のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『本をなおす、本を残す』展および『魔の山』

2011-03-18 | 
そのかたわらで
日常は続く。


先週8日から来週21日(月・祝)まで、奈良県立図書情報館NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会の共催で、情報館にて『本をなおす、本を残す、もうひとつのエコ 』が開催されております。

修理・修復事例や西洋書物構造史の年表、現代製本・古典製本のサンプルほか修復に用いる道具や材料についてのパネル展示等のほか、NPOの教室生らによる作品の展示もございます。
のろが出品したのは去年個展に先立って制作した豆本3点と、『魔の山』の改装本。



中身は岩波文庫でございます。花布と見返しの接続部分には同じ革を使いました。背のタイトル部分のプレートははアルミ缶を切り、手芸用ニードルで引っ掻いて文字を入れたもの。



上巻(白い方)はこの作品の主な登場人物の一人で、陽気な人文主義者セテムブリーニ氏、下巻(黒い方)はその論客である陰鬱な神学者ナフタ氏をイメージしました。二人は共に主人公のハンス・カストルプ青年を自らの陣営に引き入れようと、物語の後半を通じて熾烈な精神的バトルをくり広げるのでございます。

ナフタは近代文明や民主主義を嘲笑い、一握りの宗教的エリートが絶対的命令と恐怖政治によって愚民たちを統治するべきだと唱える全体主義者で、ワタクシは大嫌いでございます。しかし一方をセテムブリーニ装丁にした以上、もう一方をナフタ装丁にしないわけにはいかないのでございました。そしてセテムブリーニ氏のイメージを取り入れずにこの作品を装丁することは、ワタクシには全く問題外だったのでございます。

セテムブリーニさん。彼は色々な点で滑稽な人物であり、彼の主張には承服しかねる所も少なからずございます。とはいえハンス・カストルプ君が言うように、少なくとも彼は善意の人ではあり、生を愛し、人間全般を(おおむね)愛する人であり、その論旨にいささか無茶で楽観的で理性信仰に過ぎる所があるにしても、ワタクシは彼を嘲笑う気にはなれませんのです。

「ああ、-----そんなことをわたしはお話しようと思ったのではありません」と、ゼテムブリーニは眼を閉じ、日に焼けた小さい手を空中に振りながら遮った、「それにあなたは天変地異を混同しておいでです。あなたが言われるのはメシーナの地震です。わたしが言うのは、1755年にリスボンを見舞った地震のことです」
「それは失礼しました」
「そのときヴォルテールはそれに反抗しました」
「と言いますと.....どうしたんです?反抗したんですね?」
「ええ、反抗しました。かれはその残忍な運命と事実とを甘受できなかったのです。これに屈服するのを拒みました。繁華なこの都市の4の分3と、幾千という人命とを破壊した自然の恥を知らない暴虐に対して、彼は精神と理性の名において抗議しました......。びっくりされるんですか?微笑なさるんですか?びっくりされるのはご随意ですが、微笑なさるのは、失礼ながらご遠慮ねがいます!」


筑摩書房世界文学大系61 トーマス・マン p.187


これに続けて「これこそ精神の自然に対する敵愾心、...(中略)...自然とその邪悪な非理性的な暴力に対する高邁なる主張です」なんて言い出すから滑稽になってしまうんだろうなあ、この人は。
精神と理性にはもっと建設的な使い道があるはずですし、ヴォルテール自身だって、数々の災厄に見舞われたカンディード青年に、最終的にこう言わしめているではありませんか。「しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」と。









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