読書な日々

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『生物と無生物のあいだ』

2009年01月07日 | 自然科学系
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)

この人、分子生物学者という、見た目には味も素っ気もない、試験管と顕微鏡をにらめっこしているような毎日を送っている人かと思ったら、ずいぶんと文章がうまくて、下手な詩人よりも、いや極上の詩人よりも文章に詩情があって、味わい深い。このことは大方の読者が認めることのようだ(って、だれが読んでもわかるでしょう)。どの章も、著者が一時期を過ごしたアメリカのニューヨークやボストンの乾いた冬の町の湯気と冷気に閉ざされた研究室での熱き闘いの対比が上手に描かれている。

こういう文章上手は私の期待していたところではないのだが、反対に私が期待していた「生物と無生物」にかかわる哲学的な考察というようなものはなくて、著者が過ごしたニューヨークやボストンでの研究にまつわる、物にすぎない原子(あるいは分子)と自己複製をすると規定される生物との境界あたりでの分子生物学にまつわる面白ネタを素人にも分りやすく書いた著書と言ったほうがいいようだ。

そういう意味では、たんに私が的外れな期待をしていたからだと思うのだが、帯に「絶賛の嵐」と書いてあるほど面白いものとは思わなかった。たしかにDNAの螺旋構造とその意味の発見にまつわるドキュメントは、それなりに面白いし、読んでもためになるのだが、こういう話はどの分野の研究にもある。逆に言えば、ノーベル賞などというものがほんとうの意味での発見の功労者を正当に顕彰するものではないことを示しているということだ。ノーベル賞を授与されることで社会的な顕彰を受けた人とその礎を作りながらまったく社会的な(研究学界的なという意味ではない)評価を受けないで忘却のかなたに埋もれてしまう人の差は、いつか歴史が埋めてくれるのだろうが、人間、できれば生きているうちに社会的な評価を得たいと思うのはとうぜんのことで、まぁどちらがいいとは一概には言えないのだが。

一つ興味深い話があった。それは実験で思うような結果が得られなかったときの研究者の対応の仕方という話である。そういうときに、実験の精度や方法に問題があったと考えてやり直しをするか、そもそも自分の仮説そのものが間違っていると断念して他の仮説を考えるかという決断が必要になるときがあるという。実験が1日2日で終わるようなものならいいが、たいていの実験は何日も何日も昼夜を徹して行われるものなのだから、おいそれとは自分のしてきたことを否定できない。それは理系だけでなく文系でも同じことで、一次資料を調査するのに、ただ漫然と読んでいるわけではなくて、ある程度のまとまったテーマを念頭に置いて、それを証明するようなもの、それの足がかりになるようなものを探しつつ本を読むわけで、だからといって、何十冊と読んだ本のなかで論文に利用する(引用する)箇所が1箇所でもあれば御の字で、まったくない場合も多い。あるいは何百ページもの研究書を読んでも、論文にまとめたら、たったの一行にしかならないような場合もあるのだ。なにも字数を埋めるために本を読んでいるわけではないから、それは結果論に過ぎないのだが、ほんとうにこんな作業は好きでなければやっていられない。

そしてこれもまた面白い話なのだが、いくら結果が出てもそれを解釈するとか意味づけるのはまた別の話だということ。この本のDNAの話で言えば、DNAの結晶をX線写真にとったフランクリンがかわいそうなのは、彼女は分子生物学にはまったく縁がなかったから、自分が苦労して撮ったDNAのX写真がどういう意味を持っているのかたぶん理解していなかったのだろう。四つのATCGが決まった数字で表れることの意味を考え続けていたワトソンとクリックにして初めてその意味を解釈することができた。これもまた研究と評価という観点からみた世界の怖ろしいところであろう。人はやはり意味づけをした人のほうを評価したがるものなのだ。職人と哲学者、どちらが社会的に評価されるか、やはり解釈をする人=哲学者のほうだろう。


最後に一つだけこの本で感心したところ。これは著者の研究グループの発見らしいが、どういうシステムで細胞の中に外を取り込むのか、言い換えれば、細胞の中に袋のようなものができるのかというメカニズムを説明しているところは、自然界ってこういうなんともいいがたい、思わず「なるほど!」と手をたたいてしまうような現象に満ちているということだ。ここでは、あるたんぱく質が酸性が強くなると凝結し、通常の中性に近いPHだと別々になっていることから、細胞の外側のphが酸性が強くなると凝結して輪を作り、細胞内部に落ち込んでいき、そして風船のような形になって細胞内部に入り込む、ということらしい。そういう自然界の神秘ともいえるようなメカニズムを解き明かした人たちはみんなそのメカニズムの美しさを前にして謙虚な気持ちになるのだろう。しかしまたそれは人間界での振る舞いとは別だというところが、人間の面白いところか。


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