のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ウィリアム・ケントリッジ展

2009-10-11 | 展覧会
京都国立近代美術館で開催中のウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…… へ行ってまいりました。
↑リンク先で会場内の様子や作品の一部分が見られます。

展示の中心はアニメーション。と申しましてもいわゆる「アニメ」と聞いて想像するようなツルッとしたものではございませんで、切り絵のシルエットを少しづつ動かしたり、紙に描かれた木炭ドローイングを描いちゃ消し描いちゃ消ししながらコマ撮りするという素朴な手法で製作されたものでございます。素朴なだけにその手間の積み重ねたるや大変なもので、展示されている原画の中には、描き消しのすえ紙の表面がもろもろに破れているものもございました。

作品の多くは社会的なメッセージが込められたものでございます。しかし素朴な手法から生み出されるやや荒削りな迫力とアニメーションならではのユーモラスな表現、そしてどこかもの悲しい音楽がかみ合って、メッセージ云々は置いてもとにかく目が引きつけられついつい最後まで見てしまう、感覚的な魅力・引力を発しております。

初期の作品は母国である南アフリカのアパルトヘイト問題を反映したもので、社会のひずみを生み出している当事者(=裕福な白人)を告発する内容となっております。そのテーマは後年広がりを見せ、国や時代に関わらず、ひずみの存在そのものを無視することに対する警鐘へと変化しているように思われました。
サブタイトルの「歩きながら歴史を考える」とは一歩一歩、歩みを進めるのにも似た地道な製作手法の比喩であると共に、刻々と位置を変えながらも今と過去に通底する問題を見つめようとするケントリッジの姿勢でもありましょう。

また、中ごろにまとめて展示されている「ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片」は実に詩的で美しい、しかも思わず微笑んでしまうようなおかしみのある作品群でございました。エスプレッソメーカーがロケットになって月に飛んで行ったり、コーヒーカップが注がれてたまるかとばかりに机上を逃げ回ったり、散らばった紙がひらりひらりと手元に舞い戻ったりと、アーティストがアニメーションという媒体で遊んでいるような楽しさがある一方、作品を生み出す際に創作者につきまとう苦しみや苛立ちも、コミカルながら伝わってまいります。

William Kentridge (2003) Journey to the Moon (抜粋)



ケントリッジ自身は彼の手法を「石器時代の映画製作」と呼んでおりますが、展覧会自体は現在のテクノロジーあってこそのものでございまして、四方の壁に大きなアニメーション映像が投影された展示室にヘッドホンをつけて入って行ったり、円盤上に映し出される歪んだアニメーションを、その中央に立てられた円筒形の鏡で鑑賞するなど、面白い体験ができました。
作品を全部見るとまず3時間くらいはかかりますので、時間に余裕をお持ちんなって、かつ暖かい恰好でお出かけんなることをお勧めいたします。