読書な日々

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『灰色の魂』

2011年09月18日 | 現代フランス小説
フィリップ・クローデル『灰色の魂』(みすず書房、2004年)

灰色の魂
フィリップ・クローデル
みすず書房
クローデルの小説をそんなにたくさん読んでいるわけではないが、2009年の『ブロデックの報告書』系列の、人間の腹黒さを暴きだすことを狙った、陰気な小説。

彼のこういった小説に入り込めないのは何故だろう?普通、読者は登場人物の誰かにある程度は感情移入しながら読もうとする、あるいは感情移入できる登場人物を探しながら読もうとするものではないだろうか。もちろん最初から最後まで一人の人物だけに感情移入するとはかぎらないが、少なくともだれかに感情移入できたら、作品世界に入ることができたことになるだろうし、その場合には作品世界にたいして違和感をあまり抱かずに読み進めることができる、と思うのだが。

この小説の場合は、誰一人としてそういう対象にならない。というかそれを拒否しているような気配さえある。たんに読者である私、フランスの第一次世界大戦や第二次大戦のことは頭で知っているが、その頃のフランスの片田舎に住んでいたフランス人がどんなことを感じる人々だったのか、まったく知らない私にとって、訳のわからない世界に住む、訳のわからない人々の世界で起きた、訳のわからない事件について、たぶん日本の読者など想定しない作者によって書かれた小説のいったいどこに感情移入できるというのだろうか?

現代のテレビや雑誌で描き出されているフランスの姿が作り物であることぐらいは私にも分かる。そういうことは数十年前の日本の片田舎でさえもあった。日本にも、ここに描かれるフランスの片田舎と同じように、現代人の目から見たのではおどろおどろしいような世界があった。グローバリズムはそういうかつての村落がもっていた閉鎖された社会に固有のおどろおどろしさを、のっぺらぼうな、つるんとした肌触りの世界に変えていくという功罪をもっている。

私には理解出来ないけれども、そういうものを描き出したクローデルの作品が現代フランス人に大いに評価されるというのは、あり得ることだろう。だからこの小説に意義がないなどと私は主張するつもりはまったくない。ただ私には理解できない世界だったというだけのことだ。だがアマゾンのブックレビューで、日本人読者たちさえもが絶賛していて、なかにはカラマーゾフにつぐ傑作だなどと評価する意見もあるのを見ると、驚きというほかない。そういう意見も含めて、なんだか私自身が世間というものから遠く離れてしまったような感覚が感じられることに、驚きを覚える。

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