヤに取り替えろと言っているのか。

 摩耗したタイヤを冬タイヤのスタッドレスに替えて貰うためにスタンドに持っていった。1時間くらいかかりますとのことで家に帰って2時間後に電話を入れた。未だ30分ほどかかります、と言われる。結局スタンドに一泊させる。

 2年前、倶知安町山田に土地を買ってくれたご夫妻がそこに家を建てて出来上がった。旦那は11月から、奥さんは3月から倶知安町暮らしを始める。家の引き渡しで倶知安に来た関係から焼酎バーで一杯やる。相変わらず焼酎バーは混んでいる。周りには人が住んでいないのにどこからと無くやって来る。若い二人がやっていて、雰囲気がいいのだろうな。酔っぱらう限度焼酎3杯よりは一、二杯多かった。ちょっときているな。ご馳走になってしまった。S夫妻、ご馳走様。
 10月28日、朝、快晴だ。落ち葉を踏みしめ雑木林を歩くのには最適な季節を迎えている。
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カメムシ

2006-10-27 05:59:22 | Weblog
 いつの間にか紅葉も終わり、黄ばんだニセコが少し茶色になった。朝は暖かかったが昼間は『木枯らし一番(?)』が吹いた。風が吹くとさすがニセコも冬が近く感じる。いつの間にかカラマツの葉っぱも黄ばんでいた。これが紅葉し、この葉っぱが落ちると里にも雪が降ると言われている。そんな時期だ。
 この季節にはカメムシやテントウムシがやって来る。小さいトンボもどこからと無くやってきて部屋に入り込む。特にカメムシはどこから入ってくるのだろうと思う程急に電灯のあたりにやってくる。

 北海道ファイターズがあれよ、あれよ、で日本シリーズ優勝してしまった。なんなんだい、落合ドラゴンズは。全然、迫力が無かったな。北海道を、ファイターズファンを喜ばせるだけのチームだったな。
 ベンチで座っていて微動だにしない、話しをしない、喜怒哀楽を出さない、そんなイメージだったな落合監督は。時々、マウンドに行って投手に話しをかける時は何か笑っているような、作り笑いのような、ベンチ内と外では態度が違うのかな。
 仮に俺が選手だった場合、この監督の下で働くよりはハムのヒルマン監督のほうだろうな。もうちょっと喜怒哀楽を出しても、自然体で采配してもいいのでは。わざと泰然自若を装っているような気がしてならない。自を出せよ。

 新庄選手が春先引退宣言をした時、地元の北海道新聞は『何で今時そんな宣言をするのか』と相当非難した。そんなことは忘れて新庄君を褒め称えるのだろう。新庄君は確かに泣いてはいたが、彼は涙を出さない泣き方なんだ。俺なんかどうしようもなく涙はでるのに。
 でも、この優勝は監督のヒルマンや新庄選手のお陰かも知れない。でも、何と言っても駒大苫小牧の優勝からから続いている北海道の野球ブーム、俺がチームが出来たという誇り、これら道民の強烈な後押しがあったから勝てたのだろう。前々から言っているが北海道の人達の約8割は巨人ファンだったろう。それが今はファイターズファンになっている。野球は地方の時代になったのだろう。いい時にファイターズは北海道に来た、来てくれた。
 10月27日朝、白い雲が赤くなっている。日出が近い。でも、羊蹄山は雲に覆われている。雪が降っているだろう。
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パンク

2006-10-26 06:20:50 | Weblog
 若者が中古物件を探しに来ていたので車で案内した。いつ、何処だったかは定かでないが何かヘンな音がした。車の底の部分に枝でも挟まったかと思った。車を乗っていてちょっと違和感があった。
 役場の駐車場に停め、役場で調べモノをして出てきた。役場職員で、会うと『痩せたね』と冷やかす太めのO君が『車傾いています。パンクしていますよ』と。本当に傾いていた。タイヤを見たO君は『ジャッキはありますか』とジャッキを取り出し、パンクを修理してくれる勢いだった。『30分はかかるだろうよ(仕事大丈夫か)』というとそれもそうですねといって今度は電話帳を持ってきて修理屋さんに電話をしてくれた。実に面倒見がいいな。
 俺はパンクも直せず、車を取り替えることも出来ない。それで何とか自動車連盟に入っているので、そこに電話を入れた。30分ほどで駆けつけてくれて直して貰った。係の人が『タイヤの色が上と下では違うでしょう』ということでパンクの後もだいぶ乗っていたようだ。気になる音はパンクだったのだ。初めての体験だったのでパンクが判らなかったのだ。
 これらのタイヤは摩耗し、冬タイヤを付けるまで何とか持てばいいと考えていた。スペアタイヤに取り替えて貰ったが少し早いが冬タイヤに履き替える時期なんだろう。
 夜、廃校した宮田小学校の跡地利用検討委員会の第一回の集まりがあった。検討委員募集ということで俺は公簿に応じて手を挙げた。真面目に考えてやろうと、いいアイデアを出してやろうと単純に考えて応募したのだ。考え過ぎなのかも知れないが場の雰囲気がよく公簿に応じてくれた、というより俺が不動産業をしている関係からか、ちょっと違和感があった。
 しかし、公簿の応じて手を挙げた物好きだ。無料奉仕の公簿で手を挙げた人を大事にというか、よく手を挙げてくれたというような雰囲気作りは出来ないのか、と。 
 以前に補助金検討委員に同じように応募し、委員になった。その時と今回の公簿に応じた委員の扱い方が全然違うな。毎回毎回同じような顔ぶれで話し合っても斬新なアイデアでないだろう。毛色の変わった、ヘンな人を持ってくることに意義があるのだ。まあ、とりあえず、小さなことは気にせず、それなりの意見は出していこう。
 10月26日朝、曇っている。ひょっとしたら里に雪が降るかな。あ、そうそう、ハム凄いな、というよりドラゴンズはどうしちゃったんだ。
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ドック

2006-10-25 05:45:32 | Weblog
 人間ドックに向かうため札幌に向かった。ニセコに来て7年目に入っているが、2年連続4回目のドック入りだ。最初は倶知安で行っていたが朝8時過ぎに行って、最終的に終わるのが4時だったり、待ち時間が長すぎるので札幌にしている。最初の2回は町からの補助もあったがそんなことで個人で申し込み札幌に行っているのだ。
 相変わらずの結果だ。最終的には結果が郵送されるが、医師の診断からすると、アルコールを控えてください、塩分、脂モノを控えてください、痩せてください、だ。チラッとパソコン画面で見て、気になったのが血管か何かが80代のモノです、と書いてあった。若い若いと思っていてもコンピュータの数値は正直なんだろう。今度俺の酒治医sさんに見て貰わないと。
 夜は町バドミントン大会の決勝トーナメント。前々日リーグ戦で勝ち上がってきた4チームによる戦い。我が『たてちゃんず』はメンバーが揃ったが勝ち上がってきたチームも強豪だ。
 ここまで来ればベストメンバーで組んで貰わないと勝てない。そこで今回は遠慮してというか、俺が出ると負けパターン、今回は応援に廻る。
 最初はママさんチーム。これもまとまりがあり強豪。1対1から勝ち上がり、決勝戦。今度は中年の野郎チーム。1人は大工さん、もう1人はゴルフ場の人、他の二人も逞しい身体をしていた。これも1対1からフルセットで勝ち優勝。優勝賞品を5人で山分け。ソフトドリンク3本持ち帰り。いいメンバーに恵まれた。ラッキーだ。
 
 日本シリーズ第1戦でドラゴンズに負けた時に、ハムの4連敗か、と思った。ハムの投手陣がダルビッシュを除き打ち込まれるのでは、と。でも、第2戦がいい勝ち方をした。昨日も先制されたのを逆転し、ダメを押した強い勝ち方だった。何しろ、応援が凄そうだ。相手チームが可愛そうになるくらいだ。
 体育館事務室で 管理しているオヤジさんと話しながらバドミントンの試合の間に見ていた。そのオヤジさん『北海道のジャイアンツファンが全てハムのファンになったね』と言っていた。俺もそう思う。ひょっとして優勝してしまったらどうなるのか。名古屋は燃えていないようだから、どうせなら燃えてる北海道に勝たせてよ、と言う感じだな。
 10月25日早朝、ゴルフシーズンも後10日かだな。
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バドミントン

2006-10-24 05:42:24 | Weblog
 数日前、町中に住む俺より2~3才年上のYさんが、『ニセコ町バトミントン』大会に出ませんか、メンバーが不足している、とのことで案内パンフを持ってきてくれた。バドミントンは去年の冬、バドミントン協会が開いてくれた『教室』で二日間、教わったことがある。バドミントンがこんなに難しく、奥が深い、ハードなスポーツだとは思わなかった。運動神経の良い(と思っている)、特にボール競技が得意の俺が散々だったのだ。
 教室に参加し、やる気があると見ていた人もいるのかも知れない。それとも冬の運動不足をバドミントンでもやって解消したい、と教室に参加する前、相談したことをYさんが覚えていたのかも知れない。それで誘われたのかも知れない。
 4名以上7名までのチーム編成で『チーム・たてちゃんず』で恥ずかしながら参加。全部で7~8チーム集まったのか。団体戦で戦い、2勝したら勝ちだ。
 『たてちゃんず』は俺の名字から取った感じがしたがリーダーYさんの名前から。メンバーはYさん、40代の男性、そして高校2年の女史とその母親。俺を除いて皆上手い。
 初戦、Yさんと組み、トップでスタート。多分二人の年齢を合わせれば114才のコンビだ。相手エースチームにYさん奮闘するも俺が狙われ、21対15くらいでやられる。2セット目も同じようなスコアで破れる。しかし、チームは2対1で勝つ。
 2戦目はママさんチーム。対戦相手の1人の方は同じ教室に通っていた方だった。これにはYさんと組んで、圧勝。チームも勝つ。3戦目は中学の先生チーム。Yさんと組んだがこれはほぼ惨敗するがチームは2対1で勝つ。
 そう言う訳で俺は1勝2敗だったがチームは3連勝。凄いチームに入ってしまった。本日は決勝トーナメントが行われる。こりゃ、ラケット買わなきゃ。でも、Yさんは町のスポーツ・文化のリーダーだ。彼とは熟年ソフトボールなんかも一緒にやったことがある。俺よりは運動神経が良さそうだ。頭同様その動きが眩しく光り輝いていた。
 これから冬に入ると運動不足になる。こういった屋内で汗がかけるスポーツをやらなければ。夜、酒を飲んでテレビを見ながらウトウトするのも悪くはないが、スポーツをして汗を流す、こっちの方がいいな。
 10月24日早朝、外は霜が降り、氷も張っているだろう。
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ご招待

2006-10-23 06:06:31 | Weblog
 数日前、PホテルのHさんより『日曜日にプリンスカップがあるから出ませんか。優勝すると川奈にご招待ですよ。がはっは・は・は』と笑いながらの電話があった。暇だから出るかと思い参加した。10時スタートだからその15分くらい前に来てよ、と言われていたが9時半頃着いた。ホテル周りは紅葉でその写真を撮って余裕だった。ホテルの中に入っても受付がない。何かヘンな雰囲気だ。日にちを間違えたのかとフロントに行ったら顔なじみの女性がいて、別のゴルフ場です、と言われ急遽別のゴルフ場に。
 小雨降る寒い一日だった。長袖でプレイするのは今年初めて、しかもフリーズの厚いベストを着た関係から身体が回らない。飛ばないドライバー、チョロ、そしてチョロからスタート。
 一緒に廻るのは70才、グランドシニア全道5位の方、結構飛ばす。55才からゴルフを始め、狂ったように練習をしたとのこと。この方とは過去1度廻っている。もう1人の方は日本海側の町から来られた方で細身だが一発目のドライバーショットを見れば判った。寄せもうまくただ者ではない。
 日本海面する小さな町で仕事をしているという。そんな町にゴルフ練習場はあるのか、と聞くと、倒産し今はない。それで自分の家に100ヤードほどの練習場を作り、毎日クラブを握っているのだそうだ。そして全道アマチュア選手権に毎年出ているのだと。うまいはずだ。全道アマでは80人くらい出て、40番前後の成績を収めるという。
 スタートがつまずいたが、アイアンの切れが抜群だった。苦手な寄せもバンカーショットも無く、2打、3打でグリーンを捉えた。OBを出してもボギーで上がるなど。全道アマが81点、シニアが83点、俺が84点。スタートのつまずきが無ければいい勝負だった。全道アマの方は初めてのコースだったのでグリーン上で苦労をしていた。
 結果発表がある前、ゴルフ場関係者が俺を見てニコニコしている。Hさんが近づいてきて『やったよ』と小声で背中を突っつく。そう、ハンディに恵まれ優勝してしまったのだ。Wペリアとか新ペリアの競技には縁がないモノだと思っていたが優勝して、静岡県川奈行き無料招待券をゲットしてしまったのだ。全国40近くのプリンス系列のゴルフ場での優勝者集まり3月初旬川奈で大会をやる。それに出られるのだ。前夜祭、ホテル宿泊、プレイ券、多分往復の飛行機代も付いているのだ。凄いことだ。ラッキーの何物でもない。
 でも、11月初旬から4月中旬までニセコではゴルフが出来ない、ゴルフバックを封印する。練習場もオープンしていないだろう。どうしたらいいんだ、その間は。せめて85前後では廻りたいな。雪の上で練習をやるか。苫小牧駒大を見習って。
 浮かれてしまっていたのだろう。ゴルフバックを駐車場に立てて来たまま忘れている、との電話だ。でも、嬉しい一日だった。
 10月23日朝、快晴だ。ビューティフルな一日だ。
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英語

2006-10-22 05:38:52 | Weblog
 ここ2~3日で3人の若者と会った。冬場に備え、営業用の倉庫や住むところを探す20代の若造。夏(冬)はニュージーランドのスキー場で仕事、冬は日本のスキー場で仕事をしていて、年間10ヶ月は雪の上らしい。その辺のフリーターとは違い、何かこいつやりそうだなと、そう言った雰囲気を持っている。彼の周辺では『その年で借金して事業をする』ことに反対されているようだが、俺は『やれや』と励ます。
何とか力になれるといいが、ちょと要求が難しい。
 ノースバンクーバーやウィスラーに住んでいて、今は札幌に住む、30代後半の男は住むところを探しに来た。また、10年ほど勤めていたところを辞めて、住むところ、あるいは中古物件を探しに来た30代前半の若者。
 この3人に共通していることは『英語』を仕事で使っていることだ。そんなことから英語を武器として仕事を探せることだ。後の二人は翻訳や通訳の仕事をしているし、20代の若造も最初は苦労したようだが今は全然問題ない、とのこと。
 こんな若者がニセコには集まってくる。英語が話せるのは凄い、いい男だとは決して思わないがニセコで仕事を探す、仕事を行う上で有利なのは間違いない。東京などの大都会よりは圧倒的に外国人観光客(スキーヤー・ボーダー)が多いニセコ、彼らの出番は多いだろう。

 オラがチーム、北海道ファイターズが日本シリーズ第一戦で2:4で負けた。この敗因はキャッチャーにあると思っている。外角一辺倒の配球だ。後半は時々内角を要求していたが、樽美酒投手の時なんかはほとんど外角球。逃げていた。無難に外角でも投げておけば、そんなリードだった。このシリーズ勝ちたかったら捕手を替えねばならないな。見ていてイライラしてしまった。

 つい10日前は半袖でゴルフが出来たがググーンと冷えてきた。昨日も二人にゴルフに誘われたが上記のお客さんが来ることもあり断った。時々晴れてはいたが少し荒れ気味の天気。勿論半袖では出来ないだろう。
 この時期になると後3週間ほどしかゴルフは出来ない。ひょっとしたら今月一杯かも知れない、そんな雰囲気になってきた。紅葉もピークを迎えつつある。雪を迎えるこの時期も悪くはない。
 10月22日早朝、晴れの暖かい天気に成ってくれればいい。ゴルフだから。 
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ミュージカル

2006-10-21 06:38:28 | Weblog
 一日中、ミュージカル・ふるさとキャラバンニセコ公演にかかりきりだった。朝10時前に集合がかかり、荷物の搬入と舞台装置造り。
 4トントラック4台が次々に体育館に横付けされ、荷物を運び出し、それらを所定の位置に運ぶ、そしてそれらを色々と組み立てて舞台装置に。
 しかし、慣れているのだろう。テキパキしている。小さな小娘に指示をしてもらい、言われたとおりに動く。助っ人全員が何も知らない『指示待ち』状態、言われるまま、命令されるままに動く。
 10時前から始まり、1時15分頃、終了となる。しかし、出演者全員が舞台装置作り、そのシステマチックな動きに感心するとともに、こうやって舞台を作っていくのかと思った。
 再度4時に集まり、今度はお客様が入ってくるための受け入れ。一番駐車が多くなる町民センターでの赤く点滅する蛍光棒を持っての車誘導係。専門の方何人かいてくれて助かる。でも、夕方のニセコのこの時期の冷えは容赦がない。
 そこに、よく見慣れたヘボな運転手が来た。何回かやってもうまく駐車出来ない。『馬鹿野郎、モタモタするな』と怒鳴ろうとしたが身内でも他人の振りをしなければ。3回ほどやり直して、どうにか入れる。乗せてきて貰えばいいのに。よくこんな駐車をしていて買い物に行けるな。
 公演名は『じしん、かみなり、火事、オヤジ』。駐車場係のため15分ほど遅れての見学。もうちょっと笑わせてくれるかと思ったが笑いはあまり無かった。公演もお客さんの入りも前回の5年前の方が良かったかな。
 終われば、また、駐車場だ。そして戻って舞台装置の解体だ。舞台の4コーナーに足場が4段積まれており、ヘルメットをかぶりその解体手伝い。解体する係のメインはたった今、長男秀一役で出演した野郎だった。俺も家造りで足場の解体組立は慣れているはずなのに久しぶりなので戸惑う。
 そしてトラック4台にそれらの荷物を入れる。結局、終わったのが23時40分。まあ、ほとんど何もしない実行委員だったが最後に来て手伝えた。チケットも少しは売った。全然苦にならないな、こんなことは。
 10月21日早朝、晴れだ。羊蹄山のくぼみの5合目まで雪がある。里に下りてくるのも間もないな。 
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加工品

2006-10-20 06:25:13 | Weblog
 一昨日、廃校になった宮田小学校を役場の方と一緒に見学した。建物の周りは1メートルの草が伸び放題で何となく寂しい。開校百周年の記念碑が真新しい。確か、2~3年前にその式典を行ったはずだ。2~3年前、盛大な式典をやり、その後、廃校とは。
 校長室には歴代校長の写真が飾ってあった。100年前の校長の写真は飾ってあったかどうか定かでは無いが、1人3年勤務したとして3,40名の写真だ。でも20名位かな飾ってあったのは。これらはどうなってしまうのだろう。この写真の方々はどう見ているのだろう、この現状を。
 建物は平成1年に教室が、同2年に体育館が建てられたとのこと。国の補助金で建てられた関係でその償還期限が残り50年ほどあるらしい。補助金をタップリ使っているのだろう。築20年弱だがそれはそれは頑丈に建てられているのが判る。地域の避難所にもなっている関係かも知れない。まあ、でももったいない施設であることは間違いない。どっか大手でなくてもいいが一括で借りてくれる企業が一番なんだろうな。研究所みたいに使ってくれる企業進出を歓迎するのだろう。有効活用のため皆さんのアイデアを募集します。

 去年土地を買ってくれた方が近藤小学校近くに家を建てて工房を起こした。木工品を作ったり、加工品を作る工房だ。木工は乾燥させたりしなければならないので未だだが加工品が出来て『たてのさんに食べて貰おうと思って』と言って写真の瓶入りの加工品を持ってきてくれた。タケノコやアスパラのジャム、そしてそれらの漬け物。未だ味見はしていないがいかにも手作りの感じがする(出している)。年齢は60代中頃の方だろう。ここニセコは美味しい農産物があるがそれらを加工する技術がない、というのが持論の方だ。実践しているところが凄いな。

 昨日、外に出してある中犬ハナ公の飲み水を入れた皿の中の水が凍っていた。多分、初氷だ。いつの間にか中犬ハナ公の体毛もビッシリと生え揃っている。冬の準備万端だ。

 10月20日朝、昨夜は雷がなっていた。紅葉もピークかなと思わせる。例年より10日ほど遅いな。
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不在

2006-10-19 04:28:24 | Weblog
 1ヶ月前のニセコ町マラソン大会に町長は不在だった。『所用』とか何とかの理由だ。普通、『出張』とか『会議』とかの理由が一般的だったので『何かヘンだ』と開会式に出席して思った。その後、『ニセコ町長、議会を検査入院のために欠席』と小さな記事で新聞に載った。
 3日に1回は役場に顔を出す。しかし、町長の動向を表示している町長室のランプは『不在』のまま、町長室の電器も消えている。
 ニセコ町は有線放送で色々なお知らせをアナウンスしている。その設備は我が家には無いので時々役場のホームページものぞいているが町長の動向は何の周知もない。
 ニセコ町は『情報公開』の町だ。それなのに多分一ヶ月前後町長不在なのに何の周知も町民にはない。これっておかしくはないか。誰かがストップをかけているのだろう。
 別に町長が体調不良で休んでもいい。人間だからそんな時もある。基本的にはリーダーはタフじゃ無ければならないというが持論だが、休んでもいい。ただ、一ヶ月も町長が休んでいるのに町民に対し、何の周知・案内が無いのは情報不公開(不幸会)の町に戻っているってことだろう。こんなことは誰が声を上げるのだ。誰もいないのか。それとも町長が不在だと言うことを誰も知らないのか。そんな存在感だったのか。こんな時代に『隠し通す』なんて出来ないだろう。
 
 近藤小学校の『ふれあい授業参観』があり、三人の学校評議員の1人でもあることから父兄や祖父母と授業を見た。校長から校長室で前期の動向を伺い、その後、授業参観となった。基本的にはこういったことは苦手だ。俺が意識しているだけかも知れないが、何か偉そうな感じで見られている、その意識があるのだ。
 小さな学校なので複式授業だ。1年と2年、3年と4年、5年と6年、それぞれ生徒は6,9,7の22名。随分と増えたが今後入学してくる子供達は先細りになっているようだ。何処何処の誰々ちゃん、なんて今後2~3年で入学してくる子を数えていたが指が倒れるのは1~2本だ。でも、こんな学校ならイジメも不登校も無いだろう。
 授業を見て思った。ノビノビやっている、やらせていると。1,2年生は漢字バトルで漢字の書き順を1年、2年対抗で、3,4年生は理科の実験、5,6年生はグループで新聞を作り発表をしていた。
 しかし、学校教育に意見を言える人間でもないので評議員は1年で終わりにして貰おう。その前に首かも知れないけど。
 10月19日早朝。外は暗く天候は不明。
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解雇

2006-10-18 06:56:57 | Weblog
 前々夜、満天星だったが昨日は雷を伴った雨だった。荒れ気味だ。羊蹄山の4合目頃までは雲に隠れていたが、頂上からその辺までは雪が降っていることだろう。確実に一日一日冬に向かっている。
 この雨でクライアントが土地を探しているので相談したいと、札幌の建築士の方から連絡があったが中止となる。羊蹄山も見えない、雷が鳴る、札幌から来てもしょうがない天候なので延期したらと電話を入れたら『今電話を入れようとしていた時でした』とのこと。札幌も同じような天候だったようだ。

 午後、土地を探している、出来れば中古住宅がついている土地、とのことで男性が来られた。一見、30歳前後かと思ったが年齢を聞いて少しビックリ。若作りだ。
 札幌の小さな会社で社長と一緒に大工をやっていたが、仕事が無く解雇された、とのこと。今年は少し早いようだが例年この時期には仕事が無くなりやめさせられるようだ。
 今、ニセコでは大工さんが足りなくて困っているほど大工さんの需要は多い。知っている大工さんはおりませんか、との問いも来ている。何しろ、ヒラフの建築ラッシュで大工さんが足りないのだ。札幌の勢いとヒラフの勢いの差だろう。

 夜、寿司屋で一杯やる。1人カウンターで飲んでいたが寂しくなり、家で一杯やっていたs夫妻を強引に誘う。そこに知り合いの社長も来て、4人で一杯。その社長の誘いに乗り、スナックで二杯。飲み過ぎた。

 それにしても一気に冷えてきた。冬服を出さなければ。

 10月18日朝、山はちょこっと雲があるが快晴だ。写真は15分前の羊蹄山。4,5合目まで雪がある。
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恐縮

2006-10-17 05:38:32 | Weblog
 朝、日ので前の5時10分過ぎに家を出て千歳に向かった。外は暗くても青空だったので山々のそのシェルエットが美しい。空気が透き通っているのだろう、太陽が出る頃には更に美しい。朝、太陽の出る前のドライブ、そしてその辺の小さな山並みのシェルエット写真もいいかも知れない。
 宅急便屋さんが米を持ってきてくれた。あきた小町と書いてあり重そうだったので米が届いたことが判った。が、送り主に記憶がない。宛先は確かに当社の名前が記入されている。宅急便屋さんが心配になったのだろう。『心当たりないですか』と。無いのだ。で、ハッと思った。
 夏頃、亡くなったオヤジが買ったという土地を探しに60代のご夫婦と近所か親戚のご夫婦4名で、その土地の確認に当社に来た方がいた。その土地が我が家の近くだったので地籍図を持って案内できた。『あの辺ですね』と言うくらいの案内だった。道が無いのでその土地まではたどり着けなかったのだ。
 電話でお礼を含め確認したがそうだった。夏に調べに来た帰りしな、そのオヤジさんが奥さんに向かい『何か(案内お礼の)お土産はないのか』、『ない』、『判った。そうしたら.....』等と小声で話し合っていたのを小耳に挟んでいた。帰ったら何か贈ってくれるのかなんて少し淡い期待は持っていたが、忘れていた。それが『あきた小町20キロ』だなんて。
 江差の方からは名物御勝手屋本舗のヨウカンを届けて貰い、札幌の主婦の方からは、主人の田舎山梨のブドウを贈りますとか、貰うものが多い。今までは調べるまでは丁寧なメールが多いが、調べてどうしようもない土地ですなんてメールをすればそのままが多かった。せめて『ありがとう』のメールくらいくれよ、という感じだった。それがヨウカンや、ブドウや、米が贈られてくる。逆に恐縮してしまう。
 夜、各地区のコミにティセンターの管理を指定管理者に移行する説明会があり、会長に代わり出席する。終わった後、たまには1人で飲もうかと居酒屋をのぞいたがカウンターは満員だった。仕方がないので帰る。
 夕方の外はだいぶ寒くなってきた。役場から居酒屋までの距離は100メートルほど、その間、歩くのも冷えてきている。暖かいものを胃袋に入れないと、という感じだ。
 10月17日早朝、外は暗くて天候は判らないが昨夜は満天星、晴れるだろう。それにしても町中とここ豊里では星の数が全然違う。豊里でもあり、豊星でもある。
 写真は千歳からニセコに向かう時、初心者がよく間違う尻別岳と羊蹄山(奥)
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