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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

承認をひらく──新・人権宣言

2024年06月14日 | 現代の病理
『承認をひらく──新・人権宣言』(2024/4/6・暉峻淑子(てるおか・いつこ)著)、本のまえがきから。

社会的人間としてしか生きられない宿命を持つ人間が、他人の、あるいは社会の承認を求める情念を持つのは当然であり、誰もそれを否定することはできません。人間は自分で自分を見ることができないので、他者という鏡に映して自分を見ます。その結果、自分の姿が他者から肯定的に評価されれば、自信が出てやる気も湧くでしょう。……他者から承認されることは、自分が客観的に認められていることの証明でもあり、社会に必要な人間としての普遍性に一歩近づくことにもなります。何よりも、自分が生きていることの意味を自覚させてくれます。
個人の人生だけでなく、もっと視野を広げて承認という鏡を通して社会を見ると、その歪みがはっきりと見えてきます。
自己責任が当たり前とされる社会になったとき、それに反比例するかのように「承認欲求の病」といわれる風潮が強くなったのは偶然ではないでしょう。
しかし、ことはそれほど簡単ではありません。鏡の方が歪んでいることも、多々あるからです。
(中略)
承認をキーワードに、国家・社会と個人の関係、個人と個人の関係を問い直してみると、承認という鏡に映るさまざまに歪んだ社会像が浮かび上がってきます。
公共的な場で相互性を持った議論が行なわれることなく一方的に承認されていく日本社会の危うさは、岸田首相が独断的に決めた安倍元首相の「国葬」にもくっきりと現れていました。
そのような承認が度重なっていくうちに、それが当たり前になり、違和感を持たなくなり、民主主義社会が知らず知らずに根腐れ状態になっていくのを怖れます。
承認とは、その語義のように、その事柄が真実であり、公正であり、妥当性があると認める行為です。一つ一つの承認を意識的に問い直していくことで、民主主義に新しい命が吹き込まれ、人権というキャパシティを広げ深めることになるのではないか、本書はその考えの上に立って書かれました。(以上)
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