のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

スピノザ忌

2006-02-21 | 忌日
21日 と 書いているものもあり
22日 と 書いているものもあり
23日 と 書いているものもあり

つまる所、研究者でも歴史家でもないのろは、正確な日付は存じませぬ。

ともあれ
1677年 2月21日 か、そのあたりに
オランダ共和国 ハーグ市近郊の 下宿の一室で
哲学者バルフ・デ・スピノザが亡くなりました。
享年 44歳。

            


死の当日も普段と変わらぬ平静さで過ごし
家主の一家が教会に出かけている間に
友人の医師ひとりに看取られて 息を引き取りました。

死の前日、スピノザは
生前ついに出版されることのなかった『エチカ』を含む、自らの原稿を整理して友人に送りました。
この遺稿集は------「真理は万人の所有であって、個人の名に帰せられるべきものではない」との信念から------
匿名で出版してくれるよう依頼され
この年の12月に スピノザの願い通り、匿名で出版されました。

質素な生活を送り 自身が金欠の時でも 困っている人には気前よく金を貸してやり
孤独を好みながらも人当たりがよく 訪問者はいつでも 気分のむらなく親切に迎えました。

彼の思想を「無神論」として嫌悪する人々も
彼の素行に 非難すべき点を何ら見いだせませんでした。

こういうことを つらつら書いていると
「わたしの生き様など、どうでもいいのだよ」と どこか 遠い高い所で スピノザが静かに笑う。
「わたしがどのように生きようと、真理が真理であることに変わりはない。
 それに、わたしは 神 即ち自然 の必然性に、従って生きただけなのだから」

そうです、けれども師匠
「徳ある無神論者」あるいは「神に酔える哲学者」スピノザ、
あなたがそのように生きた ということが、のろには重要なのですよ。

あなたが哲学を始めるにあたって
「何が真実か」ということからではなく
「人間にとって、何が幸福か」ということから発したように

のろにとっては
「何が真実か」ということよりも
「どうしたら、あなたのように生きられるか」が 問題なのです。






↑去年、神戸で開催された「オランダ絵画の黄金時代-----」アムステルダム国立美術館展」より
1672年のアムステルダムの運河を描いた作品。
当時スピノザはハーグ住まいでしたが
1675年7月、『エチカ』出版の働きかけのため、アムステルダムを訪れています。
(無神論を説く危険思想の持ち主と見なされていたので、出版は断念せざるをえませんでしたが)

まさにこの運河の風景を スピノザも 見ていたかも しれませんなあ。



ちなみにこんなサイトもあり。
みんなのエチカ

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2 コメント

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気節論⑤ 円満の徳 ()
2006-02-22 07:47:14
怒らないでくださいね



気節がらお尋ねしたくなりました。



どうか、円満に治まりますようにと



スピノザのご冥福を祈ります。
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Unknown (のろ)
2006-02-22 21:15:02
コメント及びTB、ありがとうございます。

はなはだ愚かにして、いたって視野の狭隘なる のろ とて、

伝えられているスピノザ像が、理想化され純化された姿であろうことは想像に難きものではございません。

しかし、のろは「このような人間が 存在した」と、思いたいのでございます。「このような人間が 存在し得る」と、思いたいのでございます。

現実のスピノザはもちろん、「頭の頂点より足の爪先まで円満の徳を具えたる聖人」ではなかったことでしょう。自らも「全て高貴なるものは、稀なると共に困難でもある」と記していることからも判ぜらことでございます。



それでも、のろは、のろの心の中の「イメージのスピノザ」(「現実のスピノザ」は、つまる所、知りようもございませんから)に、惜しみない尊敬を捧げずにはいられぬのでございますよ。たとえそれが虚像であり、絵空事であったとしても、永遠の相のもとに 物事を見、善悪の彼岸に立つ 美しい人物を、心のうちに、掲げていたいのでございますよ。



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