読書な日々

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『悪童日記』

2009年01月29日 | 現代フランス小説
アゴタ・クリストフ『悪童日記』(早川書房、1991年)

『悪童日記』などというような、馬鹿みたいなタイトルに勘違いをしないようにしよう。日本の小説には絶対ありえないけど、なぜかしら翻訳小説によくある、馬鹿みたいなタイトル、ちょっとこじゃれたローティーンの、生意気で、お茶目な、そしてちょっとスリリングな小説を期待してこれを読んだ人を、不愉快にさせるような小説ですよ。本当にいつも思うけど、日本の出版社のせいなのか、翻訳者のせいなのか知らないが、こういう小説に「悪童日記」なんてタイトルをつける奴の気が知れない。

第二次大戦のハンガリー。王国から人民を解放すると称して占領して傀儡政権をつくったナチスドイツによる占領という状況だけでも、日本統治下の朝鮮のように、外国人に支配されているのに喜んでいるふりをしなければならない社会が大人にとってさえ矛盾に満ちたものであろうに、ましてや子どもにとっては理解しがたい状況にちがいない。そして戦争はそれまで隠されていた矛盾をさらけ出す。なりふり構わず生きることに必死にさせられることで、平時には見えないものが見えてくる。、善悪の区別はつかなくなるし、勝者も敗者も区別がつかなくなる。貧者は生きるために自らを卑しくすることまでせざるをないか、それをしたくなければ死ぬしかない。ましてや新たに解放と称して侵略してきたソ連さえもが侵略者の本性を見せるようになると永遠にこんな状況が続くのかと絶望的になるだろう。

語り手である双子の視点からしか描かれていない(体裁としては双子が書いた手記)から、双子のことは何歳であるとも、外見がどうということもいっさい書かれていない。すべて双子が見たり聞いたり体験したことだけを書き留めたという形式をとっているので、翻訳としてもそういう子どもらしい文章ということになるのだろうが、しかしそこは早熟で理詰めでものを考える双子という性格からして、見たり聞いたりしたことをそのまま記述する「子どもらしい」手法が、最初は違和感なしに読めるが、徐々に現れてくるシリアスな内容ゆえに、ときに強烈な印象を与える。

兎口の少女が獣姦するとか、司祭の世話をする娘が双子に裸をさらすとか、おばあちゃんの家にいる将校がマゾっけがあるとか、ユダヤ人がナチスに連れ去られる事態を、説明を加えないでたんたんとあったことを、あたかも何を意味するのか理解できないけれども記述するという方法は、説明がないだけに、いっそう強烈な印象を与える。

書いているのがたぶん10歳くらいの少年だということが、世の中の仕組みや裏側を理解しないがための面白さを作っていると同時に、やっていることが空恐ろしくも思われる。しかし子どもだから面白いというのは、ちょっと違う。この双子のことは「事実のみを書くこと」というこの手記の既定方針からくるものではなくて、作者の意図する方針からくるのだろうと思う。そのためにわざと双子の子どもが書いた手記という体裁をとっているのだろう。そういう意味では、たぶんアゴタ・クリストフが現実に経験したことがもとになっているにせよ、よく考えられ練られたつくりになっていると思う。しかし上にも書いたように双子の手記という体裁をとっているとはいえ、この双子の名前も特徴もいっさい記さないというのは、自分たちの力と千恵だけで生きていかなければならない子どもの視点によってこそ、いっそうよく矛盾だらけの社会を映し出せるという確信があったからだろう。この点でも成功した小説だと思う。

訳者の堀茂樹によるとアゴタ・クリストフは1986年に完成したこの作品をまったく紹介もなしに直接出版社に送ったらしく、ガリマールなどが冷たい返事をしたのに対して、スイユだけが無修正で出版したとのことである。原題が Le Grand Cahier ということから、タイトルもまったく内容を伝えるものでないために、口コミで知られ、じょじょに売れるようになったらしい。ほんとうに興味深い。

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