仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

親鸞聖人いまさずは②

2020年03月22日 | 親鸞聖人
月刊「大乗」4月号からの新連載、「親鸞聖人いまさずは」ご誕生850年にむけたエッセーの、ゲラが送ってきました。

3月4日のブログ掲載分の続きです。

 日頃、当たり前のように浄土真宗のみ教えに触れあうことができています。しかしその私の当たり前の中に、先人のご苦労があったのです。
10年前、ある講習会の講義で「自分への手紙」という内容の実習をしたことがあります。「自分への手紙」とは、「自分の命が、あと二週間、その状況下にあると思って、自分へ手紙を書く」というものです。そのとき私も一緒に書きました。以下は、そのときの手紙の一部です。
 わがまま一杯の生涯でしたね。多くの人に迷惑をかけたことでしょう。でもそのなかで、親鸞聖人に出遇えて良かったですね。多くの方のお説教で聞いてきたとおり、得難い人生でした。(中略)悲しければ、泣いていいのですよ。悔しければ怒っていいのですよ。しがみつきたければしがみついていいのですよ。その一息一息の上に阿弥陀さまはご一緒してくださっているのですから。
 これからの二週間、泣いて暮らしてもいいのですよ。今までどおり、わがまま一杯で過ごしてもいいのですよ。あなたがあなたであることを大事にしてください。
 今手紙を書いている私も、一緒にあなたと共に過ごします。
 でも本当に良かったですね。今あなたは思っていることでしょう。一昨年、若手布教使の研修会で『あなたにとって親鸞さまは、どういう方ですか』と問われて、答えられないことがありましたね。
今は、その親鸞さまに出遇えて本当に良かったと思っていることでしょう。私もそのことを喜べるあなたであったことを祝福します。(以上)
 親鸞聖人が、浄土真宗をあきらかにされて800年、あまたの人たちが聖人の導きにより阿弥陀さまの願いに触れ、南無阿弥陀仏のお称名のなかに生き、そしてご往生されていったことでしょう。これはひとえに「親鸞聖人ご出世のご恩」です。(以上)

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