仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

ナラティブ・セルフ

2024年07月09日 | 浄土真宗とは?
本願寺発行の月刊「大乗」にこの4月~連載しています。「なるほど仏教ライフ」7月号“ナラティブ・セルフ”を転載します。

最近、ナラティブ・セルフという言葉を耳にすることがあります。「ナラティブ」とは、日本語に直訳すると「物語」という意味なので「物語的自己」とも訳されます。今の出来事が、自分史という物語の中で、どう意味づけられるか。その物語の主人公は多くの場合が私です。物語の主人公を阿弥陀さまと頂く。これが信心の生活です。
ロバート・ストロロウ(1942年~)という、アメリカの心理学者が、「組織化原則(オーガナイジング・プリンシンプル)ということを言っています。オーガナイジング・プリンシンプルとは、無意識的な原理、原則という意味です。
 人は、一つの出来事を主観的な経験によって意味づけをして受け入れて過ごしています。たとえば夜中に電話が嗚った。「悪い知らせではないか」と思ってドキドキする。それは、「夜中の電話はよくない知らせ」という原則があって、「悪い知らせではないか」と思ってしまう。その主観的な思いは、その原則に依っているのだから、その原則そのものを、変えていこうという考え方です。浄土真宗のみ教えで言えば、その原則を、私の価値観に置くのでなく、阿弥陀仏を中心とした物語として過ごして行くというものです。
40歳代の頃、某新聞にコラムを連載していたことがあります。そのコラムでAさんのことを紹介したことがあります。
 Aさんは、六歳の愛児を交通事故で亡くしました。ご両親の目の前での事故、ご親族のご悲嘆はかける言葉がありませんでした。お通夜の席でのことです。
 浄土真宗では、お通夜の読経のあと、法話をします。でも何をお話ししても、ご両親の悲しみの慰めにならない状祝でした。そのとき、初めてした話でしたが次のような話をしました。
 「B君が、まだ自然のふところに包まれているときのことだそうです。今度生まれることになっている子供の寿命は、六年しかないことを知った仏様が、B君に語りかけたそうです。『B君や、今度生まれることになっている子供の寿命は、六年しかないから、もっと長い寿命をもった人の上に生まれてはどうか』。
 そのとき、B君は仏様にこう言ったそうです。『仏様、ぼくはたとえ六年間であっても、あのお父さんと、あのお母さんと、あのおばあちゃんと、あのおじいちゃんと、そしてあの家族のいる家に生まれたい。そして六年間仏様のお仕事のお手伝いをしてきます』。
そして月が満ち、この世に誕生し六年間、仏様のお仕事をして帰って往かれた。その仏様のお仕事とはなんであったかを聞いていくということが、亡き方と共に生きていくということです。
控え室に戻ってしばらくすると、ご両親が挨拶にこられました。目には涙をいっぱいためておられます。そしてご主人が声に力を入れて言われました。『ありがとうございました。Bが浮かばれます。仏様と受け取ります』。
 その後、このご夫婦は、阿弥陀如来とのご縁を強くもたれるようになりました。法話会がある日には会社を休み、一番前で聴間し、仏教書や法話の録音に耳を傾ける。今まで当たり前と思っていたことが、大変な価値のあることであったと、人生観が一変したと言います。
半年ほど経ったある日のこと。一緒にお茶を飲んでいると、『あの子は、何が太切かを教えにきてくれた仏様かもしれません』とも言われました。(以上)
悲しいことや苦しいことが、阿弥陀仏との出遇いのご縁となる。それは人知を越えた仏さまの智慧に導かれていくということでもあります。
 より大きないのちのなかにある自分と出遇う。苦しみや悲しみの出来事は、その契機となることがあります。阿弥陀仏を中心に置いた自己物語を生きる。これが念仏者の恵みです。
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