仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉は記号以上のもの

2020年03月10日 | 日記
『哲学の解剖図館―「知」の歴史がマルわかり』(小須田健著)に、言葉について、次のような記述がありました。

言葉(シンボル)は、広い意味で記号の一種です。そして記号とは、何かを指し示すために用いられる代理表現だというのが一般的な定義です。
 記号を操る生きものは人間に限定されません。たとえば、チンパンジーなどの類人猿は、天井から吊るされたバナナを取る踏み台として、箱を利用することができるという報告があります。「箱=踏み台」という記号化が可能なのです。
 ところが、同じ実験例で、箱の上に何か別のモノが乗っていると、もう踏み台とは認識できなくなってしまいます。モノをおろせば踏み台になるのに、そう考えることができないようなのです。さらに、同じ箱に椅子や容器など多様な用途があるということも、類人猿には理解できません。
ここに何かの代理物として機能する記号(シグナル)と、二乗された記号(シグナル)すなわち何かの代理の代理‥として機能しうる言葉(シンボル)との決定的な違いがあると考えることができそうです。
 二重、もしくはそれ以上の意味を担いうる記号(シグナル)こそが、言葉(シンボル)なのです。(以上)


言葉とは何か。上記の内容は分かりずらいですが、言葉は単なる記号ではなく、複数の意味をもつことのできる記号という事でしょうか。チンパンジーは「2個の踏み台を重ねて踏み台とするという行動も定着するにいたっていない。」ともあります。
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