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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

偏見の構造―日本人の人種観④

2020年03月19日 | 現代の病理
『偏見の構造―日本人の人種観』 (NHKブックス 55・1967/1・我妻 洋著, 米山 俊直著),転載はこれで終わりです。

偏見はさけられる

 偏見は避けうるものであり、避けねばならぬものである。(中略) このように。本来の形のままでは、社会にとって不都合な衝動や欲求を、社会に肯定される形のものに変化させて表出することを「昇華」というが、自己の中に攻撃的衝動や怒りや敵意のあることを自覚して、これの統御に努め、かつ、これを昇華する方が、無闇にこれを抑圧し、フリ向けるよりは、ずっと健全な、合理的な生き方なのである。そのためには。個人の「自我」が、自分の中に攻撃衝動を認めることを恐れず(恐れると、ただ抑圧する結果になる)、かつ。その緊張に耐え、これを昇華しうるだけ、健全で強縁でなければならない。強く健全な自我を持つものは、憎しみのフリムケをせず、したがって偏見を持たない。偏見の強いものは、その自我が弱く未熟なのである。

 ユダヤ人に対して強い偏見を持つ人々には、共通の性格特徴が認められた。偏見の強い人々は、親とか、政治的指導者とか、宗教的指導者とか、何らかの「権威的存在」を美化し、理想化し、これを無批判に崇拝する傾向が強い。これは、彼らが根本的に自信に欠け、自分が無力だという感情が強いために、自分よりも大きく強い権威に無条件に頼り、その庇護を求めようとするためである。また、彼らは自分の内心を検討したり、自己反省をするのを嫌い、心配事や悩みが生じた時にはそれととりくむことをせず、何か別のことで気を紛らせ、問題を回避する傾向が強い。これは彼らの自我が弱く、自己内部の葛藤に直面し、これを処理する力がないために、これを単に抑圧したり、あるいは、これから逃れようとするためである。(以上)

偏見や差別を無くすということは、良く言われますが、偏見や差別の元が解決されなければならないという事でしょう。
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