のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

だまし絵展1

2009-10-23 | 展覧会
兵庫県立美術館で開催中のだまし絵 アルチンボルドからマグリット、ダリ、エッシャーへ へ行ってまいりました。

「作品に手を触れないでください」の表示がいつになく多かったような。気のせいかしらん。

「だまし絵」と一括りにまとめておりますが、技法も着眼点も、また「騙し」の方向性も様々でございまして、大いに楽しめました。本物と見まごうスーパーリアル絵から視覚的トリックを駆使したもの、ダブルミーニングが込められたものなどなど色々な作品がある中で、まず度肝を抜かれたのはアドリアーン・オスターデの『水彩画の上に置かれた透明な紙』。
ちと再現してみますと、こういう作品でございます。



絵の一部をわざと隠した現代アートかと思いきやさにあらず。
近くに寄ってよく見ると
よく見ると
よく見ると
いや、よくよく見ても
どこまでが絵なのかちょっと分からないのでございますよ。
オスターデは17世紀オランダの風俗画家で、市井の人々を描いた作品を多数残しております。ところが本作では、画家が得意とするはずの風景と人物が描かれた絵は、トレーシングペーパーのような薄い紙の下に8割がた隠れてしまっております。実はタイトルが示すとおり、この作品の主役は巧みに描きこまれた「透明な紙」。ごく薄い紙を指でつまんだときについてしまう波うちまでも表現されており、いやー参りましたとしか言いようのない、見事な騙しっぷりでございました。

17、8世紀の作品を集めたこのセクションでは日用品が絵の中にこまごまと描かれていたりしますので、当時の風俗の記録という側面も楽しむことができます。
そういう点で興味深かったのが、切り抜いた板にあたかも立派な大理石の彫刻であるかのように彩色したもの、要するにこういう 書き割り状の作品でございます。その隣にはあたかもレリーフ(浮き彫り)であるかのように描かれた絵なんてものもございました。こうしたものものが17世紀西欧で流行したんだそうでございます。普通に本物の彫刻とかレリーフを飾ればいいじゃんかと突っ込みたくなりますが、これが非常に人気を博したんだとか。

生活に窮する世帯がこういうものを買い求めたとは思えませんから、財力にそこそこ余裕のある家が飾ったのでございましょう。それなりに立派な屋敷内に書き割りの彫像が並んでいるのを想像しますと、何だかむなしい。騙されることの面白みがあるにしても、それを相殺して余りあるほどの空虚さがあるようにワタクシは思います。あるいはこうした奇想の作品もその深い意味合いにおいては、目の前のものが永遠ではない、全てはむなしいというヴァニタス画を生み出した時代精神の現れなのかもしれません。

次回に続きます。