仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

スピリチュアルケアの要諦

2020年03月27日 | 苦しみは成長のとびら
柏市の図書館は、相変わらず閉鎖ですが、県立の図書館は特別の窓口でリクエストした本の貸し出しだけは行っています。県立の図書館で『生――生存・生き方・生命 (自由への問い 第8巻)』 (加藤 秀一編集)を借りてきました。この本の中に、奥山敏雄筑波大学教授〔死にゆく過程の構築と生の意味をめぐる自由〕という論文が目当てでした。
奥山敏雄筑波大学教授は、
「スピリチュアルケアにおける死にゆく患者と医療者との対話」「死の受容と最後の成長−−キュブラー=ロスの死にゆく過程論の変容—」「近代ホスピスの形成とシシリー・ソンダースの位置」「宗教的ケアとスピリチュアルケア」「田代志門著『死にゆく過程を生きる』(世界思想社)を読む」「死と社会--終末期医療の社会学的意味--」「生の意味の位相とスピリチュアルケアの深度」等の論文を書かれており、以前から読んでいた方です。

標記の本から、気になる部分だけ転載しておきます。

 特定の自己実現への固着、特定の自己-他者関係への固着ではなく、そうした固着が解体させられ、何かを達成することによる意味の調達が不可能となるなかで、生きることがわれわれに問いかけてくる。死に直面し、苦しみと向き合い、この苦しみを与える《今ここ》の生こそが、「全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだ」と感受されねばならない。日常的役割自己としての生きること、その意味ではなく、そうした自己を解体させてしまうような、死に直面し苦しみにあえぐ《今ここ》の一瞬一瞬の生か突きつけてくる問いかけに、具体的に応答しなければならないのである。
 その問いかけに応答することにより、自己を超えた世界へ、世界の偶有性へと開かれていく。この自己超越性を生き抜くことは、自分自身を自己実現に関与させることによってではなく、むしろ逆に自分白身を手放すこと、自分自身の外側に関心を集中させることによってなされる。

ソンダースによれば、スピリチュアルケアの要諦は、他者を理解し他者に何かをしてあげることではなく、それらが不可能な地点で死にゆく他者との絶対的隔絶にとどまり続けることだという。なぜなら、死にゆく人はそれまで身につけてきた仮面や被いを取り払い、他者にもその人自身として目の前に立つことを求め、一切の防衛をなくし、相手の言葉に耳を傾け、傷つくことができることを求めるからだ。つまり死にゆく人は、自己物語が解体し役割存在としての自己が総じて溶解することにより、はじめて他者との絶対的隔絶に曝されることになり、自己欺瞞に鋭敏になるのだ。自己も他者も、やがて死すべき者として《今ここ》に出会っていることが感受されるからである。(以上)
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