仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

価値観についての論義

2020年03月30日 | 現代の病理
アップ忘れで、埋もれていた文章です。

昨日(26.12.8)産経新聞に京大教授の佐伯啓思氏が「価値観についての論義欠如」というタイトルで、現在行なわれている選挙の論点で欠如している点を指摘されていた。その部分だけ転載します。


地方創生にせよ、人口1億人維持にせよ、具体的な姿が見えてこないし、そもそも成長戦略たりうるのかもわからない。まだ何かがかけているように思われる。では何が欠けているのであろうか。私には、根本にあるはずの価値についての議論が欠如しているように見える。… いくら人口政策をとっても、せいぜい減少率を緩やかにする程度のことであろう。グローバル競争を前提にする限り、実質賃金を上昇させるのかかなり困難であろう。少子高齢化社会とは人々が活発に消費にいそしむ社会とはいい難いであろう。
 これらのことは将来の社会像を描く場合の基本的な条件になる。良いも悪いもない。現実問題として日本は人口減少・少子高齢化へ向かい、おまけに巨大自然災害が予測されている。今後、多くの先進国が人口減少・高齢化へ向かうというものの、日本はその先頭を切るという意味でも相当に特異な状況に置かれているのである。とすれば、この10年、20年で、どのような社会を実現するのか、その将来像について、ある程度の見通しがなければならない。どのような価値に即して将来社会を構想するかという価値選択の問題でもある。大変難しい課題ではあるが、そうして初めてどの分野に中心的に資源を投入するかとしいう成長戦略も有効になるだろう。 (以上)

これは他人事ではない。どのようか価値観を持った社会を望むのか。「安くて便利で快適」な社会か。「安くて便利で快適」な社会は、自分中心のタコツボ的幸福を是とする社会です。「人のぬくもり、その人らしさ、人との出会い」といった“人”が大切にされる社会。まずは、それをお寺から発信していかなければならないと記事を見ながら思ったことです。

「人にやさしい」とは、仏教でなくても説きますが、では具体的にと考えると、「苦しみの中にある自分も」大切にできる社会でしょうか。いや苦しみの中にこそ、大切な出会いや未来が隠されています。
コメント
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