のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『京都美術地誌案内』2

2006-04-18 | 展覧会
4/17の続きでございます。

「既存の美術概念に挑戦した」と申しますと
いわゆる アヴァンギャルドな作品 ばかりのような印象をお持ちかもしれませんが
そんなことはございません。「私ゃフツーに綺麗なものが好きだよ」という方も、ぜひお運びいただきたい。
少なくとも、第一室は絹に顔料彩色、という伝統的な手法で描かれた日本画が多いので
いきなり意味不明な物体に出くわすということはございません。
しかし菱田春草(『黒き猫』の人)が見たらひっくり返りそうな猫の絵あり、
絹にコンテ という珍しい組み合わせの作品ありで、新しい表現を求めたアーティスト達の気概が感じられます。

以前から知っていた作品でも、反アカデミズムという視点から見ると、なにやら新鮮な輝きがございます。

例えば第1室唯一の陶芸作品である『蘭花花瓶』
高さ32センチ、直径10センチ足らずの小品です。 
ゆるやかなカーブを描いてなまめくBODYに、きゅうっ と引き締まった首。 
青磁の肌には、燃え落ちるように流れる群青色の蘭の花が描かれております。

初めてこの作品にまみえた時、和服をまとったファム・ファタルのような怖い色気に、のろは魅了されたものですが
その時は、これが「因習的様式の否定」というコンセプトのもとに制作されたものとは存じませんでした。
今回改めて、そういう視点から眺めてみますと
この美人はいっそう キリッ とした、挑戦的な艶を発しているように感じられたのでございます。

前回も申しましたように、時代を追うかたちでの展示構成となっておりますから
後半に行くに従って、素材や表現手法は広がりを見せております。

例えば第5セクション「画廊の時代ーーー「美術」という概念や制度と戦う作家たち」に展示されている
『DARK BOX 1999』
この作品の素材は、 と  です。
本当ですよ。ほら。




残念なことに、これがどんな作品かを言葉で説明しても、ちっとも面白くないのでございます。
ぜひともこの物体を目の当たりにして、「こんなのアリ?」と呆れて、あるいはウームと考えて、いただきたい。

最後に
個人的な好みで申しますが
京都市美術館のコレクション展にはほぼ欠かさず足を運んでおりますのろ、
今回の展はとりわけ充実した、満足度の高いものでございました。

『京都美術地誌案内』

2006-04-18 | 展覧会
ここ2ヶ月ばかり行かずにおりましたら、京都市美術館、ちょっ  と変わっておりました。
結論から申しますと、ちょっ  と 良くなりました。
具体的にどう変わったのかと申しますと、

1:腰掛けが変わった
展示室内の腰掛け、以前は布貼りの椅子だったものが、こういうものになっておりました。



若干低すぎるようにも思いますが、ま、趣があってようございました。

2:解説パネルが変わった(部分)
保護のため、作品をケースの中に展示していることがございますね。
以前はこんな場合、作品情報を記したパネルは、作品の右下のガラスぎわに設置されておりました。
これが、作品情報を印刷した半透明のシールをガラスに貼る、という形式に変わっておりました。



鑑賞の邪魔にはちっともなりませんし、視線を上下移動させずに済むので、目がつかれません。
これは大変ようございました。

3:トイレが変わった(1F)
第二展示室と第三展示室の間にある方です。大展示室の奥のトイレはチェックしておりません。
個室が一つ増えた上、きれいになりました。ただし、寒いのは相変わらずでございます。

で、行って参りました展覧会はコレクション展第一期 京都美術地誌案内(5/21まで)でございます。



今年度のスタートを飾るコレクション展。
取り上げておりますのは、京都を拠点として
画壇のアカデミズム や 既存の美術概念 に挑戦したアーティスト達の作品でございます。

各セクションには、マークの付いたおおまかな市内地図が掲示されており、
彼らが京都市内のどこを拠点としていたのかが、具体的に分かるようになっております。
セクションは時代ごとに分けられております。
第一室、第一回官展(官設展覧会の総称)の開催された明治時代から、第五室の現代まで。

時代が進むに従って、用いている素材や表現手法の幅が広がり、
自由度 というかトンガリ具合 が増しているようにも見えます。
しかし、全体として自由度が増しているということは、かえってその中で
新しい表現や独自な表現を生み出しづらくなっている、ということでもあろうかと。
何でもアリな現代の方が、逆説的ながら「自由な表現」をすることが難しくなっているのかもしれない、と思いました。
何もかも出尽くしてしまって、どんなものであれ、どこかにカテゴライズされてしまう。
新しい表現なんて、果たして可能なのだろうか?

映画『ポロック』で、エド・ハリス演じるジャクソン・ポロックが
「ピカソの馬鹿野郎、何もかもやっちまいやがった・・・」と、酔いにまかせて嘆いていたのを思い出します。

いや、今はこうで昔はこう、と単純に比べることなどできませんね。
昔は昔で、既存の美術概念というものが強固にあり
それを打破するために、とんがったアーティストたちは、大きなエネルギーを要したのでしょうから。

それぞれの時代において、なんとか この殻を、この壁を、打ち破ろう としてもがき、走った、アーティストたちの足跡。

本展のコピー、いつも京都はあつかった。

なるほど確かに・・・と 納得した展覧会でございました。


もう少し続きます。