のろや

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孔明忌

2008-08-23 | 忌日
「あれ、あの煌々と見ゆる将星が予の宿星である。いま滅前の一燦をまたたいている。見よ、見よ、やがて落ちるであろう……」
言うかと思うと、孔明その人の面(おもて)は忽ち白鑞の如く化して、閉じた睫毛のみが植え並べたように黒く見えた。黒風一陣、北斗は雲に滲んで、燦また滅、天ただ秋々の声のみだった。


本日は
蜀の宰相、諸葛亮孔明の命日でございます。
しかし新暦8月23日はまだ残暑真っただ中でございますから、どうも「秋風五丈原」の趣はございませんねえ。

冒頭に掲げましたのは吉川英治の『三国志』より、宰相殿の没するシーンでございます。
15ののろの涙を絞った一文でございますよ。うをー

吉川三国志の底本である『三国志演義』は孔明の死後も話が続きまして、蜀がついえ、呉がくだり、三国が晋一国に統一されるまでを描いております。
吉川英治はその間の盛り上がりに欠けることと中心的人物の不在を嫌い、孔明の死をもって実質的に筆を置いております。
三国時代の終焉までは描かなかったことを片手落ちと見るかたもいらっしゃるようでございますが、ワタクシはこれでよかったと思います。
物語序盤~中盤の動乱期に綺羅星のごとくひしめいていた、個性的で魅力ある英雄たち、いわばスター選手たちは、物語が終盤へと向うにつれてある者は討ち取られ、ある者は病に倒れ、1人また1人と舞台から姿を消して行きます。
ようやく中盤になってから弱冠27歳で登場した孔明は、そんなスターたちの最後の1人でございました。
この壮大なドラマを、孔明という巨星の退場をもって幕引きとするのは至極妥当なことかと存じます。

また、個人的なことを言わせていただけるならば。
ワタクシが吉川三国志で孔明没のくだりを読んだ時の深い寂廖感と脱力とは、それまでの読書では経験したことのないほどのものでございました。それまで大したもの読んでなかったんだろうと言われれば、まあ、そうなのですが。
ともかくその時点では「孔明さんは死んじゃったけど、サァ気を取り直して」という心持ちには、到底なれなかったんでございますよ。

吉川英治は孔明の埋葬を簡潔に描いた後に「諸葛菜」と題した一編を寄せ、孔明の人となりを考察しております。
その筆致には偉大な友を哀悼するような、穏やかな敬愛が滲み出ており、ワタクシの傷心は大いに慰められたものでございました。
その中で孔明は、奇才でも天才でもなくむしろ「偉大なる平凡人」であった、と評されております。
几帳面で、簡素を好み、謹厳実直をこととした宰相。
しかしその生真面目さゆえに、かえって天下の人材を遠ざけたのかもしれない、とも分析されております。
あれほどの人材を集めた曹操は決して「生真面目」な人物ではございませんでしたし、財力も権力もないのに、多くの逸材をその「人徳」で惹き付けたとされる劉備は、実際はけっこう無頼漢でございました。
それに対して晩年の孔明、この清廉で生真面目な宰相の心をおそらく最も悩ませたのは、優秀な人材の不足ということでございました。
かつて劉備は自分と孔明との関係を水と魚のそれに例えましたけれども、水清ければ魚住まず...ということでございましょうか。

しかし、まさにその生真面目さこそが、後代にわたって人々の心を打ち続け、「長く英雄をして 涙襟に滿たしめ」たものなのではございませんか。
「演義」の中で空も飛ばんばかりの活躍を見せるスーパーマン孔明像も、この生真面目な人に寄せる民衆の深い敬愛があってこそ生まれて来たものなのではないでしょうか。
ワタクシはそう信じますし、宰相の生真面目さを愛する1人でもあるのでございます。



ところで孔明といえばこの秋、三国志の「赤壁の戦い」を題材とした映画『Red Cliff』が公開されますね。
孔明役は金城武氏ですとか。
むむむっ イメージと違う。 けっこう違う。 ずいぶん違う。
「赤壁」映画化の企画を知った時は、おおおジョン・ウーが赤壁!ジョン・ウーが赤壁!と大いに興奮しかつ喜んだものでございますが、色々と詳細が分かって来るに従って、不安や不満が心中にこんこんと湧いて出てまいりました。
まあ、それについてはまた別の機会に。






甘........

いや、別の機会に。

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