2011年11月11、13日に、このブログで、ロゴセレピーという、アウシュビッツの体験談「夜と霧」の作者であい精神科医・哲学者、ヴィクトール・E・フランクルが創始した精神療法について紹介しました。このフランクル精神療法は「実存カウンセリング」ともいわれて取り組まれています。
図書館が休みなので書庫にあった『実存カウンセリング』 (21世紀カウンセリング叢書・2002/3/30・永田 勝太郎著)を読み返していたら、がん患者の人格的変容について紹介されていました。興味深いので転載しておきます。
フランクルにより提唱された実存分析の本質は人間の精神における人間固有の自由性、しかも責任を伴う自由を行使させ、治療に応用しようというところにある。患者の内なる精神の自由性と責任性に自ら目覚めさせ、運命や宿命に抵抗する自由もあることに気づかせ、そこから、その患者独自の人生の「意味」を見出させようとするものである。その結果、患者が実存的転換(人格的変容)に到達するものである。
従病(しょうびょう)的態度に至った患者群の行動特性
我々の経験では、時に、癌の患者がその「頑固さ」から抜け出て、「素直でしたたか」な態度へと行動変容することがある。このような症例が実存的な態度変容を為し遂げ、ついには癌すら乗り越えてしまうことがある。こうした態度変容を「従病」(しょうびょう)という。すなわち、病にしたがったふりをして、逆に病を従えてしまうしたたかさである。
ここでは我々が経験した従病的態度変容に至った症例に共通していると思われる項目を挙げてみる(臨床経験から)。
① 癌の発症前は依怙地な性格、頑固なライフスタイルを維持し、他人の意見を聞き入れるような柔軟性に欠ける。
② 発症後、何かのきっかけで、言わば、「至高体験」と言えるような体験がある。
それは豊かな自然や人間との暖かい交流の中で、体験することが多い (体験価値)。
③ そうした体験を契機に、「生かされて、生きている」自らの生命の本質・尊厳について深い洞察を得る。すなわち、自らの生命は時間内存在(誕生から死までの限られた時間内での存在)であり、関係内存在(自然環境、人間環境などのさますまな関係の中で「生かされて生きている存在」であることへの気づき)であり、自己の存在そのものが自然の一部であることに体験的に気づく。それは第三者から見ると、驚くほどの急速な態度変容であり、「頑固」から「素直」になったように見える。
患者は、こうした体験的認識を踏まえ、自らの生命の尊さ(生命への尊厳)、「生きることの意味」について再考し、自己の人生に自信を持ち、自分にはまだすべきことがあり、死んではいけない生命の重さを有していることに気づいてゆく。生きることへの責任への気づきである。また、そうした場合、なんらかの人生の目的ができる。
それは患者にとっての「生きる意味」であり、どんなささやかなもの、どんな日常的なものでも良い。
こうした過程のなかで、患者に「したたかさ」が発現してくる。何とかしてそれをやり抜こうという強い意志の現れである。
こうした態度を従病と言う。すなわち、病に従った振りをして、逆に病を従えてしまうほどのしたたかさである。これこそが人間のみに与えられた高度精神機能であろう。
④ このような過程のなかで患者は悲観的人生観から楽観的人生観へと転換してゆく。
患者は日常のありふれた事象に対し喜びを見出し、美しいものを美しいと認識し、人生を楽しむようになる。
さらに患者はユーモアをもつようになり、朗らかになる。自分の置かれた事態に対して、「なぜ?」と問うのではなく、「いかにすべきか?」を問うような方向へと態度を変容してくる。
こうした態度の変化が第三者から見ると「素直」になったように見られる。
⑤ 周囲 のすべてに対し、素直に「感謝」するようになる。他人との出会いを喜ぶようになり、一期一会の精神を実践するようになる。
⑥ 以上 のような患者の態度変容には治療側の体制が大きく関係している。まず、患者を中心にした治療チームができ、治療者側、患者・家族のチームリーグが良くなくてはならない。治療者側は患者のQOLを高めうるような様々なケアの万法を、家族の協力も得て積極的に行う。
すなわち、十分行き届いた身体的なケア、特に疼痛管理・食事管理(栄養管理)が十分にできることが絶対的条件である。
さらに心理的ケア、家族をも参加させた徹底したチーム医療など多くの要素が機能的に慟かなくてはならない。それらがすべて協調しないとこうした従病的態度は発生しない。もちろん、患者に対し、治療者と患者の信頼関係(治療者と患者間の相互主体的関係)に則った十分なインフォームドーコンセントが成されることが絶対条件である。
⑦ 治療 チームのいずれもが自らの医療観、死生観を向上させるような努力を絶えず怠らず、こうした患者との出会い、ケアできることを喜びとすることができる。
すなわち患者から学ぶ姿勢があり、自己の人格的成長を願うことができる。そして患者の抱える多くの問題、特に患者の実存レベルまで受容でき、支持でき、保証を与えることができる。。
我々の経験では、こうした患者が時に癌がありながらも、驚くほど回復し、癌性疼痛の苦痛から脱却し、生存期間を伸ばし、QoL(生命の質)を高めることができるようである。彼らの免疫能を測定するとかなり高い状態を維持していることも事実である。
池見らの癌の白然退縮例七四例の詳細な検討の報告‐11を見ても、身体面では免疫・アレルギー的な影響がもっとも顕著であり、心理面では、いわゆる実存的転換などの実存的な因子が認められていた。
しかし、こうした方法の普遍化は困難である。実際のところ、残念ながら我々はいまだ癌患者に対し、こうした実存的気づきを導入することができない。
また、その方法論の適応と限界もに十分に明確とは言えない。否、むしろ研究自体もその緒に就いたばかりと言えよう。今後さらに多くの症例での経験を積み、科学的方法としてのシステム化を図って行かねばならない。(以上)
図書館が休みなので書庫にあった『実存カウンセリング』 (21世紀カウンセリング叢書・2002/3/30・永田 勝太郎著)を読み返していたら、がん患者の人格的変容について紹介されていました。興味深いので転載しておきます。
フランクルにより提唱された実存分析の本質は人間の精神における人間固有の自由性、しかも責任を伴う自由を行使させ、治療に応用しようというところにある。患者の内なる精神の自由性と責任性に自ら目覚めさせ、運命や宿命に抵抗する自由もあることに気づかせ、そこから、その患者独自の人生の「意味」を見出させようとするものである。その結果、患者が実存的転換(人格的変容)に到達するものである。
従病(しょうびょう)的態度に至った患者群の行動特性
我々の経験では、時に、癌の患者がその「頑固さ」から抜け出て、「素直でしたたか」な態度へと行動変容することがある。このような症例が実存的な態度変容を為し遂げ、ついには癌すら乗り越えてしまうことがある。こうした態度変容を「従病」(しょうびょう)という。すなわち、病にしたがったふりをして、逆に病を従えてしまうしたたかさである。
ここでは我々が経験した従病的態度変容に至った症例に共通していると思われる項目を挙げてみる(臨床経験から)。
① 癌の発症前は依怙地な性格、頑固なライフスタイルを維持し、他人の意見を聞き入れるような柔軟性に欠ける。
② 発症後、何かのきっかけで、言わば、「至高体験」と言えるような体験がある。
それは豊かな自然や人間との暖かい交流の中で、体験することが多い (体験価値)。
③ そうした体験を契機に、「生かされて、生きている」自らの生命の本質・尊厳について深い洞察を得る。すなわち、自らの生命は時間内存在(誕生から死までの限られた時間内での存在)であり、関係内存在(自然環境、人間環境などのさますまな関係の中で「生かされて生きている存在」であることへの気づき)であり、自己の存在そのものが自然の一部であることに体験的に気づく。それは第三者から見ると、驚くほどの急速な態度変容であり、「頑固」から「素直」になったように見える。
患者は、こうした体験的認識を踏まえ、自らの生命の尊さ(生命への尊厳)、「生きることの意味」について再考し、自己の人生に自信を持ち、自分にはまだすべきことがあり、死んではいけない生命の重さを有していることに気づいてゆく。生きることへの責任への気づきである。また、そうした場合、なんらかの人生の目的ができる。
それは患者にとっての「生きる意味」であり、どんなささやかなもの、どんな日常的なものでも良い。
こうした過程のなかで、患者に「したたかさ」が発現してくる。何とかしてそれをやり抜こうという強い意志の現れである。
こうした態度を従病と言う。すなわち、病に従った振りをして、逆に病を従えてしまうほどのしたたかさである。これこそが人間のみに与えられた高度精神機能であろう。
④ このような過程のなかで患者は悲観的人生観から楽観的人生観へと転換してゆく。
患者は日常のありふれた事象に対し喜びを見出し、美しいものを美しいと認識し、人生を楽しむようになる。
さらに患者はユーモアをもつようになり、朗らかになる。自分の置かれた事態に対して、「なぜ?」と問うのではなく、「いかにすべきか?」を問うような方向へと態度を変容してくる。
こうした態度の変化が第三者から見ると「素直」になったように見られる。
⑤ 周囲 のすべてに対し、素直に「感謝」するようになる。他人との出会いを喜ぶようになり、一期一会の精神を実践するようになる。
⑥ 以上 のような患者の態度変容には治療側の体制が大きく関係している。まず、患者を中心にした治療チームができ、治療者側、患者・家族のチームリーグが良くなくてはならない。治療者側は患者のQOLを高めうるような様々なケアの万法を、家族の協力も得て積極的に行う。
すなわち、十分行き届いた身体的なケア、特に疼痛管理・食事管理(栄養管理)が十分にできることが絶対的条件である。
さらに心理的ケア、家族をも参加させた徹底したチーム医療など多くの要素が機能的に慟かなくてはならない。それらがすべて協調しないとこうした従病的態度は発生しない。もちろん、患者に対し、治療者と患者の信頼関係(治療者と患者間の相互主体的関係)に則った十分なインフォームドーコンセントが成されることが絶対条件である。
⑦ 治療 チームのいずれもが自らの医療観、死生観を向上させるような努力を絶えず怠らず、こうした患者との出会い、ケアできることを喜びとすることができる。
すなわち患者から学ぶ姿勢があり、自己の人格的成長を願うことができる。そして患者の抱える多くの問題、特に患者の実存レベルまで受容でき、支持でき、保証を与えることができる。。
我々の経験では、こうした患者が時に癌がありながらも、驚くほど回復し、癌性疼痛の苦痛から脱却し、生存期間を伸ばし、QoL(生命の質)を高めることができるようである。彼らの免疫能を測定するとかなり高い状態を維持していることも事実である。
池見らの癌の白然退縮例七四例の詳細な検討の報告‐11を見ても、身体面では免疫・アレルギー的な影響がもっとも顕著であり、心理面では、いわゆる実存的転換などの実存的な因子が認められていた。
しかし、こうした方法の普遍化は困難である。実際のところ、残念ながら我々はいまだ癌患者に対し、こうした実存的気づきを導入することができない。
また、その方法論の適応と限界もに十分に明確とは言えない。否、むしろ研究自体もその緒に就いたばかりと言えよう。今後さらに多くの症例での経験を積み、科学的方法としてのシステム化を図って行かねばならない。(以上)