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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

失敗の科学

2020年03月26日 | 苦しみは成長のとびら
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』 (2016/12/23・マシュー・サイド著・有枝 春翻訳)には、人や企業が何故失敗するのか、失敗の意味や問題点を種々、実例をもって説いている本です。著者のもっとも言いたいところは、次の点のようです。以下、転載です。


ここまで科学の歴史などを大局的に追ってきたが、より焦点を絞って、失敗から学ぶ力を具体的に発揮する方法を考えていこう。
まず何よりも重要なのは、失敗に対する考え方に革命を起こすことだ。これまで何世紀にもわたって、失敗はまるで汚らわしいもののように扱われてきた。
 この考え方は現在も依然として残っている。だから子どもたちは[間違えたら恥ずかしい…]と思い込み、教室で手を挙げることができない。医者は失敗を認めず、政治家は政策を検証しない。非難やスケープゴートが日常的に見られるのも、背景となる考え方は同じだ。
 ビジネスリーダーや教師ばかりでなく、我々も社会人として、また親として、失敗に対する考え方を変えていかなくてはならない。子どもたちの心に、失敗は恥ずかしいものでも汚らわしいものでもなく、学習の支えになるものだと刻み付けなければならない。
互いの挑戦を称え合おう。実験や検証をする者、根気強くやり遂げようとする者、勇敢に批判を受け止めようとする者、自分の仮説を過信せず真実を見つけ出そうとする者を、我々は賞賛するべきだ。
 [正解]を出した者だけを褒めていたら、完璧ばかりを求めていたら、「一度も失敗せずに成功を手に入れることができる」という間違った認識を植え付けかねない。複雑すぎる社会では、逆にそうした単純化が起こりがちだ。もしその間違いを正すことができれば、我々の生活に革命が起こると言っても過言ではない。失敗に対する自由な姿勢は、企業、学校、政府機関などほぼすべてのあり方を変える。もちろん簡単なことではないし、抵抗も受けるだろう。しかしその壁を乗り越えていくだけの価値はある。
 ブライアン・マギーは、カール・ポパーの反証主義を引き合いに出してこう言っている。

自分の考えや行動が間違っていると指摘されるほどありかたいものはない。そのおかげで、間違いが大きければ大きいほど、大きな進歩を遂げられるのだから。批判を歓迎し、それに対して行動を起こす者は、友情よりもそうした指摘を尊ぶと言っていい。己の地位に固執して批判を拒絶する者に成長は訪れない。我々の社会に大きな転換が起こり、ポパー的な反証主義で批判をとらえる姿勢が広く浸透すれば、私生活にも、社会生活にも革命が起こり得る。もちろん、仕事をする上でも例外ではない(『哲学と現実世界―カール・ポパー入門』アライアン・マギー著)。(以上)
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現代の病理と真宗

2020年03月25日 | 現代の病理
書庫にあった『現代の病理と真宗―救いの意味』(米沢英雄著)、本書は昭和37年に講演した講演録です。筆者については、ウィキペディア(Wikipedia)

米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月31日 - 1991年〈平成3年〉3月3日)は、日本の医師、浄土真宗の伝道者。
福井県福井市生まれ。旧制第四高等学校文科を経て、日本医科大学を卒業。医学博士。開業医のかたわら、親鸞聖人の教えに深く帰依し、多数の著作、全国各地での法話・講演などで、多くの念仏者を生み出した。著述、講演による伝道者・実践者としての功績で1989年<平成元年>第23回仏教伝道文化賞を受賞。(以上)

私が学生の頃、大谷派で名を馳せた方です。医師であり、文明や浄土真宗の専門化ではないので「思う」範囲を出ませんが、高度成長の最中、浄土真宗の念仏者は、何を考えていたが興味深く読み返しました。

マックス・ピカートというドイツの哲学者は、現代は人間のアトム化しつつあると申してい                                        
ます。個人の価値とか尊厳というものが、名のみで実際は抹殺されつつある。民主主義というのも人間が量ではかられるのである。共産主義も亦、人間が機絨の一部品、つまりはアトムとして行動することを要請する。しかも、現代はこれを色どる強烈な色彩、それは洪水のような消費文化或は心を刺激するスローガンの形をとって現われて、人間の目を奪ってしまうために、人間、か間化しつつあるという人間の最大の悲劇に気付かずに、次第に病を深みに追いこみつつあるのです。この病がおそろしいのは、この病にかかりながら私達は少しも痛みを感じないというところにあるのです。消費文化やスローガンの麻酔にかかっている間に、生活が次第に蝕まれつつあるわけであります。むしろ人間が好んで蝕まれつつあるのだとも言えるでしょう。だからこそ、この病から回復させるのが困難なのであります。誰も自分が病んでいると気付かぬのですから、医者がいくら警告して騒ぎましても、五月蝿いなあ、淮のことをそんなに心配してさわいでいるのだ、俺なら大丈夫だよというようなわけであります。(以上)

怒濤ように押し寄せてくる消費社会を前にして、その危険性を訴えています。そしてその処方箋としての念仏は「現代の病の唯一の治療法であると、その理由を挙げています。多くは、病に対して対処療法であるが、病に対して根底的に応えるものである。人間の本質が明らかになる。それが念仏の効用であると説いています。
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患者が実存的転換

2020年03月24日 | 苦しみは成長のとびら
2011年11月11、13日に、このブログで、ロゴセレピーという、アウシュビッツの体験談「夜と霧」の作者であい精神科医・哲学者、ヴィクトール・E・フランクルが創始した精神療法について紹介しました。このフランクル精神療法は「実存カウンセリング」ともいわれて取り組まれています。

図書館が休みなので書庫にあった『実存カウンセリング』 (21世紀カウンセリング叢書・2002/3/30・永田 勝太郎著)を読み返していたら、がん患者の人格的変容について紹介されていました。興味深いので転載しておきます。

 フランクルにより提唱された実存分析の本質は人間の精神における人間固有の自由性、しかも責任を伴う自由を行使させ、治療に応用しようというところにある。患者の内なる精神の自由性と責任性に自ら目覚めさせ、運命や宿命に抵抗する自由もあることに気づかせ、そこから、その患者独自の人生の「意味」を見出させようとするものである。その結果、患者が実存的転換(人格的変容)に到達するものである。

従病(しょうびょう)的態度に至った患者群の行動特性

我々の経験では、時に、癌の患者がその「頑固さ」から抜け出て、「素直でしたたか」な態度へと行動変容することがある。このような症例が実存的な態度変容を為し遂げ、ついには癌すら乗り越えてしまうことがある。こうした態度変容を「従病」(しょうびょう)という。すなわち、病にしたがったふりをして、逆に病を従えてしまうしたたかさである。
 ここでは我々が経験した従病的態度変容に至った症例に共通していると思われる項目を挙げてみる(臨床経験から)。

① 癌の発症前は依怙地な性格、頑固なライフスタイルを維持し、他人の意見を聞き入れるような柔軟性に欠ける。

② 発症後、何かのきっかけで、言わば、「至高体験」と言えるような体験がある。
それは豊かな自然や人間との暖かい交流の中で、体験することが多い (体験価値)。

③ そうした体験を契機に、「生かされて、生きている」自らの生命の本質・尊厳について深い洞察を得る。すなわち、自らの生命は時間内存在(誕生から死までの限られた時間内での存在)であり、関係内存在(自然環境、人間環境などのさますまな関係の中で「生かされて生きている存在」であることへの気づき)であり、自己の存在そのものが自然の一部であることに体験的に気づく。それは第三者から見ると、驚くほどの急速な態度変容であり、「頑固」から「素直」になったように見える。
 患者は、こうした体験的認識を踏まえ、自らの生命の尊さ(生命への尊厳)、「生きることの意味」について再考し、自己の人生に自信を持ち、自分にはまだすべきことがあり、死んではいけない生命の重さを有していることに気づいてゆく。生きることへの責任への気づきである。また、そうした場合、なんらかの人生の目的ができる。
 それは患者にとっての「生きる意味」であり、どんなささやかなもの、どんな日常的なものでも良い。
 こうした過程のなかで、患者に「したたかさ」が発現してくる。何とかしてそれをやり抜こうという強い意志の現れである。
 こうした態度を従病と言う。すなわち、病に従った振りをして、逆に病を従えてしまうほどのしたたかさである。これこそが人間のみに与えられた高度精神機能であろう。

④ このような過程のなかで患者は悲観的人生観から楽観的人生観へと転換してゆく。
患者は日常のありふれた事象に対し喜びを見出し、美しいものを美しいと認識し、人生を楽しむようになる。
 さらに患者はユーモアをもつようになり、朗らかになる。自分の置かれた事態に対して、「なぜ?」と問うのではなく、「いかにすべきか?」を問うような方向へと態度を変容してくる。
 こうした態度の変化が第三者から見ると「素直」になったように見られる。

⑤ 周囲 のすべてに対し、素直に「感謝」するようになる。他人との出会いを喜ぶようになり、一期一会の精神を実践するようになる。

⑥ 以上 のような患者の態度変容には治療側の体制が大きく関係している。まず、患者を中心にした治療チームができ、治療者側、患者・家族のチームリーグが良くなくてはならない。治療者側は患者のQOLを高めうるような様々なケアの万法を、家族の協力も得て積極的に行う。
 すなわち、十分行き届いた身体的なケア、特に疼痛管理・食事管理(栄養管理)が十分にできることが絶対的条件である。
 さらに心理的ケア、家族をも参加させた徹底したチーム医療など多くの要素が機能的に慟かなくてはならない。それらがすべて協調しないとこうした従病的態度は発生しない。もちろん、患者に対し、治療者と患者の信頼関係(治療者と患者間の相互主体的関係)に則った十分なインフォームドーコンセントが成されることが絶対条件である。

⑦ 治療 チームのいずれもが自らの医療観、死生観を向上させるような努力を絶えず怠らず、こうした患者との出会い、ケアできることを喜びとすることができる。
 すなわち患者から学ぶ姿勢があり、自己の人格的成長を願うことができる。そして患者の抱える多くの問題、特に患者の実存レベルまで受容でき、支持でき、保証を与えることができる。。
 我々の経験では、こうした患者が時に癌がありながらも、驚くほど回復し、癌性疼痛の苦痛から脱却し、生存期間を伸ばし、QoL(生命の質)を高めることができるようである。彼らの免疫能を測定するとかなり高い状態を維持していることも事実である。
 池見らの癌の白然退縮例七四例の詳細な検討の報告‐11を見ても、身体面では免疫・アレルギー的な影響がもっとも顕著であり、心理面では、いわゆる実存的転換などの実存的な因子が認められていた。

 しかし、こうした方法の普遍化は困難である。実際のところ、残念ながら我々はいまだ癌患者に対し、こうした実存的気づきを導入することができない。
また、その方法論の適応と限界もに十分に明確とは言えない。否、むしろ研究自体もその緒に就いたばかりと言えよう。今後さらに多くの症例での経験を積み、科学的方法としてのシステム化を図って行かねばならない。(以上)
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おかあさんと奥さま

2020年03月23日 | 日記
市の図書館が休館のため、自宅の書庫にある本を読んでいます。以前(2019.9.6)このブログで、『語源500ー面白すぎる謎解き日本語』の掲載されている「おかあさん」の語源を紹介しました。(以下転載)

母親を意味する「おかあさん」という言葉は、意外に新しい言葉で、一般には明治時代の終わりに広まったものだ。
 そもそも中世には、上級武士の奥方が住んでいる館のことを「北の方」と呼んでいた。奥方の部屋が、屋敷のなかの北でいたのだが、やが
て「北の方」の「方」だけをとって、奥方のことを「おかたさま」と呼ぶようになった。
 それがしだいに変化し、「かか」「かかさん」「おっかさん」などの言葉が生まれ、明治時代に入って「おかあさん」となった。
 そして、明治の終わりになって、国定教科書に「おかあさん」が使用されたことによって、急速に全国に広まったのである。(以上)

「奥さま」の語源は? 『近江商人ものしり帳』(NPO法人三方よし研究所刊)に次のようにあります。

「奥さん」、「奥様」と呼ぶようになったのは江戸時代のことであり、一般に普及したのは明治以降のことです。「奥さん」、あるいは「奥様」の語源は、江戸時代の将軍、大名、旗本などの武家屋敷で主人のくつろぐ奥の部屋の意味であり、公務用の部屋が「表」であるのに対して、「奥」は主人や夫人、奥女中が住み、主人以外の男性立ち入り禁止の場所でした。このことから、武士の多かった江戸では、武家の妻だけを「奥様」と呼び、庶民の街・大阪などでは、豪商や医者の家でも「奥さん」、または[奥様]と呼ぶようになったとするのが通説となっています。
 滋賀県内に残る豪商の旧宅には、屋号を染め抜いた大きな暖簾が店の奥にかけられています。暖簾は商売のシンボルであると同時に、商売と奥向(家庭生活)とをはっきりと区分する境界でもありました。近江商人の妻といえども、店のこと、商売については、直接的には口出しせず、支配人や番頭が取り仕切っていましたが、奉公人の教育や躾、家としての財産管理は妻の役割でした。そして、出店からの金銭や商品ストックは、奥にある蔵に管理され、これらを取り仕切ったのも妻でした。「奥さん」という言葉は、このような近江商人の商業形態である「奥わたし」から生まれた呼び名ともいわれているのです。 封建社会では、女性の立場は低くみられる傾向にありますが、近江商人の間では、「女性を商売に介入させるな」という店則はみられません。商売にかけては主人が最高権威者でしたが、その妻は奉公人の採用やその教育、財産管理面など、暖簾から奥の一切を切り盛りする大きな責務を負っており、主人のよきパートナーとして内助の功を発揮していたのです。(以上)
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親鸞聖人いまさずは②

2020年03月22日 | 親鸞聖人
月刊「大乗」4月号からの新連載、「親鸞聖人いまさずは」ご誕生850年にむけたエッセーの、ゲラが送ってきました。

3月4日のブログ掲載分の続きです。

 日頃、当たり前のように浄土真宗のみ教えに触れあうことができています。しかしその私の当たり前の中に、先人のご苦労があったのです。
10年前、ある講習会の講義で「自分への手紙」という内容の実習をしたことがあります。「自分への手紙」とは、「自分の命が、あと二週間、その状況下にあると思って、自分へ手紙を書く」というものです。そのとき私も一緒に書きました。以下は、そのときの手紙の一部です。
 わがまま一杯の生涯でしたね。多くの人に迷惑をかけたことでしょう。でもそのなかで、親鸞聖人に出遇えて良かったですね。多くの方のお説教で聞いてきたとおり、得難い人生でした。(中略)悲しければ、泣いていいのですよ。悔しければ怒っていいのですよ。しがみつきたければしがみついていいのですよ。その一息一息の上に阿弥陀さまはご一緒してくださっているのですから。
 これからの二週間、泣いて暮らしてもいいのですよ。今までどおり、わがまま一杯で過ごしてもいいのですよ。あなたがあなたであることを大事にしてください。
 今手紙を書いている私も、一緒にあなたと共に過ごします。
 でも本当に良かったですね。今あなたは思っていることでしょう。一昨年、若手布教使の研修会で『あなたにとって親鸞さまは、どういう方ですか』と問われて、答えられないことがありましたね。
今は、その親鸞さまに出遇えて本当に良かったと思っていることでしょう。私もそのことを喜べるあなたであったことを祝福します。(以上)
 親鸞聖人が、浄土真宗をあきらかにされて800年、あまたの人たちが聖人の導きにより阿弥陀さまの願いに触れ、南無阿弥陀仏のお称名のなかに生き、そしてご往生されていったことでしょう。これはひとえに「親鸞聖人ご出世のご恩」です。(以上)

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