読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「寡黙な死骸 みだらな弔い」

2006年11月05日 | 作家ア行
小川洋子『寡黙な死骸 みだらな弔い』(実業之日本社、1998年)

奥田英朗の『ララピポ』のような循環構造をもった短編集である。であるが、さすがに、小川洋子だけあって、奥田英朗のときに書いたような、循環構造というコンセプトが出来上がった時点で勝ったようなもの的な、単純なつくりではないところが面白い。

「洋菓子屋の午後」のオチである、六歳のときに捨てられた冷蔵庫のなかに入って死んでいた息子のために毎年のようにイチゴ・ショートケーキを買いに来る母親というところからして、なにか人生に対する怨念のようなものがこの作品集には漂っている。イチゴのショートケーキとか、この店に香辛料を納入している店のおばあさんとの会話とか、一見メルヘン調に見えながら、その実、人生にたいする棘が感じられるのだ。

「果汁」のいつも申し訳なさそうにしている少女がかつて郵便局だったところに積み重ねられたキーウイを食べに蝶番を壊してしまうところなども、一線を超えてしまった少女のエロチックさが見える。

病院の秘書課につとめる美人で有能な女性(「果汁」の少女の母親か?)が不倫相手の医者を最後には殺してしまう「白衣」とか、心臓が皮膚のすぐ下まで出てきているという特別な体をもった歌手のためにそれを被うかばんを作ることを依頼されたかばん屋が完成直前に手術をするからいらないとキャンセルされたためにその女性の入院先に出かけて心臓を切り取ってしまう「心臓の仮縫い」とかになると、メルヘン調どころか、人間に対する恨み・激怒・憎悪のようなものが溢れている。

小川洋子って、『博士の愛した数式』のようなちょっとほのぼのとした作品ばかり注目されているけれども、以外に奥深い所で人間嫌いの根をもっているのではないのかなと思わさせる短編集である。

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