仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

日本人の他者関係

2020年03月20日 | 現代の病理
午前2時過ぎに目覚めることが多くあります。そのような時は、スマホで「らじるらじる」の「過去の放送」を聴くことが、二日に一度くらいあります。昨日、久しぶりに過去の放送『宗教の時間』を聞きました。

「自分を裏切らない言葉を求めて」基督教独立学園 前校長…安積力也(3月15日分)です。その放送の中で、次のような言葉がありました。

『宗教の時間』を、すべて活字にして下さっている方がいて、その中からの引用です。

http://h-kishi.sakura.ne.jp/s-220.htm

大学時代一人の哲学者に出会ったことを通じてなんです。森有正(もりありまさ)(哲学者、フランス文学者:1911-1976)という先生です。(中略)

この先生がですね「日本人の他者関係」他者をどうやって自分が作り出していくかと、お互いに。その原理的なものといいますか、基本的なものというのは、実はこういうような特殊なもんだ、ということをおっしゃって、その哲学的に分析され、それを一言で「汝(なんじ)―汝(なんじ)関係」と言われたんですよ。「俺―汝関係」というのは、例えばユダヤ系の宗教哲学者のマルティン・ブーバー(オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者)という方が「我と汝」という形で「私・あなた」という人を呼びかける存在として、私がいて、そして呼びかけられるこちらに「あなた」と言ってくれる他者がいる。こういう他者関係こそが、本当の人格的な関係性だ。ところが森先生は、実は私たち日本人の中に深く根付いている他者関係というのは、「我―汝」じゃなくて、「汝―汝」関係だ。どういうことかといいますと、私が理解した内容でいうならば、向き合った相手といたら、相手が見ている私が居るわけです。私は相手に映っているであろう私を相手に向かって、いわば演じるのです。そして同じことを実は相手も私に向かってやっている。相手に映っている私を、お互いに往きあうような関係、
 
結局既に私が知っているあなたですよ。こういうふうにしているあなたと、すでに相手に知られている私と、相互に確認することで、安心して安定する関係。本来私たちは、変わって成長していく存在であるのに、互いに変わることを許さない関係。だから結果として、何かあなた好みの私を、一生懸命お互いに往きあうような、そういう意味で、ものすごい親密さをもった関係、それこそが本当の人間関係だというものが、日本人の中には色濃く残っている、ということを指摘されて、しかもそれが日本社会の場合、縦関係―縦社会の関係―の質と連動してですね、それを忠実に保持していくことが、日本人が倫理になる。つまり日本の社会が求めるものは、互いに合わせあうことによる同質的な関係性だ。

同じ色になること。それが大事な人間関係づくり、目指すことだ。このような人間関係の基本というのは、排他性が非常に強くなる。私も喋りながら浮かぶんだよ。もう学校で新入生を迎えて、その新入生―新しく入ってきた子たちが、どういう形で仲間づくりしていくかというのを見ていくとね、見事にこの原理です。そうやって仲間を作って、それに固着していくという。それこそ戦争前からずーっとある非常に原理的な人間関係づくりが、今の子供たちもそれに乗ってしか、お友達関係作れないといいますかね、それほど根深いものとしてある。(以上)

すごい指摘だと思います。森有正先生の本じゃ、図書館にあるのですが、図書館は休みなので落掌できません。残念。
コメント
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