のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

啄木忌

2006-04-13 | 
誰が見ても われをなつかしくなるごとき 長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)


本日は 石川啄木の命日です。

というわけで、10年ほど前に購入した『新編 啄木歌集』(岩波文庫)を久しぶりにひも解きました。
特に気に入った首(しゅ)にはマル印なんぞがつけてあり
しおり代わりに挟んでいた、ギャラリーのフライヤーが出て来たり。
ああのろよ、あの頃君は若かった 
いやいやむしろガキだった 
いやいやそれなら今もだろ と ページを繰りつつ、ひとりツッコミのひととき。

その中で、のろには珍しく、何事かを書き込んでいる箇所がございました。
オヤと思って見ますと

よく笑う若き男の 死にたらば すこしはこの世のさびしくもなれ

という一首の下に、鉛筆でこうひと言

いいね。 

・・・のろよ、昔も今もうらぶれておるな。
いいさ。鬱屈街道まっしぐら~。
♪ 回り道 分かれ道 どの道オイラは地獄行き ♪
(『テアトル蟻地獄』 By ガレージシャンソンショー)

さておき。
丁度この本を購入した頃 即ち10年ほど前に描いた啄坊の似顔絵が、これでございます。



うむ。似ておりませんね。

当時は「写真の容貌よりも、作品から受ける印象を重視スルノダ。げっそりヘロヘロの幽霊顔に描くノダ」
などと思っておりましたが

似顔絵というものは そう、 似ててナンボ でございます。

で、本日描きましたのはこれ。まし と言えるていどにはましになったと思うのですが。
 




何かひとつ 不思議を示し 人みなのおどろくひまに 消えむと思ふ

1912年、肺結核で死去。享年27歳。
いわゆる「夭折の天才」でございます。
文庫本の表紙には「歌壇に新風を吹き込んだ・・・永遠の青春の賛歌」 とあります。
これを読んだとき、正直、のろは思いました。
この人の作品、「青春」と呼ぶにはあまりにも 生 活 苦 にまみれていないか?
しかしこれは、作品の題材と、その表現しているものとを混同した見方でございました。
生活苦にまみれながらも、あたかも思春期のような
瑞々しい感性や、傷つきやすさ、やりきれなさ、自己嫌悪と背中合わせの自負心、といったものを
失わずにいたからこそ、このような作品を作り得たのでありましょう。

さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横よりみている心。


比較的明るめの作品をご紹介しました。
のろ好みの作品を並べますと、ものっすごく暗くなりますので・・・。


ちなみに本年は啄坊の生誕120周年にあたります。
この機会に、引っ張り出して来た歌集を
しばらく机上に置いておくことに決めたのろでございました。