のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ブロークバック・マウンテン』3

2006-04-08 | 映画
4/7の続きでございます。

ジャックとイニスの関係について考えておりましたら
全く別の映画のセリフを ふと思い出しました。

「幸福は人に分けてあげてもいいけど 苦痛は2人だけのものなの」

『上海異人娼館~チャイナ・ドール』(監督・脚本:寺山修司)の主人公O嬢が、心の中でつぶやくセリフです。
いやあ あの映画は   エロかった。
K・キンスキーの詰め襟服がまた ちっ とも似合わなくて・・・・・という話はひとまず置いといて。

何故このセリフが思い浮かんだかと申しますと
イニスとジャックが互いに対して寄せる愛情 と、彼らが各々の妻に対して抱く愛情 との差異は
相手と苦痛をシェアできるか否かという点にあるように、のろには思えたからでございます。

イニスもジャックも、妻を愛していないわけではないのです。
しかし、彼女たちは良きパートナーではあっても 孤独という執拗な痛み を分け合える相手ではなかった。

イニスの妻アルマは、田舎暮らしをやめて街に住みたいと願い
牧場育ちのイニスに、いとも簡単にこう言います。
子供の頃、近所に遊び相手もいなくて、寂しかったでしょう。私たちの子供に、同じ思いはさせたくないでしょう・・・・・
しかし、早くに両親を亡くしたイニスが孤独なのは、「牧場という場所で育ったから」ではありません。
田舎なのでご近所さんが少ない、という寂しさと、
両親を亡くし、育ててくれた兄の結婚後は家にも居づらくなってしまった、というイニスの寂しさとは
同列に語り得るものではありません。

一方ジャックは、ロデオ乗りで日銭を稼ぐ生活をしていた時にラリーンと出会い、リッチ&ハイソな彼女と結婚します。
ブルジョアであるラリーンの父は、あからさまな態度でジャックを軽蔑し、時には侮辱しますが
ラリーンは、そんな父の態度を殊更とがめはしません。

彼女たちは、決して悪妻なのではありません。
ただ 孤独という苦痛 を理解し合い分かち合う相手では、なかったのです。

孤独 というのはいたって個人的なものでございますから
通常、他人にさらけ出すこともなければ、共感を求める機会もありはしません。
その上、互いの孤独を心底から汲み取ることのできるーーー苦痛を分かち合えるーーー、そんな相手と出会えるのは、なおいっそう稀なこと。
かくも稀な出会いを果たした その相手が、たまたま同性であったとて
何故、まるで 罪を犯した人 のように、人目を忍んで会わねばならないのか?
2人の関係をひた隠しにしようとするイニスに ジャックがぶつける苛立ちは
むしろ保守的で不寛容な社会全体への、やり場の無い怒りでありましょう。

本作は
同性愛を描いているという理由から、米ユタ州、中国、アラブ首長国連邦、そして中米バハマにおいて
上映禁止の措置がとられています。

前回の記事で
「時代も場所も」2人の関係を許さなかった、と申しましたけれども
残念ながら、主人公の2人が苦しめられた、いわれなき不寛容は
時代や場所に帰せられるものではないようでございます。









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