のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

忌日パレード

2007-01-23 | 忌日
本日はどうも凄うございますよ。
死神がアーティストをピックアップなさる日のようです。

1883年 ギュスターヴ・ドレ 51歳
1931年 アンナ・パヴロワ 49歳
1944年 エドヴァルト・ムンク 80歳
1947年 ピエール・ボナール 79歳
1981年 谷内 六郎 59歳
1989年 サルバドール・ダリ 84歳

ここに 220年 曹操孟徳 65歳 を入れたげてもようございますね。
のろは「短歌行」しか存じませんけれど。

その他にも
寺田屋は襲撃されるし
八甲田山では死の行軍へと出発するし
最後のニホンオオカミが射殺されるし
日本軍はラバウルを占領するし
アース製薬がゴキブリホイホイを発売するし

えらいこってございます。
「ワンツースリーの日」なんて言ってる場合ではございませんよまったく。


12月8日

2006-12-08 | 忌日
真珠湾とジョン・レノン。
ジョン・レノンと真珠湾。

All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance


理想を語る人に対して
悲観したり皮肉を言ったり無関心でいるのは
ひじょうに簡単でございますね。
彼が失敗した時には「ほらな、やっぱりな」と言えるし。

現状がひどいものであるにせよ
そこから抜け出そうともがいたりしなければ
少なくとも、それ以上落ち込んだり傷ついたりしなくて済むし。

今日のような日は
やっぱり人間、人からも歴史からもなんにも学ぶことなんてありゃしないのかな、と
結局何も変わりゃしないのかな、と
暗澹たる気分になりますよ。

だけどやっぱり理想は語られねばならないと思うのですよ。
どんなちいさな声だって上げないよりゃましなんです。



Imagine all the people living life in peace

想像してごらん、全ての人が平和に暮らしているさまを。

Imagine all the people sharing all the world

想像してごらん、すべての人が世界を分かち合っていると。







ピアフ忌またはコクトー忌

2006-10-11 | 忌日
伝説や噂ではなく本当のことだったのですね
ジャン・コクトーがエディット・ピアフの訃報を受けてショック死したというのは。

というわけで
本日はエディット・ピアフおよびジャン・コクトーの命日です。

昨年、神戸の大丸ミュージアムにてコクトー展が催されました.
コクトーにあまり興味の無かったのろは、当初は行くつもりではございませんでした。 
しかし、京都五条は増田屋ビルの素敵な古書店 砂の書 さんにてタダ券をいただきましたので
のろの活動テリトリーからは甚だかけ離れた、お洒落な神戸元町界隈へと
足を運ぶ気になったのでございました。



それまで何故か注意を払うこともなかった、コクトーのデザインやドローイング。
いやあ、その何と素晴らしかったこと。
闊達に引かれた線を目でなぞりながら、これを知らなんだとは今まで損していたなあと
のろはつくづく思った次第でございました。
何が言いたいかと申しますと
要するに、食わず嫌いはモッタイナイということでございます。


くわえ煙草でピアノに向かうコクトーの写真がございました。
横顔が美しうございましたよ。正面から見るとなかなかに縦長顔なんでございますが。

で。
ピアフ忌でもある本日。夜中の2時に目が覚めてラジヲをつけると、
それに合わせたものか「NHKラジオ深夜便」では、シャンソン特集を放送しておりました。
それに合わせたものか.普段めったに夢を見ないのろが
今朝はガレージシャンソンショーの山田晃士氏が御登場の夢を見てしまいましたとも。
「シャンソン」でこの人を引っぱって来るとは、のろの脳味噌もなかなかにヒネリがきいているではございませんか。
ノミのCDがどうとかこうとか おっしゃっておいででした。
いやあー いい夢でしたー。内容は忘れましたが。

何が言いたいかと申しますと
夢見さえよければ、その日いちにち、心楽しく過ごせるということでございます。
そうですとも!
たとえ通勤時間に合わせたように雨が激しく降り始め
職場に到達するまでにびしょぬれになり
帰宅時間になってもなお、靴下が乾かないような日であったとしても。

そもそも

2006-08-25 | 忌日
ああ 神様! 心を入れ替えるには どうしたらよいのでしょうか?

神様:「心を入れ替えなさい」


ああ 神様! やる気を出すにはどうしたらよいのでしょうか?

神様:「やる気を出しなさい」



うーむ
神様って頼りにならないなあ。




はい。

本日は
フリードリヒ・ニーチェの命日でございました。

乱歩忌

2006-07-28 | 忌日
本日は
江戸川乱歩の命日でございます。
『◯◯』の乱歩
と言った時、貴方なら『◯◯』に何を充てます?
人間椅子? 黒蜥蜴? 押絵と旅する男?
ちなみに当ブログのございますよ口調は、
『押絵と旅する男』の語りからいただいているんでございますよ。



しかしのろにとって、乱歩と言いましたら『少年探偵団』シリーズの乱歩、なんでございます。
ええ、大好きでございました。
怪人二十面相が。

図書館で一冊ずつ借りては読み進めて行ったのでございますが
返却期限が来るまでに、ヤツの出て来る箇所ばかり繰り返し拾い読みしたものでございます。
昔も今もやることがマニアックだ。すみませんB型なんです。

ヤツは本当にお茶目でございますよ。

大 怪 盗 らしく、
犯行の前にはきちんとターゲットに予告状を届けておくのです。
普通に盗りゃいいだろうって話でございますが、それではツマラナイのでございます。
派手なのが好きなんでございます。
なにしろ、全 身 金 ピ カ の衣装で登場したこともあるお方でございますからね。

大 怪 盗らしく、
変装がものすごく上手でございます。

「なにしろ自分の顔すら、忘れてしまったほどだからね。」

おおお、そりゃアイデンティティ・クライシスなのではございませんか、怪人。

そして
大 怪 盗 らしい奇想天外なトリックや、驚異の発明品、あるいは
大 怪 盗 らしからぬアホトリックや着ぐるみで、わたくしたちを楽しませてくれるのでございます。

現金には興味が無く(現ナマに手を出すのは、たくさんの手下をやしなうためらしい 笑)、
貴重な美術品をコレクションするのが目的で盗みを働くんでございますが
ライバルの明智君に捕まるたびに、収集品は全部召し上げられてしまうのです。
それでも、脱獄してから半年もすればコレクションはおおかた元通りになるとうそぶいておりますから
またコツコツ盗みなおしているんでございましょう。けっこう地道な蒐集家です。
その半年の間、明智君はいったい何やってるんでしょうか。
明智君に活動を悟られないように、ヤツも地味~に盗っているんでしょうか。
「いまに見てろ」とかつぶやきながら。

そう、ひとりごとがめっぽう多いんでございます、この人。
「フフフ・・・まさかこのおれが◯◯を計画しているとは気付くまい」ですとか
「フフフ・・・まさかあれがこの二十面相の変装だったとは気付くまい」てな感じのことを
しょっ ちゅう つぶやいてらっしゃる。
しかもそれを少年探偵団のメンバーに聞かれていたりして。

そして
「このおれがそう簡単につかまると思ったらおおまちがいだ」とか何とか言いながらも
絶 対 捕 ま っ て し ま うのでございます。
あるいは、爆死を匂わせつつ逃亡したり。

つまる所、絶対に明智君や小林少年に勝てないのでございます。
あんなに頑張っているのに。

そ れ で も な お 、
「ワハハハ・・・明智君、今度もまたおれの勝ちだね」
なんて、嬉しそうにのたまうんでございますよ。

小林少年に向かって「つくづく君がかわいくなったよ」なんて言っておりますが
ええ、言ってる当人の方がよっぽど可愛いんでございます。

『少年倶楽部』連載当時は少年探偵団バッジ(BDバッジ↓)や、少年探偵手帳が発売されていたとのことですが


『新潮日本文学アルバム 江戸川乱歩』1993 新潮社

のろは少年探偵団よりむしろ、二十面相の手下になりたかったクチでございます。
アジトに潜入していた小林少年をひったてて、監禁用の小部屋に放り込みながら
「ふん、いまいましいチンピラ探偵め。すぐさま始末してやりたい所だが、なにしろ、うちのおかしらは血がお嫌いなんでな」
とか何とか、言いたいではございませんか!

かように二十面相ファンでございましたので
グリコ森永事件で「かい人二十一面相」なる輩が巷を騒がせた時には
のろは事件とは全く関係のない所で立腹しておりました。

立腹1:変装もしていないくせに、その名を名乗るな。
立腹2:美術品蒐集目的でもないくせに、その名を名乗るな。
立腹3:怪 は漢字で書け。

あー ぷんすか。
でございました。

ともあれ、怪人二十面相という素敵なキャラクターを生み出してくれた乱歩さんには
最大限の感謝を捧げたいと思っております。

甚だ冗長になってしまいました。
二十面相風に、颯爽とシメたいと思います。

ワハハハ・・・それでは諸君
またあおう・・・あばよ!


と見せかけて追記。
二十面相の本名は遠藤平吉さん でございます。サーカス団出身。
なんかもう
この時点ですでに、明智小五郎に負けております。雰囲気的に。

ロバート・キャパ写真展

2006-05-25 | 忌日
本日は
ロバート・キャパの命日でございます。
1954年5月25日、インドシナ(現ベトナム)で撮影中、地雷に触れて亡くなりました。
享年40歳。

キャパの最期については、こちらの ↓ ブログで詳しく書いておられます。

THE EYE FORGET ロバート・キャパが地雷を踏んだ最期の場所が無くなる。

短い生涯の間に、数々のすぐれた報道写真を発表し続けたキャパ。
彼の写真展が、5月31日から6月12日まで、大丸ミュージアム神戸にて開催されます。

DAIMARU MUSEUM:神戸店スケジュール

↑ 画像をクリックすると、詳しい情報が見られます。

『ロバート・キャパ写真展 CAPA IN COLOR』
CAPA IN COLOR、そう、カラーなのでございます。
死の直前に撮影された有名なショットも含め、
近年発見されたという未発表カラー写真を「世界に先駆けて一挙公開」というのですから
これを見逃す手はございませんよ。

通常、当 のろや では、のろが観て来た、かつ開催中の展覧会をご紹介しているのでございますが
当方もちと先駆けて取り上げてみました。




スピノザ忌

2006-02-21 | 忌日
21日 と 書いているものもあり
22日 と 書いているものもあり
23日 と 書いているものもあり

つまる所、研究者でも歴史家でもないのろは、正確な日付は存じませぬ。

ともあれ
1677年 2月21日 か、そのあたりに
オランダ共和国 ハーグ市近郊の 下宿の一室で
哲学者バルフ・デ・スピノザが亡くなりました。
享年 44歳。

            


死の当日も普段と変わらぬ平静さで過ごし
家主の一家が教会に出かけている間に
友人の医師ひとりに看取られて 息を引き取りました。

死の前日、スピノザは
生前ついに出版されることのなかった『エチカ』を含む、自らの原稿を整理して友人に送りました。
この遺稿集は------「真理は万人の所有であって、個人の名に帰せられるべきものではない」との信念から------
匿名で出版してくれるよう依頼され
この年の12月に スピノザの願い通り、匿名で出版されました。

質素な生活を送り 自身が金欠の時でも 困っている人には気前よく金を貸してやり
孤独を好みながらも人当たりがよく 訪問者はいつでも 気分のむらなく親切に迎えました。

彼の思想を「無神論」として嫌悪する人々も
彼の素行に 非難すべき点を何ら見いだせませんでした。

こういうことを つらつら書いていると
「わたしの生き様など、どうでもいいのだよ」と どこか 遠い高い所で スピノザが静かに笑う。
「わたしがどのように生きようと、真理が真理であることに変わりはない。
 それに、わたしは 神 即ち自然 の必然性に、従って生きただけなのだから」

そうです、けれども師匠
「徳ある無神論者」あるいは「神に酔える哲学者」スピノザ、
あなたがそのように生きた ということが、のろには重要なのですよ。

あなたが哲学を始めるにあたって
「何が真実か」ということからではなく
「人間にとって、何が幸福か」ということから発したように

のろにとっては
「何が真実か」ということよりも
「どうしたら、あなたのように生きられるか」が 問題なのです。






↑去年、神戸で開催された「オランダ絵画の黄金時代-----」アムステルダム国立美術館展」より
1672年のアムステルダムの運河を描いた作品。
当時スピノザはハーグ住まいでしたが
1675年7月、『エチカ』出版の働きかけのため、アムステルダムを訪れています。
(無神論を説く危険思想の持ち主と見なされていたので、出版は断念せざるをえませんでしたが)

まさにこの運河の風景を スピノザも 見ていたかも しれませんなあ。



ちなみにこんなサイトもあり。
みんなのエチカ

さあこい

2006-02-13 | 忌日
2月11日は、デカルトの 命日でした。
2月12日は、カントの  命日でした。

さて
2月13日。

さあ来い、ヘーゲル!
と思いますでしょう。

残念、ヘーゲルさんの命日は11月14日でした。

代わりに というわけではございませんが
クラウス・ノミさんの大好きな、略奪愛作曲家・ワーグナーの命日でございました。

この方も見事なドイツデコをお持ちですね。(ドイツデコとは→1/30の記事を参照)

ほら。




ほらほら。




ほおおおおおら。




いやあ結構なカリカチュアでございますねえ。
ご覧下さいまし、このみごとな絶壁デコ。


というわけで
本日の記事には、皆様の福祉に饗するような情報は
なにひとつ無かったかと存じます。
申し訳ございませんでした。