わりと近くに、藍の館というのがあります。
江戸時代の藍商の屋敷を記念館にしているところで、資料や当時の道具などの展示も充実しています。藍の花に興味が湧いているので、もう一度藍の歴史を勉強に行ってみました。
白花小上粉です。
中庭の藍栽培の展示場に栽培されていたものです。品種はこれだけでした。
展示館の中の説明では「京都で栽培されていた、いわゆる〈京の水藍〉と呼ばれた上質の藍が江戸時代に徳島に入り、白花小上粉と呼び名が変わった」
「第二次世界大戦中、食料増産の為藍が禁止作物となったとき、藍師17代目佐藤平助が藍種を絶やさぬように山中で密かに栽培し、一年草である藍種を守り抜いた」などと白花小上粉のことが書かれています。
守り抜かれたのはこの白い花の咲く藍だけだったのでしょうか。いろいろと想像がふくらんで、藍のことももっともっと知りたくなりました。
江戸時代の藍商の屋敷を記念館にしているところで、資料や当時の道具などの展示も充実しています。藍の花に興味が湧いているので、もう一度藍の歴史を勉強に行ってみました。
白花小上粉です。
中庭の藍栽培の展示場に栽培されていたものです。品種はこれだけでした。
展示館の中の説明では「京都で栽培されていた、いわゆる〈京の水藍〉と呼ばれた上質の藍が江戸時代に徳島に入り、白花小上粉と呼び名が変わった」
「第二次世界大戦中、食料増産の為藍が禁止作物となったとき、藍師17代目佐藤平助が藍種を絶やさぬように山中で密かに栽培し、一年草である藍種を守り抜いた」などと白花小上粉のことが書かれています。
守り抜かれたのはこの白い花の咲く藍だけだったのでしょうか。いろいろと想像がふくらんで、藍のことももっともっと知りたくなりました。