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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

承認をひらく──新・人権宣言②

2024年06月15日 | 現代の病理
『承認をひらく──新・人権宣言』(2024/4/6・暉峻淑子(てるおか・いつこ)著)からの転載です。

承認は普通、自分の意志ではコントロールできない、「やる気」の領域にまで影響を与える恐るべき威力をもたらす一方で、承認への執着が、破滅を引き起こすほどの魔力も持っているのです。
 不幸にして社会から排除され、社会的承認を受けることがなかった人びとの悲劇については第二章、第三章に譲ることにして、この章では承認の功罪と現実の葛藤をみることにします。利潤を上げることにつながる成果主義の承認は、能力という、一見、公平な承認基準での評価だと思われがちですが、単一な価値基準によって多様性が失われることもあります。
その典型的一例を、ダイエット願望に見てみましょう.「ダイエット幻想」(ちくまプリマー新書、二0一九年)の著者で、文化人類学者の饑野良穗は、痩せたいという女性の願望は、痩せれば、健康のために良いとか、生活費の節約になるとかといった合理的根拠があるわけではなく、ただただ痩せたいという願望であり、痩せた女を美的に評価する現代社会の承綛基準に合わせることが目的になっているというのです。その非合理性は、昔の中国の纏足(てんそく)を想起させます。纏足の女性はうまく歩けないばかりでなく、足の変形のため、激痛やけがに苦しみましたが、それでも当時の男性に認められたい一心でした。纏足で変形した骨の形は今のハイヒールの形と同じです。
 痩せたい女性は、認められるためには栄養失調になったり生理が止まったり、骨粗鬆症になって健康を犠牲にしてでも、周りから褒められ承認されることを求めているのでしょう。
 一方で、日本社会では個性の強い承認欲求を社会的圧力によって抑圧もするのです。個性的で自分の欲求を強く持つ女性は、往々にして疎まれます。美しさで目立つのはいいけれども、自己主張の強くない、保護される対象であるかわいい女が評価される蝠向かあります。評価を気にして生きる女性は、エンジンとブレーキを同時にかけることを要求され、結果は他人が認める範囲の中でのみ、承認される結果を受忍しなければなりません。
 そしてその結果は、何か自分の欲求で何が幸せなのかさえ分からなくなる、と磯野は言います。選ばれる側は選ぶ側の思考や好みを常に最大限に忖度し、それに沿った容姿とふるまいをしなければならないからです。「愛されようとして懸命にもがいた結果、私たちは他者の声に漂流し、溺れてしまう」という磯野の言葉は、なんともの悲しい響きを持っていることでしょう。痩せたい女性はこの指摘に何と答えるのでしょうか。(つづく)
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