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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

相対的貧困から社会的排除へ

2019年06月06日 | 現代の病理
今日(6.6)、築地での会合で貧困について話すことになっています。貧困の本質な問題は、「社会的排除」を誘引してしまうことです。別の言い方をすれば、財の欠如という貧困が悪ではなく、貧困状態になっても、人間として全う生きる社会であれば、問題は無いのです。では「社会的排除」とは何か。

図書館から『貧困理論の再検討: 相対的貧困から社会的排除へ』(志賀 信夫著)から借りてきました。この本は、貧困の現状や分析ではなく、貧困の定義や概念などを論じている本です。


「貧困とは「あってはならない生活状態」を指示するものなのである。すなわち、貧困とは科学的概念というよりは、政治的な正義に関わる概念であるといえる。」

「相対的貧困は、財の欠如であり、社会的排除は、自由(権利の実質性)の欠如」であると次のようにあります。

 貧困を権利の実質性を通してみるということは、貧困を「財」ではなく「自由」を通してみていくという視点の転回を意味している。社会参加概念の変化によって、貧困を最低限度保障されるべきモノの欠如(消費生活の欠如、あるいは低所得)の視点から捉えるだけでは十分でなくなり、市民社会の成員として最低限度保障されるべき権利の欠如という視点から捉えなければならなくなったのである。消費生活の保障は、現代の社会参加のための重要な一側面であり必要条件であるが十分条件ではないのである。議論の焦点は、最早、所得が高いか低いかということではなく、最低限度保障されるべき「自由」の範囲という視点からその所得が能力や環境に鑑みて十分か否かということ、ここに移ってきているのである。ただし、この場合、能力の形席がうまくいっていない個人に対しては、より高額な所得が保障されねばならないことになってしまうが、そのような政策の形成についての全面的同意を得ることは困難であるため、能力の支援や環境の改善などが試みられる。

付言しておくと、このような理由から、本節で述べたようなフアンクショニング概奕が必要とされるのである。
 貧困をみる視点の変化について、再度、簡潔に整理しておきたい。貧困理論の変遷過程において、貧困をみる視点が変化してきていることは、「権利」 へのアクセスの阻害に対応しようとするEUの社会的排除に対する闘いのなかに看取できるものである。本書では、貧困理論の変遷過程において変化してきたこの視点の変化を、「物質的欠如」から「自由(権利)の欠如」へ、としてまとめておきたい。

ここで論じている「自由」は、「~からの自由」ではなく「~への自由」という積極的な意味を含むものである。(つづく)

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