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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

現代の病理と真宗

2020年03月25日 | 現代の病理
書庫にあった『現代の病理と真宗―救いの意味』(米沢英雄著)、本書は昭和37年に講演した講演録です。筆者については、ウィキペディア(Wikipedia)

米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月31日 - 1991年〈平成3年〉3月3日)は、日本の医師、浄土真宗の伝道者。
福井県福井市生まれ。旧制第四高等学校文科を経て、日本医科大学を卒業。医学博士。開業医のかたわら、親鸞聖人の教えに深く帰依し、多数の著作、全国各地での法話・講演などで、多くの念仏者を生み出した。著述、講演による伝道者・実践者としての功績で1989年<平成元年>第23回仏教伝道文化賞を受賞。(以上)

私が学生の頃、大谷派で名を馳せた方です。医師であり、文明や浄土真宗の専門化ではないので「思う」範囲を出ませんが、高度成長の最中、浄土真宗の念仏者は、何を考えていたが興味深く読み返しました。

マックス・ピカートというドイツの哲学者は、現代は人間のアトム化しつつあると申してい                                        
ます。個人の価値とか尊厳というものが、名のみで実際は抹殺されつつある。民主主義というのも人間が量ではかられるのである。共産主義も亦、人間が機絨の一部品、つまりはアトムとして行動することを要請する。しかも、現代はこれを色どる強烈な色彩、それは洪水のような消費文化或は心を刺激するスローガンの形をとって現われて、人間の目を奪ってしまうために、人間、か間化しつつあるという人間の最大の悲劇に気付かずに、次第に病を深みに追いこみつつあるのです。この病がおそろしいのは、この病にかかりながら私達は少しも痛みを感じないというところにあるのです。消費文化やスローガンの麻酔にかかっている間に、生活が次第に蝕まれつつあるわけであります。むしろ人間が好んで蝕まれつつあるのだとも言えるでしょう。だからこそ、この病から回復させるのが困難なのであります。誰も自分が病んでいると気付かぬのですから、医者がいくら警告して騒ぎましても、五月蝿いなあ、淮のことをそんなに心配してさわいでいるのだ、俺なら大丈夫だよというようなわけであります。(以上)

怒濤ように押し寄せてくる消費社会を前にして、その危険性を訴えています。そしてその処方箋としての念仏は「現代の病の唯一の治療法であると、その理由を挙げています。多くは、病に対して対処療法であるが、病に対して根底的に応えるものである。人間の本質が明らかになる。それが念仏の効用であると説いています。
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