読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『耳をすませば』

2006年03月11日 | 映画
近藤喜文監督『耳をすませば』(1995年)

昨日テレビで『耳をすませば』をやっていましたね。すでにビデオももっているし、別にテレビでやったから見なきゃいけないものでもないのだけど、ついつい見てしまいました。やっぱ好きなものは何度見てもいいね、というところに落ち着きます。で、どこが気に入っているのだろう?

まず、主人公の月島雫が本好きだということがあるだろうな。学校の図書館で本を借りるシーン、父親が勤めている市立図書館に弁当をもっていく途中に不思議な猫をおっかけ、天沢聖司と出会うが、まだこの同級生が、図書カードの天沢聖司だとは分かっていない。そのあと、父親に弁当を渡したついでに、図書館で本を読むシーン。家の食卓で家族がみんな談笑しているときに、一人部屋で本を読んでいるシーン。どうでもいいようなこういうシーンがこの映画にたいする私の気持ちを決めているのかもしれないな。フィクションだとは分かっているけど、京王線の「向島駅」だとか「杉の宮駅」なんてのがあるのじゃないか、なくてもモデルになった場所や図書館が多摩あたりにあるのじゃないかと、数年前にたまたま多摩の知り合いの家にいったおりに、あの周辺をうろうろしてみたのだけど、残念ながら見つからなかった。

私は、月島雫や天沢聖司の年代にはそれほど本好きの少年ではなかった。むしろ、前にも書いたことがあるが、理系志望だったので、小説とかその他のフィクションはほとんど読まなかったが、高校に入ってから文学に目覚め、日本の近代文学やヨーロッパの文学などを読むようになった。でもあの頃は図書館にいって本を読んだり借りるという発想がなかった。だいたい高校の図書館へ入ったことがほとんどなかった(高校時代はスポーツ系のクラブに精魂を使い果たしていたこともあったから)。いまから思えば、たいした本はなかったにしてももっと図書館を使えばよかったなと思う。一度だけ、知り合いが受験の自習をするというので図書館に行くから、そこで待ち合わせしたために、行ったことがあったな。市立の図書館とかは一度も行ったことがなかった。

いまは専ら市立図書館を使っている。駅前にあるので便利だ。たしかに本は少ないから、読んでみたい本はあらかた読んでしまった(くれぐれも図書館の本をあらかた読んだと勘違いしないでくださいね。私が読みたい本は、ということですよ)。でも本棚をながめていると、おっと思うような本が見つかるし、こちらが予め読みたいと思っている本ばかりではなく、そうやって新発見のようにして知らない世界や作家を見つけることも、図書館の面白味だろうと思う。

そして月島雫は物語を書き始め、書き終える。膨大な量のインプットをもとに、自分の世界を作り上げる物語を書く。なんて素晴らしいことだろうと思う。それが他人からどう見えようとかまわない。でも地球屋主人のように一人でもいいから、それを理解して励ましてくれる人がでてくればそれにこしたことはない。やっぱそういうことは若いときにないとね。私くらいの年になると、一種の郷愁をもって見ることしかできないが、それはそれで楽しいことだ。

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