のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

リチャード一世忌

2010-04-06 | 忌日
本日は
イングランド王「獅子心王」リチャード一世の忌日でございます。

獅子心王リチャードと聞いてワタクシの頭にまず浮かぶのは、1968年の映画『冬のライオン』でございます。この映画での断片的な印象から、のろの中には久しく「リチャード一世=マザコン ジョン=アホの子」のイメージが定着してしまっておりました。
リチャードを演じたのは、これが映画デビューとなる当時30歳のアンソニー・ホプキンス。デビュー作でいきなりピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンという大御所と渡り合う役に大抜擢されたのは、それまで舞台で培ってきた演技が評価されたためでありましょう。近年、インタヴューの中でこの作品を振り返るサー・ホプキンスがよく語るのは、キャサリン・ヘップバーンからもらったというアドバイスでございます。即ち「演じるのはおやめなさい。ただ台詞を言えばいいの。あなたはいい肩と、いい顔と、いい眼と、いい声を持ってるんだから、他に何もいらないわ」というもの。このアドバイスのおかげで今のサー・ホプキンスがあるとするならば、キャサリン・ヘップバーンには大いに感謝せねばなりますまい。

ちなみにこの作品、のろには録画していたビデオが途中で切れたために半分しか観られなかったという、いささか淋しい思い出がございます。この間レンタル屋の歴史ものコーナーで見つけたから、そのうちちゃんと観ようっと。

さておき、歴史上のリチャードは十字軍の英雄(つまりイスラム教徒の殺戮者)であり、騎士道の華と唄われる人物でございます。
多額の国費を国外での戦争に費やし、戦費捻出のため臣民に重い租税を課した上、個人的確執のすえにオーストリア公の捕虜となり、その身柄を解放してもらうためにこれまた莫大な身代金を支出させたこの人物に何故人気があったかといえば、つまるところ、戦上手だったからでございます。彼の死後イングランドを継いで、内政においてはそれなりの才覚を示し、少なくともリチャードのように国をほったらかしにしたわけではなかった弟ジョン王に何故全く人気がないのかといえば、つまるところ、戦下手だったからでございます。

ジョン王と言いますと、中学か高校の世界史の副読本に堂々と「悪王」だの「欠地王」だのと書かれていて驚いた記憶がございます。まあ「カール禿頭王」にはもっと驚きましたけれど。

ロビン・フッドの悪役というイメージも手伝って、重税と圧政を強行して民衆および諸候から大ブーイングを受けたアホ王、というぐらいの認識が一般的な悪王ジョン。しかし、そもそも戦費捻出のための重課税を始めたのはリチャード兄ちゃんでございますし、王がその気になれば有無を言わせず臣下の領地を差し押さえできてしまうという行政機構を(それを抑制するシステムを全く欠いたままに)作り上げたのは、ヘンリー父ちゃんでございます。つまり先代の積み上げた問題がジョンの代に至って先鋭化し、民衆および諸候がこの搾取システムの酷さに気付き始めたと、そしてその不満を抑える、または誤摩化すだけの求心力がジョンには無かったというわけでございますね。

ジョン王の性格的・能力的問題がいかに甚だしいものだったとしても、失政の全てがジョン王という一個人の問題に帰せられるはずはございません。にもかかわらずこの欠地王が長年に渡ってけちょんけちょんにけなされて来たのは、アグレッシヴでいくさ上手で容貌も振る舞いも華やかだったリチャード兄ちゃんに比べて、あまりにも見劣りが激しかったということなのでございましょう。

さて、ロビン・フッドと言えばリドリー・スコット監督の新作が、海外ではこの5月に公開されますね。日本での封切りは秋になるとの事。
国家権力者に対抗・復讐するラッセル・クロウってまんま『グラディエーター』じゃんかと思いつつも、のろはこの作品を観に行かねばならないことになっております。別にリドリー・スコットのファンではございませんし、ラッセル・クロウの顔を大画面で拝まねばならないのはいささか苦痛ではありますが、それでも観に行かねばならないのは、ソーターさんことマーク・ストロングが出演しているからでございます。
「ジョン王の忠実な部下サー・ゴドフリー」役、ということはつまり、悪役でございますね。やっは~い!
トレーラーを見ると、要所要所で顔を出してらっしゃいます。うーむ、これはなかなかのご活躍が期待できそうではございませんか。

(2011.1.16追記)実際はぜんぜん「忠実な部下」ではなかったわけですが、この記事を書いた時点ではこういう情報が出回っていたのです。

↓鎖かたびらを着込んだ背の高いハゲがソーターさん。



画面のどこにいてもすぐに見つけることができて、たいへん結構でございます。



*当記事のイングランド史についての記述は主に『世界歴史大系 イギリス史1』および『新版世界各国史11 イギリス史』(共に山川出版社)を参考にしました。

シーレ忌

2009-10-31 | 忌日
本日はエゴン・シーレの忌日でございます。

夏から猛威を振るっていたスペイン風邪に、妊娠中の妻ともどもやられたのでございます。享年28歳。
大成功を収めたその年の展覧会でオーストリア芸術界の新星として注目を集め、念願だった広いアトリエを借りた矢先のことでございました。

28歳という若さで命を失わざるを得なかったシーレの運命は、深い悲しみには違いないが、彼の人生、そして生涯残した作品は、比類ないほど本質的な完成を遂げている。

年老いた画家たちは若かりし日々を思い焦がれながら振り返るが、シーレは現在進行形で若き日々を体験し、またそれを卓抜した技量で表現することのできた数少ない芸術家のひとりだった。

『エゴン・シーレ ドローイング水彩画作品集』 ジェーン・カリアー著 2003 新潮社 p.447

シーレがもっと生きていたら、どんな作品を描いていただろう。
卓越した技量に「青年らしい」繊細さと荒々しさを兼ね備えたこの画家が壮年となり、あるいは老年にまでなったとしたら、どんな線を引き、どんな色を使ったのだろう。
こう考えてみることもないではございません。しかし白樺に杉やケヤキのような「数百年の老木」が存在しないように、シーレと老齢というものはどうあっても両立しないもののように思われるのでございます。

どういうわけか、シーレのように青年らしさを拭いきれない特色とする芸術家が、成人期に差し掛かる直前にその生涯を終えることが多い。だが、もしかするとそれが相応しいのかもしれない。
前掲書 同頁


ドイル忌

2009-07-07 | 忌日
本日は
サー・アーサー・コナン・ドイルの命日でございます。

のろはシャーロッキアンってわけではございませんが、かの『奇岩城』でのホームズ先生の扱いに憤激して「金輪際ルブランは読まねえ」と心に決めた程度にはホームズファンでございます。
またオリジナルストーリーの映画や、いわゆるパスティーシュ、贋作にも(この制作者たちはことごとく「自分が創作した聡明で美しいヒロインとホームズとの淡い恋」を折り込むという誘惑に抗することができんのか?と思いつつも)食指をのばしてみましたし、NHKで放送されていたグラナダTV制作ジェレミー・ブレット主演のドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』は可能なかぎり録りため、繰り返し繰り返し、飽きもせず見たものでございます。ちなみにこのドラマでは『ソア橋』と『ブルースパーティントン潜航艇』がお気に入りでございました。

あの素晴らしいホームズ像を残して、ブレット氏がお亡くなりになってはや14年。
色々な媒体で散々描かれてきたテーマである上に、完璧という言葉がふさわしいあのブレット・ホームズが世に出てしまった後では、映画やドラマにおいて新たな「シャーロック・ホームズの冒険」を描く試みはほとんど無謀なことにすら思われます。
だもんですから、ここに至って新たなホームズ映画が作られること、しかも監督はスタイリッシュな犯罪映画で知られるガイ・リッチーであることを知ってのろはちょっと驚きました。
キャストを知ってなおさら驚きました。
ロバート・ダウニー・Jr、あの人なつっこい顔の男がホームズ先生ですと?
ジュード・ロウ、あの抜きん出た美貌の持ち主がワトスン君ですと?
こりゃ何かの間違いではと思ったものの、ポスターを見たら何となく納得が行きました。


Copyright : 2009 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

つまりあれでございますね。
いわゆる「全く新しい現代的なホームズ像」を作ろうっていう試みなんでございますねこれは。

New Sherlock Holmes HD Trailer | Robert Downey Jr., Jude Law


これくらい大胆にモデルチェンジした方が、制作者も自由に作ることができるこってございましょう。
鑑賞する側も、ここまでやれば「これはこういうもんなんだ」と割り切って見ることができて結構かと存じます。
トレーラーを見るかぎり、なかなか面白そうではございませんか。もっとも映画そのものよりトレーラーの方が面白いという事態は往々にしてございますから、あまり期待を膨らませすぎずに年末の公開を待ちたいと思います。

それにしてもジュード・ロウはいい感じに禿げ上がってまいりましたね。
のろは特にファンというわけではございませんが、容色だけでなく演技力にも定評のあるこの俳優がどういう風に歳をとって行くのか、楽しみにしていなくもないのでございます。また中堅と呼ばれる中でもまだ若さの残る今のうちに、『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンのような、ガッと華のある極悪人を演じていただきたいとも思っております。
ちなみに彼は駆け出しの頃、上述のドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』にて『ショスコム荘』の見習い騎手役で出ております。トリックの上では重要な人物ながらセリフはほとんど無く、冒頭とラストにちょっと顔が出るだけのチョイ役でございました。それが今やホームズ先生の片腕たるワトスン君でございますから、これは随分な出世と申せましょう。
今後さらに生え際の後退が進んだら、しかめ面をしてモリアーティ教授を演じていただきたいものでございます。

何です。
モリアーティはもっと陰気な顔立ちじゃなきゃいかんって。
まあ、それはそうではございますけれども、ホームズ先生だって常に薄い鷲鼻と秀でた額と知的な顔立ちを兼ね備えた俳優に恵まれたわけではございますまい。思い入れのある作品の映画化を楽しもうと思ったら、多少のことには目をつぶらねばならないというのは鑑賞者の心構えとして

初歩だよワトスン君。




すみません。
言ってみたかっただけです。

『奇岩城』でのホームズ先生の扱い
アルセーヌ・ルパンものの最高傑作とも称される『奇岩城』、もちろんモーリス・ルブランの手になる作品ですが、「ホームズ」が登場します。ラストではルパンをかばって飛び出したルパンの(この話での)妻を射殺したあげく、逆上したルパンに首を締められて抵抗もできずじたばた、という醜態をさらします。原作ではシャーロック.ホームズSherlock Holmesのアナグラムであるエルロック・ショルメHerlock Sholmèsという名前で(あからさまにホームズのパロディと分かるとはいえ)いちおう別人ということになっているようですが、日本語版ではシャーロック・ホームズと訳されています。ワタクシがかつて読んだ『奇岩城』の挿絵には、ご丁寧にも鹿撃ち帽をかぶった鷲鼻の人物が、女を撃っちゃってああしまった!てな顔で描かれておりました。



桜桃忌でした

2009-06-20 | 忌日
中村晋也さんは大好きでございます。
いつか鹿児島の中村晋也美術館も訪れたいと思っております。
が しかし
太宰治の銅像プロジェクトというのはいかがなものかと。
もう建っちゃいましたけどね。

NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで

銅像ぶっ建てられて喜ぶ人でもないんじゃないですか。


太宰治はいろいろと嫌いでございます。
生き方はもとより、自虐自慢みたいな作品群も。
しかし、あのぐんぐん読ませる巧みな文章とユーモアには唸らざるをえません。
でもって人間性も作品も全部嫌いだったらそれはそれでよかったんでございますが、短編「駆け込み訴え」だけは激烈に好きでございまして。
好きなら全部好きがいいし嫌いなら何もかも嫌いがいいんですのに、こう、どっちつかずの状態でいるものですから、逆恨み的にますます嫌悪感がつのるのでございまして。
ああ、厭でござんすねえ。

太宰治 駈込み訴え



栗本薫氏

2009-05-29 | 忌日
お亡くなりになったと知って驚いております。

のろは中学生の時『グイン・サーガ』が大好きでございました。
重厚にまた綿密に構築された世界観と、ファンタジー好きの心をくすぐる登場人物たちに魅了され、一冊また一冊と買いそろえては読みふけったものでございました。気に入った場面を何度も読み返し、「セム族」長老の臨終シーンに涙し、乏しい想像力でグインやイシュトヴァーンの姿を描いてみたりして、とにかく随分とはまっていたのでございます
しかしそのうちに話の方向性や、あとがきに垣間見られるどこか同人誌的な栗本氏のノリに距離感を覚えて、30巻を過ぎたあたりで購読をやめてしまいました。
それでも書店で新刊が平積みになっているのを見かけると、昔の知己の消息を尋ねるような気分でパラパラとページをめくってみたものでございます。それでいいのかリンダ、まだ生きてんのかナリス、おおい何でそんなことになってるんだイシュトヴァーン!などと心中でつぶやきつつ。

外伝もたくさん出ているようでございますが、結局本編の方は完結を見ないままになってしまったのでございますね。
愛情を注ぎ込んだライフワークを半ばに残して逝かねばならなかった栗本氏、さぞかし口惜しかったことでございましょう。
が、あまり愛情をかけ 過 ぎ ずに、当初の計画どおりに100巻で完結するように書いてらっしたら、長年読んでいらっしたファンの方々を落胆させることもなかったろうになあ、と思わざるをえないのでございます。


クリスティ忌

2009-01-12 | 忌日
本日は
アガサ・クリスティの忌日でございます。

のろは10代の折に『そして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』『オリエント急行殺人事件』『ビッグ4』およびその他のポワロものをいくつか読んだのでございますが、とりわけクリスティファンになることもなく今に至っております。
思うにのろの頭は、上記の代表作に見られる反則技的なトリックを是とするには固すぎたのでございましょう。『アクロイド~』『オリエント~』などは,ラストでどちらかといえば腹が立ったということを告白せねばなりません。
また、のろはなんたってホームズ御大が好きでございましたから、ポワロ氏が御大を小馬鹿にするような発言をお吐きんなるたびに憤慨していたものでございます。

と言ってポワロさんが嫌いというわけでは決してございません。NHKで放送されていたドラマ「名探偵ポアロ』は欠かさず見ておりましたし。『シャーロック・ホームズの冒険』のように録画して何度も見たりはいたしませんでしたけどね、そこはそれ、愛情の差と言うもの。
ただ、ポワロさんがマントルピースの上のものを整頓するのやら、運転手のハンドルの持ち方にケチをつけるのやら、そういった細かいシーンは覚えておりますくせに、話の内容やトリックを全く覚えておりませんでね。どうもミステリードラマを楽しむというよりも、ただただデヴィッド・スーシェ氏のみごとなポワロっぷりに惹かれて見ていたというフシがあるような気がいたします。
スーシェ氏のポワロさんは風貌だけでなく、気取っているくせにどこかコミカルな物腰、ちょこちょことした歩き方などまさしくイメージぴったりでございまして、本当に小説の中から現実の世界へとトコトコ歩いて出て来たようでございましたっけ。



ちょっと鼻につく言動のあるポワロさんのこと、下手をするとずいぶん嫌味な人物になりかねません。実際、1974年の映画『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニー演じるポワロさんなどはちと嫌味が強うございまして、ワタクシはあんまり好きではございません。翻ってスーシェ氏のポワロさんはと申しますと実に愛嬌がございまして、神経質さや気取り屋な所までも魅力のひとつという感じがいたします。「原作ファンからも愛されるポワロ像」という評も大いにうなずけるではございませんか。

スーシェ氏といえば京都では近日公開の映画『バンク・ジョブ]にご出演とのことでございますね。
有名スターが出ていないせいかあまり大々的に宣伝されてはいないようでございますが、『世界最速のインディアン』のロジャー・ドナルドソン監督がメガホンをとった作品ということで、のろはけっこう期待しているんでございます。

と、どうも話がだんだんアガサ・クリスティから離れて行ってしまいました。
思い入れがないとこんなもんでございます。



孔明忌

2008-08-23 | 忌日
「あれ、あの煌々と見ゆる将星が予の宿星である。いま滅前の一燦をまたたいている。見よ、見よ、やがて落ちるであろう……」
言うかと思うと、孔明その人の面(おもて)は忽ち白鑞の如く化して、閉じた睫毛のみが植え並べたように黒く見えた。黒風一陣、北斗は雲に滲んで、燦また滅、天ただ秋々の声のみだった。


本日は
蜀の宰相、諸葛亮孔明の命日でございます。
しかし新暦8月23日はまだ残暑真っただ中でございますから、どうも「秋風五丈原」の趣はございませんねえ。

冒頭に掲げましたのは吉川英治の『三国志』より、宰相殿の没するシーンでございます。
15ののろの涙を絞った一文でございますよ。うをー

吉川三国志の底本である『三国志演義』は孔明の死後も話が続きまして、蜀がついえ、呉がくだり、三国が晋一国に統一されるまでを描いております。
吉川英治はその間の盛り上がりに欠けることと中心的人物の不在を嫌い、孔明の死をもって実質的に筆を置いております。
三国時代の終焉までは描かなかったことを片手落ちと見るかたもいらっしゃるようでございますが、ワタクシはこれでよかったと思います。
物語序盤~中盤の動乱期に綺羅星のごとくひしめいていた、個性的で魅力ある英雄たち、いわばスター選手たちは、物語が終盤へと向うにつれてある者は討ち取られ、ある者は病に倒れ、1人また1人と舞台から姿を消して行きます。
ようやく中盤になってから弱冠27歳で登場した孔明は、そんなスターたちの最後の1人でございました。
この壮大なドラマを、孔明という巨星の退場をもって幕引きとするのは至極妥当なことかと存じます。

また、個人的なことを言わせていただけるならば。
ワタクシが吉川三国志で孔明没のくだりを読んだ時の深い寂廖感と脱力とは、それまでの読書では経験したことのないほどのものでございました。それまで大したもの読んでなかったんだろうと言われれば、まあ、そうなのですが。
ともかくその時点では「孔明さんは死んじゃったけど、サァ気を取り直して」という心持ちには、到底なれなかったんでございますよ。

吉川英治は孔明の埋葬を簡潔に描いた後に「諸葛菜」と題した一編を寄せ、孔明の人となりを考察しております。
その筆致には偉大な友を哀悼するような、穏やかな敬愛が滲み出ており、ワタクシの傷心は大いに慰められたものでございました。
その中で孔明は、奇才でも天才でもなくむしろ「偉大なる平凡人」であった、と評されております。
几帳面で、簡素を好み、謹厳実直をこととした宰相。
しかしその生真面目さゆえに、かえって天下の人材を遠ざけたのかもしれない、とも分析されております。
あれほどの人材を集めた曹操は決して「生真面目」な人物ではございませんでしたし、財力も権力もないのに、多くの逸材をその「人徳」で惹き付けたとされる劉備は、実際はけっこう無頼漢でございました。
それに対して晩年の孔明、この清廉で生真面目な宰相の心をおそらく最も悩ませたのは、優秀な人材の不足ということでございました。
かつて劉備は自分と孔明との関係を水と魚のそれに例えましたけれども、水清ければ魚住まず...ということでございましょうか。

しかし、まさにその生真面目さこそが、後代にわたって人々の心を打ち続け、「長く英雄をして 涙襟に滿たしめ」たものなのではございませんか。
「演義」の中で空も飛ばんばかりの活躍を見せるスーパーマン孔明像も、この生真面目な人に寄せる民衆の深い敬愛があってこそ生まれて来たものなのではないでしょうか。
ワタクシはそう信じますし、宰相の生真面目さを愛する1人でもあるのでございます。



ところで孔明といえばこの秋、三国志の「赤壁の戦い」を題材とした映画『Red Cliff』が公開されますね。
孔明役は金城武氏ですとか。
むむむっ イメージと違う。 けっこう違う。 ずいぶん違う。
「赤壁」映画化の企画を知った時は、おおおジョン・ウーが赤壁!ジョン・ウーが赤壁!と大いに興奮しかつ喜んだものでございますが、色々と詳細が分かって来るに従って、不安や不満が心中にこんこんと湧いて出てまいりました。
まあ、それについてはまた別の機会に。






甘........

いや、別の機会に。

徽宗忌

2008-04-21 | 忌日
本日は
徽宗さんの命日でございます。
徽宗さんは中国・北宋の事実上最後の皇帝でございます。

「彼の人生最大の悲劇は、統治者の家に生まれてしまったことだ」
こんな言葉の似合う統治者は世界史上にゴマンといらっしゃいましょうが、徽宗さんはその最たるものであろうかと存じます。
北宋の第六代皇帝神宗の第三子であった彼は、非常に才能のある画家であり書家でございました。そのまま「芸術の才ある皇族」として生涯を送ることができたらよかったのでございますが、兄・哲宗の早逝と皇太后の思惑によって思いがけなく皇帝の座に即いてしまったのでございます。
これが彼にとっても、宋という国にとっても、大きな悲劇でございました。

芸術文化の黄金時代とも称される宋において最高権力者になってしまった芸術家は、もともとあんまり興味のなかった政治をお気に入りの側近にまかせきって、美術品や奇石の蒐集に莫大な国費と民の労力を費やし、文化政策を押し進める一方で悪法によって民を搾取し、改革によって一時は立て直るかに見えた国力を再びがっ つりと疲弊させました。
堪忍袋の緒を切らした民衆が各地で起こす暴動や反乱(『水滸伝』の元ネタ)をすぐに鎮圧できるはずもなく、ただでさえ国力が弱まっている所へ場当たり的で無節操な外交・軍事政策によって同盟国の怒りを買い、北方民族の新興国、金に攻め込まれます。

徽宗さんは退位することで政治を顧みなかったことのツケを支払ったつもりだったかもしれませんが、ことはこれで終わりではございませんでした。金軍による首都開封の再びの包囲を経て、皇帝自身が家族や官僚ともども北方の地へ連行されるという中国史上前代未聞の事態にまで至ってしまうのでございます。

ここにおいて軍人趙匡胤がクーデターによって建国した宋(北宋)は終焉を迎えました。
徽宗さんはといえば、873年前の今日、極寒の地五国城(現在の黒竜江省)において失意のうちに亡くなりました。享年54歳。
史実かどうか確証はございませんけれども、のろをして運命の残酷さを思わせずにはおかないのは、晩年の徽宗さんが失明していたということでございます。
北へと向かう途上で皇太后を亡くし、失意のあまり両目の視力を失ったのだとか。



こんな絵を描く人が。美術品の蒐集で国を傾けた人が。見るということを何よりも愛した人が、その目を失うとは。

彼のせいで塗炭の苦しみを嘗めた民衆からしてみれば、このくらいの報いは当然と言えるかもしれません。
しかしワタクシはこの人の絵を見るにつけ、鋭く美しい書を見るにつけ、彼が「芸術にかまけた」ことを責める気にはなれないんでございます。

そう、ただ皇帝の座に即いてしまったことだけが、彼の、そして国家の、不運だったのでございますよ。




モ忌

2007-12-05 | 忌日
寒くて布団から出られません。

それはさておき

本日は
モーツァルトの命日でございます。

モーツァルトの死といってまず思い浮かびますのは
映画『アマデウス』のラストでございます。

レクイエムのスコアを口述しながら息絶えるモーツァルト
冷たい雨に打たれながら、墓地へと走る霊柩馬車
名も無い一市民として、共同墓穴に放り込まれた死体の上には
なおざりにかぶせられた灰がいつまでも白く煙って・・・・・

あんなどしゃぶりの中なのになぜあの灰は乾いているんだとつっこんではいけません。

場面変わって、語り部であるかつての宮廷音楽家サリエリが
聞き手である若い神父のもとを去ろうとしております。
永遠を勝ち得たモーツァルトの音楽が流れる中、
自分の作曲した音楽と共に、時の波間にもくずのように消え行くであろう老サリエリが進みます。
そして私達に手をさしのべ、あの台詞を言うのでございます。

「全ての凡庸なる者たちよ。君たちを許そう。私こそは凡庸なる者のチャンピオンだ」

ワタクシがこの作品を初めて観たのは10代のはじめの頃でございました。
その後もディレクターズ・カットを含めて5回ほど鑑賞しておりますが
歳ふるごとに、このサリエリの台詞が
我が身に親しく感じられるようになってきております。




ちなみに
実際は、サリエリは時の波間にもまれて消えて行ったわけではございませんで
作曲活動をやめた後も教師として後進の育成につとめたということでございます。
その徒弟の中にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどが名を連ねております。
また、映画の中のサリエリは、神に生涯の「純潔」を誓っておりますが
(そしてディレクターズ・カット版では、この誓いに対する神のあからさまな回答が用意されておりますが)
実際には結婚して子供もいらっしたようでございます。
甘いもの好きだったというのは本当らしいです。

一方のモーツァルト。
人物像については想像の域を出ませんけれども
冗談好きで浪費家であったというのは定説のようでございます。
晩年は借金漬けだったことも本当。
病死ではなく殺されたのではないかという説は、当時からささやかれておりました。
妻コンスタンツェによる毒殺説もございます)

ただ、亡くなったのは12/5の午前1:00前ごろということでざいますから
映画のように朝の光を浴びながら昇天、ってのは無理でございますね。

もしもアントニオ・サリエリご本人がこの映画をご覧になったら
「何ちゅう冤罪」と憤慨なさるんじゃないかと思いますが
モーツァルトがご覧になったなら、いったいどんな反応をなさるこってございましょうね。

永遠と いまここ

2007-11-24 | 忌日
本日は
スピノザの誕生日でございます。(忌日カテゴリに入っておりますがどうかお気になさらず汗)
1632年のことでございますから、今年は生誕375周年でございます。
きっと全世界のスピノザ研究者やワタクシのような単なるスピノザファンは今日

別に何もしないことでございましょう。
その方が、このつましくつつましい哲学者にはふさわしいように思われます。

ご存知の通り17世紀のオランダは黄金時代でございまして
世界史に冠たる逸材をたくさん輩出しておりますね。
国際法の父グロティウス、土星の輪を発見したり振り子時計を発明したりのホイヘンス(レンズつながりでスピノザとも交流がありました)、
それにレンブラント、フランス・ハルスピーテル・デ・ホーホヤン・ステーン、などなど。

ここにスピノザ誕生の約ひと月前(1632年10月31日)に生まれ、同じ自由な空気を吸って生き、
スピノザの亡くなる約1年前(1675年12月15日)に没した、つまりスピノザとまさに同時代を生きた超有名人がおります。
即ち、フェルメールでございます。


Copyright:Rijksmuseum Amsterdam

現在、東京の国立新美術館に↑の絵、『牛乳を注ぐ女』が来ておりますね。
それに合わせて、先週のNHK『新日曜美術館』ではフェルメールを取り上げておりました。
その中で『恋するフェルメール』の著者、有吉玉青さんが
「この女性は永遠に牛乳を注いでいるのではないか」とおっしゃった時、
ふと胸をつかれたような心地がいたしました。
フェルメールの絵の中の「永遠」に、スピノザの「永遠」がオーバーラップしたからでございます。


スピノザが「永遠」と言います。
「永遠の相のもとに」と言います。
「永遠にして無限なる実体」と言います。

私はどうしても、「永遠」という言葉でもって「長い時間」とか「終わりのない継続」といったものを
イメージしてしまうのですが-----、つまり、永遠に続く苦しみ、とか永遠の愛、とか
そういった文学的で時間的なものを思ってしまうのですが-----、

スピノザの言う「永遠」は全然そういうものではないのであって
時間の長さとは何の関係もない、「無時間的の永遠」でございます。
即ち「三角形の内角の和が180度であるのは永遠の真理である」という時の「永遠」でございます。
時が1億年前であろうと1億年後であろうと、三角形の内角の和は必ず180度でございます。
所がオランダだろうと日本だろうと冥王星だろうと、そこに三角形が存在すれば、その内角の和は必ず180度でございます。
スピノザの「永遠」はそういう永遠であって、つまりは「必然」と同義でございます。

残念なことに私は疑いようもなく頭が悪いんでございますが
三角形における永遠性(=必然性)までなら、なんとか話はわかります。
しかし、そこから先へ進むのがなんとも難しいんでございます。
そもそも「頭が悪い」と言うこと自体が、架空の完全性を前提としてるということであって、甚だスピノザ的ではないことのように思われますが。

スピノザがあらゆる事物を「永遠の相のもとに」見る、と言うとき-----つまり、あらゆる物質や現象を
「三角形の内角」と「180度」の間にあるのと同じ必然性でもって生起したものとして見る、と言うとき-----、
三角形の話の時にはしっかり捉まえていたはずの「無時間の永遠」が
私の手からカスミのように逃れて行ってしまうのでございます。

さらに「精神は身体とともに完全には破壊されず、その中の永遠なるあるものが残る」などと言われた日には
「無時間の永遠」なる概念は跡形もなく雲散霧消し、言葉の意味すら定かではないものになってしまいます。
私の手の内に残っているのはスピノザの「永遠」とは全く似ても似つかない、あの文学的で時間的な「永遠」だけ、
即ち終わりなき継続、「◯◯ し 続 け る もの」としての「永遠」だけになってしまうんでございます。
「(時間的に)永遠に存在 し 続 け る 精神」なんてものを、スピノザは決して説きゃしないというのに。

ああ、言葉の意味の段階ですでにつまづいている者が
「永遠の相のもとに」ものごとを見ることなどできましょうか?

なおかつ、このスピノザの「永遠」は、ひとたび理解すればその後ずっと使える法則や数式のようなものではなく
常に「今、ここ」という個別的な状況の中に見いだされるべきもののようでございます。

ドストエフスキーの『悪霊』で、従来の神の不在を証明するために自殺するキリーロフが
風に飛ばされた木の葉や壁を這う蜘蛛といった何の変哲もないものものに見いだした「素晴らしさ」は、
きっと無時間の永遠、「今ここ」の永遠、スピノザの永遠に由来するものでございましょう。


「ある数秒間があるのだ、...(中略)...そのとき忽然として、完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ。
...(中略)...それは論駁の余地のないほど明白な心持ちなんだ。
まるで、とつぜん全宇宙を直感して、『しかり、そは正し』といったような心持ちなんだ。
神は、世界を創造したとき、その創造の一日終わるごとに、『しかり、そは正し、そはよし』といった。
それは.....それはけっしてうちょうてんの歓喜ではなく、ただ何とはない静かな喜悦なのだ。
人はもはやゆるすなどということをしない。なぜなら、何もゆるすべきことがないからだ。
愛するという感覚とも違う、-----おお、それはもう愛以上だ!」

ドストエーフスキイ全集10 悪霊(下) 米川正夫訳 河出書房新社 p.134

おお、この全き肯定!
もしもこのような目で世界をみることができたなら
きっと世界における自分をザムザ家におけるグレゴールのように感じずとも存在していられることでしょう。


「新日曜美術館』で有吉さんが「この女性は永遠に牛乳を注いでいる」とおっしゃった時の「永遠」もまた
終わることなくジョロジョロと牛乳を注ぎ 続 け る という意味ではなく、
スピノザの永遠、無時間的な「今ここ」の永遠の意でありましょう。

三角形レベルの永遠を理解するのがやっとなのろではございますが
のろにとって幾何学よりもはるかに親しみ深い、絵画というかたちで表現された「今ここ」の永遠は
いつもよりほんの少しだけ捉えやすい格好で
いつもよりほんの少しだけ長いこと、手の内に留まっていたのでございました。






ホビット忌

2007-09-02 | 忌日
本日は
J・R・R・トールキンの命日でございます。

トールキンといえば『指輪物語』でございますね。
そして『指輪物語』といえばもちろん


ゴクリ(ゴラム)でございますね。



文庫本の挿絵ではカエルと申しましょうか半魚人と申しましょうか、かなりヒトばなれした風貌で描かれておりますが
映画『ロード・オブ・ザ・リング』のゴクリ(ゴラム)は実に可愛らしいですね。
原作を読んだ時点で、ゴクリはのろの一番好きな登場人物でございましたが
映画を見てますます好きになりましたとも。
夜中に鼻歌うたいながら魚を捕るシーンなんて、ええ、そりゃあもう。

と申しましても
のろはゴクリが単に可愛らしいから好きなのではございませんで。

指輪の魔力に取り付かれ、それがために何もかも失ってしまうゴクリ、
人間的な心を完全に捨て去ることはできないまま、闇の底を這い回るゴクリ、
あらゆる者から嫌われ、あらゆる者を憎み返し、とりわけ彼をとりこにした「いとしい」指輪を何よりも憎むゴクリ、
物語が始まる遥か昔に、「他の者にだって起こりえた」悲しい運命を
たまたま引き当ててしまったゴクリが、哀れでならないからでございます。


以前にもちらと申しましたが、のろが『指輪物語』の中でゴクリと並んで愛する登場人物は
蛇の舌 グリマでございます。
彼もまた、ほんとうに哀れな奴なのでございますよ。

以下、蛇の舌について語る予定でございましたが、予想外に長くなりましたので明日に回します。
悪役ばなしってのはどうしてこう楽しいんでございましょうねえ。ヒヒヒ。

Aチーム

2007-05-08 | 忌日
昨今
道行く人に「ハンニバルといえば?」と尋ねたならば
返って来る答えのまず98%は「レクター博士」であるこってございましょう。
残る2%のうち1.9%は「カルタゴ」であろうと思われます。
そして残る1%の人はきっとこう答えてくれるはずでございます。

ハンニバルといえば
特攻野郎Aチームさ!

本日は
「Aチーム」のリーダー、ハンニバルことジョージ・ペパードの命日でございます。
Aチームをご存じない方のために申し添えますと
映画『ティファニーで朝食を』でヘップバーンの相手役をつとめた俳優さんでございます。

Aチーム、大好きでした、ワタクシ。
当時はガキンチョで、TV占拠権があまりございませんでしたから
自らチャンネルを回すというよりも(そう、かつてチャンネルは「回す」ものでした)
兄が見るのでワタクシも見る、といった具合ではございましたがね。

ベトナム帰りの4人が、冤罪のため世間から身を隠して
弱きを助け強きをくじく(報酬はもらうけど)、神出鬼没の特殊部隊を結成 という
まあ言ってみればアメリカ版「必殺仕事人」みたいな話でございます。

物はさんざん壊れても人は死なない、ひたすら明るく豪快な、胸のすくシリーズドラマでございました。
お話も面白いんでございますが
なんといっても主人公である4人(のちに5人)が、四者四様に魅力的なんでございます。
詳細は上のリンク先の「登場人物」項をご覧下さい。
ちなみにのろがいっとう好きだったのはクレイジーモンキーです。ええ、もちろん。

G・ペパード演じるハンニバルは、常に余裕しゃくしゃくで
すっとぼけていながらもヤルときゃヤル、いかしたおっちゃんでございます。
葉巻をくわえてニカッ!と笑う、人懐っこくてふてぶてしい表情に
羽佐間道夫氏の吹き替えが、いやはやなんともベストマッチ。

のろは基本的に悪役loverでございますが
こういうすっとぼけヒーローは いいなあ~ と思いますね。
こちらブルームーン探偵社のブルース・ウィリスなんかもね。
どこか飄々としていて、間が抜けているんだけれども最終的にはカッコイイのですよ。

などと思っておりましたら
B・ウイリスをハンニバル役に据えて
「Aチーム」を映画化するってぇプロジェクトが進行中らしいじゃございませんか!
ジョージ・クルーニーがやっても似合うとは思いますが
「オーシャンンズ11」と ちと かぶりそうなので、このキャスティングはないでしょうね。

それで、モンキーは誰がやるんです、モンキーは?
そればかりが気がかりなんですが。


最後に「あのテーマ曲をもう一度聞きたい」という貴方。
こちらのサイトさんで聞けますよ。
うーむ やっぱり旧バージョンのほうがよいです。

放哉忌

2007-04-07 | 忌日
本日は 尾崎放哉の命日でございます。
享年42歳。

咳 を し て も 一 人

ワタクシが放哉の句に出会ったのはたしか高校の教科書でのこと。
「頭を殴られたような衝撃」とはよく使われる比喩でございますが
この一句を目にした時のろを見舞ったのは、頭に釘を打ち込まれたような衝撃でございました。
おかげで、山頭火も斎藤茂吉も頭からふっとんでしまいました。
啄木は残りましたが。


こちらは数年前に制作した、豆本放哉句集。(写真がきたなくて申し訳ございません)


中はこんな感じでございます。



3ツ目綴じというやり方でございまして、真ん中のみ、綴じ糸が見えます。



蟻 が 出 ぬ や う に な っ た 蟻 の 穴

机 の 足 が 一 本 短 い

白 い 子 犬 が ど こ 迄 も 一 疋 つ い て く る

死 に も し な い で 風 邪 を ひ い て い る

あ る 昼 ほ が ら か に 花 が 散 り そ め し

読んでいるとたまらないような心地になります。

蟻 を 殺 す 殺 す 次 か ら 出 て く る

花 が い ろ い ろ 咲 い て み ん な 売 ら れ る

好きな句を挙げて行くときりがございませんので、これにて。

鞠 が は ず ん で 見 え な く な っ て 暮 れ て し ま っ た

水晶忌

2007-01-28 | 忌日
本日は
19世紀オーストリアの画家にして作家、
アーダルベルト・シュティフター の命日でございます。(1868年 62歳)

肝臓癌のもたらす激しい苦痛に耐えかね、剃刀で自らの喉をかき切ったのでございます。

岩波文庫から出版されているシュティフターの短編集『 水晶』 は、 1852年に出版された『石さまざま』から
『水晶』『みかげ石』『石灰石』『石乳』の4作品および『石さまざま』の序を収録したものでございます。

どの作品も、たいそう地味な装いをしております。

華麗な修辞が駆使されることもなく
絶望や愛が声高に語られることもなく
登場人物が、生きる意味について長広舌を振るうこともありません。

描かれているのは、歴史の表舞台には決して表れることのないような
ごくささやかな生を送る人々です。
しかし読み進めるうちに、こうした地味な、何でもないような外貌の下にある
結晶のように碓とした輝きが読む者の心に滲みてくるんでございます。

シュティフターが小説において描いた人々は
ミレーコンスタンブルが絵画において描いた人々のようです。

「農民」という意味ではございません。

ミレーの作品に描かれているような文化的風土を、現代の私たちは持ち合わせておりませんね。
私たちは「落ち穂拾い」をいたしませんし、晩鐘に作業の手を止めて感謝のお祈りを捧げたりもいたしません。
にもかかわらず、ミレーの作品を見て感動を覚えます。
「落ち穂拾い」が何を意味するのか知らない子供でさえ、ミレーの『落ち穂拾い』に心を動かされます。

その感動は、単に異国の牧歌的な風景に対して抱く憧れのみに帰せられるものではなく
そこに描かれている、無名の人間の、全く特別ではない生に対して
画家がよせる深く、強い肯定を感じればこそでございます。

そして無名の人の、特別ではない生を
愛情と確信をもって描き出したという点において、シュティフターの小説もまた
普遍的な輝きを放っているのでございます。


ところで
『石さまざま』の序文に、シュティフターはこんな一文をよせております。

ある人の全生涯が、公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆称にみちており、明るい落ちついた生き死にと結びついているとき、わたしはそれを偉大だと思う。心情の激動、すさまじい怒り、復讐欲、行動をもとめ、くつがえし、変革し、破壊し、熱狂のあまり時としておのが生命を投げだす火のような精神を、わたしはより偉大だとは思わない。 『水晶』 1993年 岩波文庫 p.282

シュティフターが「偉大だとは思わない」と明言した
人間の激情や熱狂や破壊性といった側面を、ことさら深く探求した小説家が
奇しくもやはり1月28日に亡くなっております。(1881年 59歳)

こちらの方の作品においては
登場人物が自らの世界観について、数ページに渡る長広舌を振るいまくったり
「世界をひっくりかえすほどの」美貌の持ち主が、燃え盛る暖炉に10万ルーブリの札束を投げ込んだり
善良な青年が「神がいないなら、僕自身が神だ」ということを証明するためにピストル自殺したり
1人の女性を父親と取り合った息子が、父殺しの容疑で裁判にかけられたり
その他の人々も、両手をぱちんと打ち鳴らしたり眼をぎらぎらさせたり赤くなったり青くなったり
そりゃもうえらいこってございます。

そう、
本日はドスとさんの命日でもあるのでございました。
ロシア暦では2月9日でございますが。

淡々とした美しい風景描写の中に、点景のように無名の人物を配し
素朴な生への讃歌をささげるシュティフター。
舞台で上演される演劇のように、個性的な人物の熱い語りに読者を引き込み
人間の負の側面を根底まで掘り下げるドストエフスキー。
表現における方向性はほとんど180度違うお二人でございますが
敬虔へのあこがれや、子供への愛着、
あとニーチェが賞賛を捧げている なんていう点において、妙に共通しているのでございました。




漆間時国の息子忌

2007-01-25 | 忌日
本日は
法然房源空の命日でございます。(旧暦)
法然房源空、まあ要するに法然さんでございます。

いわゆる鎌倉仏教の始祖さんたちの中では、のろはこの人がいっとう好きでございます。
なにしろバリバリの凡夫でございますので、ワタクシ。

しかし本日は、思うところもございますので
法然自身ではなく、この人のおとうちゃんのことを語らせていただきたく。

法然が出家の道へと歩んだきっかけは、父親の死でございます。
押領使(荘園内の治安維持など、地元の兵を取りしきる役職)であった法然の父、漆間時国 うるまのときくに は
ある夜、以前から不仲であった近隣の預所(領主に代わって荘務を執行する役職)
明石源内定明 あかしげんないむしゃさだあきら の奇襲によって命を落とします。
臨終にあたってこのおとっつあんは、跡取りである法然、もとい勢至丸くんに対してこう言い遺すのです。

「私を襲った敵を恨んで仇を討ってはならない。
 もしおまえが仇を討てば、またその敵の子がおまえを恨み、仇を討つことになるであろう。
 そのように遺恨をはらすのに遺恨をもってするならば、この世に恨みが尽きることはない。
 それよりも俗をのがれて仏門に入り、私の菩提を弔ってくれ」


いやあ
学習まんが 少年少女日本の歴史 でこのエピソードを読んだ時
のろはコドモごころに、いたく感動いたしましたよ。
もちろん今もって、これはじつに感動的な遺言であると思っております。

何がよいかと申しますと
まずもって、これが達観した宗教者の言葉ではなく
仇討ちがあたりまえであった時代に夜襲を受けて
今まさに死なんとしている一家の長が発した言葉である、という点でございます。

離れた場所からは、きれいごとがいくらでも言えるものでございます。
しかし自らが事件に巻き込まれ、大きな損害を受けたときに
相手を恨むな、それはより悪い結果を生むだけだ、と説くことはそうそうできるものではございません。

さらにのろの心を動かしますのは、このおとっつあんが
家のメンツがやビジネスが傷つくことよりも
憎しみと暴力の連鎖が起きることをより恐れた
という点でございます。

某国の長が、えっ らく狭義に捉えた「美しい」という言葉を連呼なさっておいでですが
自家のメンツや勢力の維持よりも、暴力の連鎖を止めることこそ肝要であるとした
漆間時国の遺言の精神には、時間、空間、宗教の如何にかかわらぬ、
ファンダメンタルな、言ってみれば全人類的な美しさがあると
のろは思うのでございます。