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自炊代行紛争

2011年09月19日 | 日々の雑感
自炊代行紛争

今日の朝日新聞によると、相変わらず、自炊代行業者と出版社のあいだで、自炊代行をやめろ、やめないで紛争が続いているらしい。

出版社にすれば、自炊そのものは個人が個人で利用するために行うという範囲内の行為なので問題ないが、それを代行するということは一冊の本で何冊分もの電子本ができることになり、紙の本が売れないということを懸念しているからだ。

これにたいして代行業者のほうは、出版者が電子本を作ったら、代行業は行わないと断言しているらしい。

普通に考えれば、私は代行業者に分があると思う。こういう代行業者が流行るということは、電子本にたいする需要があるということだろう。需要があるにもかかわらず、出版社が電子本を出さないのは怠慢としかいいようがない。出版社としては電子本を出したら、紙の本が売れないというようなことを考えているのかもしれないが、もしそうだとしたら、現実を見ていない。

現実にはまだまだ紙の本が優勢だし、電子本を購入したいというような人は、そうとうの読書家で、紙の本は重いしかさばるから、持ち運びに不便だと思っているだけのことだ。つまり紙の本の購入者が、電子本に移行するだけのことで、販売部数は減るどころか増えるだろう。彼らは、紙の本だったら買わないが、電子本なら買うというような人たちでもないと思う。

そもそも電子化するのにいったいどれだけの手間暇がかかるというのだろうか。今時は著者が出版社に入稿するのだって、最初から電子化されたもので入稿するのが一般的だろうから、それに手を入れて紙の本を作ると同時に、電子化するのにたいした手間暇はかからないはずだ。だから、同時に両方の媒体で出版すれば、きっと出版部数が落ちるどころか、増えると思う。

電子本というのは紙の本とはちがったメディアとなる可能性を秘めている。ちょっと考えただけでも、たとえばクリックひとつで知らない単語の意味や歴史的背景などをその場で確認できるようにすることもできるし、視覚的あるいは聴覚的な表示が有効であれば、そういうもので提示することも可能になる。紙の本を読んでいる場合のように、いちいち別の辞書や本を探してきて意味を探すなんてことをする必要がない。たとえばある曲名が書いてあっても知らない場合、紙の本なら、自分がその曲の入ったCDをもっていなければ、どんな曲かはわからずに読み進めるしかないが、電子本ならそこをクリックするだけで曲の一部や全部を聞いて確認するなんてことも可能になるだろう。そういう意味で電子本はたいへんな可能性を秘めたメディアであることくらいはだれにでも分かるだろう。

だが現在の代行業紛争の問題はそんなレベルの話ではない。たんに紙に印刷された文字を電子化するかしないかという話であって、そんなことは電子化すればいいだけのことだ。そんなことでやめろなどと裁判沙汰にしようとしている出版社の気が知れない。

そんなことに力を注ぐよりも、海賊版を虱潰しにすることのほうに精力を傾注したほうがいいのじゃないのかな、出版社としては。

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